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祭
十七時には新幹線に乗れそうだったが、蓮介は京都駅に着いたところで市営地下鉄に乗り換えた。
どうしても宵山に参加したかった。未練がましく、大江に会えるかもしれないと期待した。昨日の大江の笑顔まで嘘だと思いたくなかったのだ。
コンコンチキチン、コンチキチン。
四条駅を降りて地上に出ると、どこからともなく祇園囃子が聞こえた。まだ日は落ち切っていないが、もう祭りは始まっているらしい。大通りにも提灯を点灯させた鉾が見える。
夜祭りとあって浴衣や甚兵衛を着た客も多い。チョコバナナを持ってご満悦の子ども、焼きそばや箸巻きを食べながら道路脇でたむろしている学生もいる。缶ビールときゅうりの一本漬けを楽しむサラリーマンも。
歩行者天国のはずだが、人が多すぎて道がなかなか進まない。
――一人でどう歩こうか。
立ち止まるとよけいに、盆地特有の蒸し暑さが肌に纏わりついた。
「よければどうぞ~!」
「これはどうも」
ドラッグストアの前でうちわが配られていた。黄色い派手なデザインで、裏には祇園祭のマップがプリントされている。露店は四条通ではなく、烏丸通や室町通に出店しているらしい。
蓮介は四条通から室町通を上り、すれ違う人の顔を見ながらゆっくり歩いた。大通りから外れるだけで人が減って歩きやすい。
「いるわけない……」
露店から漂ってくるソースやベビーカステラの匂い。
大江と来たかったなんて、未練たらしいとわかっていても引きずらずにいられない。鉾の燃えるような提灯の灯りを見ていると、一人でいることをよけいに寂しく感じる。
――さすがに帰るか……。
思い直し、駅に向かって踵を返したときだ。
後ろから悲鳴が聞こえた。蜘蛛の子を散らすように参加者が走り始める。
「な、に……?」
転がってきた提灯が革靴の先にぶつかった。頑丈に留められていた鉾の縄が解け、左右にぐらつきながら一つまた一つと提灯を落としている。
避難しないと鉾の下敷きになる。傾く鉾を前に蓮介も逃げようとした。しかし、右足がまるで何かに掴まれたように動かなかった。
足を引きずってでも走ろうとしたが、強く足を引っ張られ、その場に尻もちをついていた。
すぐ近くに迫った提灯は眩しく、見ていると目の奥が焼けてしまいそうだった。
――ああ、これは、死んだかもしれない。
体が傾いで視界がブレる。
「……っ!」
ドンッと鈍く重い音が聞こえ、半身に衝撃が走った。悲鳴や騒ぎ声がすぐ近くで聞こえた。
「あんた、大丈夫か!」
次に目を開けたとき、蓮介はアスファルトに倒れていた。頷くと通行人の男性に腕を引き起こされる。
一人だけ賑やかな世界から切り離されたようだった。
状況を把握できないが、目だけは正面から逸らせない。
「え……」
先ほどまで崩れてくる鉾の下敷きになる場所にいた。それが今、鉾の残骸は蓮介の足元にある。集まった通行人が邪魔で、騒ぎの中心で何が起きているのか見えなかった。しかし、立ち上がろうにも腰が抜けている。誰かが救急車を呼んでいる。誰かはスマートフォンで写真を撮っている。コンコンチキチンの祇園囃子を搔き消すように交通整備の笛が鳴る。
「兄ちゃん、あの兄ちゃんの連れか?」
聞けば、蓮介を突き飛ばした人物がいると言う。
通行人の手を借り、蓮介は『兄ちゃん』に近づいた。
「は……、ぇ……?」
大江だった。ぐったりした大江が鉾の下から助け出されている。アスファルトには引きずったような血の筋が残り、寝かされた大江の下からは流れるように血が広がっていた。
「お、大江くん……っ! 大江くん!」
髪に触れると手にべっとり血がついた。顔は擦り傷程度だが、頭を怪我しているらしい。それに、足の骨が折れているのか破れたジーパンの隙間から白い何かが覗いている。
「な、しっかりしろ、大江くんっ! 大江くんっ!」
錯乱したように叫んだ。通行人に止められても、呼ばずにいられなかった。
何度も呼びかけると大江が顔をしかめたような気がした。
「大江くん……っ、俺の声が聞こえるか!?」
かろうじて意識があることに胸を撫でおろしたのも束の間、大江はぎょっとしたように目を開けた。
「……っ、あんた、怪我は?」
「お、俺はそんな、それより君が……っ」
「俺は、問題ない……」
周囲の騒ぎを認識した大江が舌打ちをする。
「悪いが、肩を貸してくれ」
大江はそう言うと蓮介の肩に手をまわし、自分で立ち上がろうとした。しかし、足が折れている。中腰になったところでふらつき、蓮介が抱きとめた。体格に差があって蓮介もよろめく。
「兄ちゃん、怪我してんだから大人しくしてな!」
動こうとする大江を見て周囲がざわつく。
「そうだ。救急車が来るまでじっとしてた方がいい」
「それじゃまずいんだ……。こいつらに構うなと言ってくれ」
「いや、しかし……っ」
「頼む。面倒は困るんだ」
耳元で大江が懇願する。
「頼む……」
蓮介は集まっていた通行人に自分たちで病院に向かうと説明した。事故だ、大怪我だと引き留める人間もいたが、まだ鉾の下敷きになっている人がいるかもしれないと言えば、彼らの興味は鉾に移った。
「君、病院にもかかれないお尋ね者なのか?」
人ごみを抜けながら訊けば、大江が笑ったような気がした。
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