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夏休み中のキャンパスは人もまばらで、研究室がある五号館の照明はほぼ消されていた。人のいない、薄暗い館内でサトウを研究室に招くのは少し気味が悪く、蓮介は研究室の扉に貼り紙を残し、待ち合わせ場所を同じ館内のアトリウムに変更した。曇天のせいで明るく開放的な空間とは言い切れないが、それでも天井が高く空も見える分、気分はマシだ。隣には大江もいる。
大江は少し気が立った面持ちだ。
「倉橋先生」
約束の時間通りに現れたサトウは、蓮介が勧めた椅子に浅く腰をかけた。丸テーブルに置かれた封筒と蓮介の顔を交互に見て、「それで、カラクリ箱はどこでしょう?」といきなり本題を切り出した。長居するつもりはないらしい。
「まずはお金をお返しします」
「これは迷惑料のようなものです。返していただく必要はありません」
目を細め、笑顔のような表情で話すサトウに向けて、蓮介は封筒を滑らせた。
「いえ、そもそもいただくつもりはありませんでしたから。それに、率直にお話ししますが、あなたからお預かりしたカラクリ箱は盗品だと確信しています」
「盗品ですか?」
「ええ」
蓮介は宝物殿でもらった監視カメラの写真をサトウに向けた。続けて、サトウと同じ顔の窃盗グループ一員・佐島の死亡を報道した切り抜きを並べる。
「説明していただけますか?」
サトウから表情が消えた。
「先生、カラクリ箱は持ってきていないんですか?」
「いいえ、ここにあります」
蓮介はサマージャケットの内ポケットを指さした。
「あなたは箱の中を知りたがっていましたが、そもそも空でした。箱を開けなくてもスキャンすれば中は簡単にわかります。にもかかわらず、あなたは三百万も渡し、私に空の箱を開けさせようとした。目的はなんですか?」
蓮介が問い詰めても、サトウは表情を変えないどころか身動きひとつしない。いっそう気味が悪くなってくる。
「サトウさん?」
返事を促すと、サトウは人のものとは思えない力で蓮介のジャケットを引き寄せた。テーブルの縁に腹を打ち、息が詰まる。
「ぐ……っ!」
「おいっ!」
しかし、カラクリ箱を取られるより先に、大江がサトウの手首を捻った。男の汚い悲鳴がアトリウムに響く。
「どうしましたか!?」
声の方に視線を向けると、遠くから職員が駆けつけてきた。
「倉橋先生! 大丈夫ですか?」
「あ、ああ、お騒がせして申し訳ない。うっかり椅子から落ちてしまい。もう大丈夫――」
「おい、これ」
「え?」
サトウの姿は忽然と消えていた。代わりにフロアに人型の和紙が一枚、腕がもげた状態で落ちていた。
「式神だな」
大江が眉間にしわを寄せる。
紙をひっくり返して見えた字体には覚えがあった。
「癖の強い丸文字……」
普段使う書き文字とは異なる字体で書かれているが、マンションの玄関に同じ書体の札を貼っていた。見慣れている。
「確かに朔久鷹なら、箱の逸話を知る機会もある、それに先月は京都に出張――」
式神が存在する非現実的な状況は受け入れるしかない。鬼や妖がいるのだから式神もいるだろう。
見えないものの存在を否定し続けていたのは、今までもずっと蓮介一人だけだった。
「けど、どうして俺に直接言わず、こんなまわりくどいことを……?」
朔久鷹とはどんなことも話してきた仲だ。窃盗は許容できないが、朔久鷹からの相談であれば、そもそも蓮介はカラクリ箱を疑うことさえしなかっただろう。
「理由がどうであれ気が重いな。それに、朔久鷹と口論になって勝てた試しがない」
今から本家へ行く。朔久鷹にそう連絡を入れた。
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