大江の昔の恋人

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 アルコールがまわり、浮かれた心地のまま京都駅前のシティーホテルにチェックインした。予約サイトに誤りがあり、案内された部屋はツインではなくダブルだったが、満室と言われては諦めるより他なかった。ベッドはクイーンサイズだと言うし、男二人で寝てもなんとかなる。酔っぱらった頭ではそう思っていた。  大江がシャワーを浴びている間、備えつけの金庫にカラクリ箱を仕舞い、所在なくノートを書いていた。  ただ、水の音を聞いているとどうにも脈が速くなる。  気持ちを落ち着けたいときは、普段と同じ行動をすればいいはずだが、今まさにノートを書いていてこの状態ではどうしたらいいのか――。 「何を書いてるんだ?」  戻ってきた大江はパジャマのズボンだけ履いた恰好で、濡れた髪を拭いていた。  ノートを傾けて見せると、「日記か?」と訊ねられる。 「いや、日記とは少し違うな。その日にあった、感謝したいことだけを書き残している」 「……見ても?」 「構わないが、詳細に書いてるわけじゃないからわからないと思うぞ」  すぐ隣で大江がノートをパラパラと捲る。  出来事しか書いていないノートは、読まれたところで困ることも恥ずかしいこともない。書き始めた頃は朔久鷹に見せることもあった。 「さっきのことも書いてるのか?」 「ああ、楽しい夕飯だった」  二枚目に焼いた京風お好み焼きでも蓮介の挑戦は失敗に終わったが、大江はまたフォローしてくれた。  ベッドに腰をかけ、大江はノートから目を離さなかった。そう真剣に読まれても、夢での非現実的な出来事まで書いている日もある。 「ノートをつけ始めたのは、鬼にしか興味がない俺を心配した朔久鷹の提案だ。人間を好きになれるようにと。最初は現実的なことだけを書いていたんだが、いつからだったか、人を好きになるように強要されている気分になってな。夢に見る鬼のことまで書き始めていた。実在するとは思っていないから、鬼好きなんだと温かい目で読み流してくれ」 「だが、最近は俺のことばかりだな」 「君といる時間が長いんだ。そうなる」  図書館で棚から庇ってもらったことや、研究室の整理整頓、今日だってそうだ。大江といると書くことに困らない。 「このノート、書き終えたものはどうしてるんだ?」 「一応残してあるが、保管しているというより捨てていないだけだな」  何せ部屋が部屋だ。捨てた記憶はないから、どこかに埋もれているはずだ。今のノートも残り数ページで同じようになるだろう。 「だったら、俺にくれないか」  顔をあげた大江はどこか思いつめた表情をしていた。 「これを? 物好きだな。面白いか?」 「読んでると自分が良いことをした気になれる」  ノートの一冊くらい譲っても構わないが、少し引っかかった。実際の出来事しか書いていないが、大江は自己肯定感が極端に低いのだろうか。  ――そうは思えないが……。 「なあ」  今度は蓮介が顔をあげる番だった。 「もしあんたが晴親だったら、カラクリ箱を開けてほしいと思うか?」 「もしって、唐突だな」  しかし、回答に悩むことはなかった。 「思うだろうな。君も知っての通り、俺は極度の鬼好きだ。恋人の鬼が外で待ってるんだろう? 会いたいに決まってる」 「箱の外が危険でもか? 妖に狙われ、同胞に煙たがられ殺されるかもしれないとわかっていても?」 「その辺はまあ……何とかなるだろう。俺にとっては鬼の方が重要だ」  妖のことはわからないし、その陰陽師のように死んだ経験もないが、蓮介も現在進行形で親族から煙たがられている。 「そうか……」  大江と目が合い、おかしなことを言ったかと焦った。  大江はすぐに目を逸らしてしまったが、瞳が揺れているように見えた。
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