大江の昔の恋人

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大江の昔の恋人

 一泊することが決まり、オンシーズンの中、なんとか京都駅近郊にあるホテルを一室押さえられた。  ホテルへ向かう前に夕飯を取ることにしたが、どこも混雑していて、入れたのは京風お好み焼きを出す地元の店だった。かつては観光ガイドにも取り上げられたようで、店先には当時の記事が貼り出されていた。有名人のサイン色紙もいくつか飾られていたが、すべて色褪せているせいで逆に寂れた印象を与えている。  とはいえ、暖簾をくぐると香ばしいソースの香りが鼻をくすぐり、席に案内される前から食欲をそそられた。鉄板が作りつけられたテーブルは綺麗に拭かれてもまだ油っぽかったが、黄色く薄いおしぼりはキンキンに冷やされ、掴んだ指先から心地よかった。ビールジョッキで提供された満杯の氷水も嬉しく、食べる前から美味い店に違いないと確信する。 「生中二つと、京風お好み焼き、九条ネギ焼き、あと、たたきレンコンとつくね焼きを」  白髪が交じる紫髪の店主に注文を済ませ、息を吐くとどっと疲れを感じた。  宝物殿での窃盗について京都府警に問い合わせたが、当然、犯人の情報を開示してくれるわけもなく、蓮介たちが怪しまれる始末だった。しかし、サトウと連絡が取れない以上、カラクリ箱を盗品として警察に預けるわけにもいかない。  情報収集のため、幸徳井家の解体に立ち会ったという晴明神社の神主にも面会したが、歴史から消された陰陽師の情報は教えてもらえなかった。存在したかどうかさえ回答してくれないのだから、さながら在籍確認でもしている気分だった。  大江もどこでカラクリ箱のことを知ったかは話してくれない。訊いても「忘れた」と言い張られる。そんな大事なことを忘れるなと言ってやりたい。 「買い物のひとつもできなかったな……」 「買い物?」 「ああ。京都でしか買えない和菓子は多いからな。時間が許せば、ホテルでつまむ団子を買いたかった」  今回の目的は買い物ではないが、京都に来たら寄りたいところはいくつもある。出町柳の豆餅、四条南座向かいの味噌団子、四条の縄手で行列を作るみたらし団子。大江にも食べてみてほしかったが、何ひとつ買いに行ける状況ではなかった。 「大江くんも京都は初めてじゃないんだろう? 気に入ってる店の一つや二つあるだろう」 「特にないな」 「ない? 珍しいな……。なら土地はどうだ? 今までどのあたりを観てまわったんだ?」 「あんたが想像するような観光はしてない。一人でしても仕方ないだろう」 「京都はいつも一人行動なのか?」  火のついた鉄板に刷毛で油を伸ばしながら、大江が面倒くさそうな顔をした。  蓮介がそうだったように、大江ともっと話したいと思う人間はいるだろう。容姿端麗で気が利くうえ鬼好き。自分のことを話したがらないのが難点だが、ミステリアス――と言えなくもない。 「いつもも何も、恋人が死んでからはずっと一人だ」 「し……、え?」  タイミング悪くビールが運ばれてきて、聞き返す機会を逸してしまった。  ――死んだ……。  大江は竹の筒に入ったつくねを鉄板に落とし、ヘラで手際よく形を整えている。その隣にはたっぷりの九条ネギと豚肉の細切れ、天かす、紅ショウガの入ったネギ焼きの生地が、綺麗な円形を描くように広げられている。  いつもなら、食べる前から気分が高揚するのだが、今は大江の話が衝撃的で鉄板に目が向かない。 「前のことだ。そんな葬式みたいな顔をするな」 「そんな顔は……」  取り繕うように否定したが、大江は「そうか」と言ったきり、焼け始めたつくねを返すのに忙しそうだ。  蓮介はどこか置いてけぼりを食らった心地だった。  いくら同じ鬼好きでも恋愛観まで近いわけではない。それに大江は蓮介の持つカラクリ箱を見張っているだけで、二人の間に親近感を覚えているのは蓮介だけだ。  人を好きになれず、鬼しか愛せない異常さを突きつけられた気がした。  大江は「葬式みたいな顔をするな」と言ったが、大江の恋人の死を悼んで言葉を失っているわけではない自分にも嫌気がさす。  ――大江くんは人を好きになれるのか……。  大江に次の恋人を作らせないとは、どんな人物だったのだろう。 「こっち、やるか?」 「え?」  大江にヘラを差し出され、意識を引き戻された。  当たり前のように作ってもらう気でいたが、蓮介がひっくり返すということか。 「いや、大江くんがやった方がいいと思うぞ」 「返すだけだ。あんた、手が空いてるだろ」 「空いてはいるが……」  再度ヘラを向けられては受けるしかない。 「クレームは受け付けないからな?」 「床に落としたら言う」 「待て、プレッシャーをかけないでくれ」  唾を飲み込み、大江に言われた通り生地の両側からヘラを差し込む。しかし、はたと固まった。 「こ、ここからどうしたらいいんだ!?」 「どうって返すだけだ。焼けていない面を焼きたい」 「さすがにそれはわかる……っ。そうじゃなくて、奥にか!? 手前にか!?」 「手前だ。奥の方がやりやすいなら奥でも構わないが」  躊躇っていると「早くしないと焦げる」と言われて焦りが募る。蓮介は眉間にしわを寄せ、ヘラの持ち手を握った。 「……ほっ! ……」 「ふっ……」  大江が肩を震わせている。少し吹き出したのが気まずいのか、壁の方を向いて。  掛け声だけ一丁前で結果は散々だった。中途半端に焼けた生地は半分に割れ、片方は蓮介のテーブルの方にはみ出して着地した。 「どうやったら……、そうなるんだ……」  大江は咳払いをし、取り急ぎはみ出した生地を鉄板に戻した。店主にダスターを頼むが、顔は笑っているように見える。  大江が笑っているのを見るのは初めてだ。 「……笑ってくれて構わないが、肝心のネギ焼きがぐちゃぐちゃだぞ」 「床に落ちたんじゃない。焼ければ食える」 「君、そのあたり適当なんだな」 「味は同じだ。気にしない」  内心拗ねていると、つくねもネギ焼きも完成し、鉄板からはジューッと小気味良い音が聞こえてきた。ソースとマヨネーズがふつふつ沸いている。熱気に踊る青のりと鰹節のビジュアルは不格好に焼けた生地でも美味そうに見せた。  ――気を遣ってくれたんだろうな……。  ただ、せっかくの食事の席に漂ったぎこちない空気が消えたことにはホッとしていた。蓮介にあと一歩踏み出す勇気があれば、恋人のことを聞いてみたくはあったが。  皿に取り分けてくれたネギ焼きを頬張り、ビールを喉に流し込む。黙々と食事を続ける大江を見ながら、ふいに隣のテーブルの会話が耳に入った。 「明日は早くあがらないと、地下鉄はだだ混みだろうな。何時から交通規制なんだったか」 「六時からでしたっけね」  ――ああ、明日は宵山だったな。 「食わないのか? そんな顔しなくても、次焼く分はもっとうまく返せるだろ」 「また俺がやるのか!?」  大江がまた、冗談か本気かわからないことを言う。 「せっかく京都まで来たんだ。明日時間があれば祇園祭に行かないか?」 「は?」 「ちょうど宵山だ。もちろん、今回の目的はカラクリ箱だから無理にとは言わない。けど、鉾を見ながら露店の食べ歩き――ベビーカステラなんてのも楽しそうじゃないか?」  大江はヘラに向かって口を開けたまま固まっていた。  蓮介としてはやはり、大江とはいい友人になりたい。鬼好きという共通点はもちろんだが、信用されていないとわかっているのに一緒にいて心地がいい。カラクリ箱のことが解決したら終わる関係にしたくない。 「露店、いいんじゃないか」 「え?」  思わず聞き返していた。「あんたが誘ったんじゃないのか」と苦笑される。 「祭りは行ったことがない」 「そ、そうか、それはよかった!」 「よかった?」 「あ、いや、誘いに乗ってくれてよかった。俺も宵山は初めてなんだが、問題なく案内できるよう調べておく」  嬉しくてテンションが空回りしているのがわかる。  鬼とは関係ない祭りだ。それでも、今すぐ明日の夜になっても構わないと気が急く。ネギ焼きの美味さも相まって、今晩のビールは一杯では済まなかった。
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