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本家2
タクシーが本家に着いたとき、ぽつぽつと雨が降り始めた。あいにく傘は持っていない。
「駅前で待っていてくれ」
本家まで来ると言って聞かなかった大江を振り返り、蓮介は胸ポケットからカラクリ箱を出した。
「それまでの間、君に預けたい。朔久鷹とは大喧嘩になりそうだからな……。壊しては大変だ」
「やはり、俺も一緒に入る」
「待て待て。鬼は陰陽師に調伏されるものじゃないのか? 令和の時代に、鬼VS陰陽師の戦いが繰り広げられるとは思わないが、俺は何事も穏便に済ませたいんだ。大丈夫だから、雨のかからないところで待っていてくれ」
そうまで言っても、タクシー代を払おうとした手は大江に阻まれた。
「俺が心配しているのは箱だけじゃない。あんたのこともだ」
「俺を?」
「俺は……どうしてこんなにあんたのことが気になるんだ? あんたが二つ目の箱を開けたからか? それとも食ったからか?」
「晴親の生まれ変わりだからだろう?」
「この千年、晴親が生まれ変わっては死ぬのを何度も見届けてきた。恋しさと寂しさで押しつぶされそうになっても、晴親を思うと自分の気持ちは堪えられた。でも今は、あんたの手は離したくない……」
苦しそうな大江の顔が近づいて来る。わずかに唇が重なり、その温もりを惜しむ間もなく離れていった。
運転手の咳払いが聞こえハッとした。途中になっていた支払いを済ませ、赤くなりかけた耳をごまかすように大江の髪をくしゃっと撫でた。
「確かに俺に特殊な能力はないが、これでも頭はいい方だ。心配しなくても、朔久鷹から事情を聞くくらいはできる。大丈夫だ」
「一時間経って駅に来なければ中へ入る」
「ははっ、なら三十分で終わらせてこよう」
駅に向かうタクシーを見送り、蓮介は本家のチャイムを鳴らした。
雨の降る庭は、本来ならもっと美しく見えるものかもしれない。池を揺らす雨も、枯山水を濡らす雨も、花を揺らす雨も、今の蓮介は何ひとつ興味を持てなかった。
三十分以内に話を済ませて、大江のところに行きたい。そのことだけを考えていると、庭の景色なんてあってないようなものだった。
朔久鷹が居間に座ると、いつも通り家政婦が冷えた麦茶を運んできた。昔からの付き合いだが、よくよく顔を見ると、どことなく死んだ蓮介の母親に似ていた。式神というのは作り主が明確に姿形をイメージして生み出すものだと陰陽師の指南書で読んだことがある。
麦茶を半分ほど飲み終え、腕の破れた形代を朔久鷹に差し出した。
「この式神はお前が寄越したものか?」
朔久鷹は驚かなかった。蓮介が何の用で本家に来たかわかっていたのだろう。
「目に見えないものは信じないって、ずっとそう言い続けてたのに、今は信じてるんだ?」
「それに関しては俺が悪かった。能力がないことへの僻みだ。最近、いろんなことが起こりすぎて反省したところだ」
「ふーん。それで、肝心の箱は?」
「友人に預けてきた。今日はお前と喧嘩になるような気がしたからな」
お互い確かにまわりくどい話は苦手だが、朔久鷹の斜に構えた様子が気になった。
「どうして箱のことを俺に直接相談しなかったんだ? 依頼人からは箱の中身を見たいと言われたが、お前はこの中が空だと知っていただろう?」
「蓮介が箱を開けたときに見てるからね」
朔久鷹は畳に後ろ手をつき、どこか自虐めいた表情で笑った。
「気絶してたし、視えないから真相まで知らないよね? その箱を開けたら百鬼夜行が始まって、鬼は来るし、俺一人でめちゃくちゃ怖かった」
百鬼夜行も鬼も見ていないが、目覚めたあと朔久鷹がひどく怯えていたのは覚えている。
「怖くて動けなくて、それを父さんたちに言ったら何て言われたと思う? まだ七歳の子ども相手に、鬼のひとつも調伏できないのか、お前には才能がないって説教されたの」
朔久鷹は自嘲するように笑った。
「それからずっと、鬼を掴まえて父さんを見返してやろうと思ってたんだけど、鬼なんてそう出会えるものじゃない。源頼光一行みたいに、鬼隠の里に乗り込まない限りね」
そこで『鬼を呼び寄せる箱』に目をつけたと言う。朔久鷹が鬼を見たのも、蓮介が安倍家に伝わるカラクリ箱を開けたときだった。
もう一つのカラクリ箱の存在は知っていたが、幸徳井家に伝わる箱を盗むわけにいかない。半ば諦めていたところ、家の解体とともにカラクリ箱が宝物殿へ寄贈されることになった。
「チャンスだと思って盗んだんだけど、持ってるだけじゃ鬼は現れなかった。けど、開封しようにも俺じゃ仕掛けが解けなくて」
それで、かつてカラクリ箱を開けた蓮介に依頼をした。しかし、蓮介はカラクリ箱が盗品であることに気づくかもしれない。そう考えた結果、京都のローカルニュースで見かけた人物に似せた式神を利用した。
「三百万は?」
「怪しすぎるくらいが、いろいろ動きづらくていいかと思って。でも、蓮介に預けてよかった」
「何だ?」
朔久鷹は立ち上がって蓮介を見下ろした。
「蓮介って、能力はないくせに妖に好かれる体質だから」
「え、ああ……自覚はないが、朔久鷹にもずいぶん助けてもらったのかもしれないな」
蓮介がそう言うと、朔久鷹は唇を引き結んだ。
「それは別に。蓮介相手なら能力なんて気にしなくていいし、俺が守ってあげなくちゃって可愛い弟分みたいに思ってたから。でも、能力もないのになんで……」
鬼を呼び寄せられるのかと、朔久鷹が顔を歪めた。
「この間連れてきた子、鬼だったね。準備ができてなかったから黙ってたけど、鬼なんて連れてたら低能な陰陽師でも気づくよ」
朔久鷹は一体何を企んでいるのか。
「ごめん、お茶に盛った」
朔久鷹を問いただそうにも、急な眠気に襲われ、それ以上は目を開けていられなかった。
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