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大江山の秋は平安京内より早くやってくる。
内で生じた穢れを排除する土地――四堺の一つとされ、その生臭さがこの小高い山を紅く染めるのかもしれない。もしくは、都から追放された山賊どもに襲われた人の血か。
身綺麗な恰好で入山するのは襲ってくれと言っているようなものだったが、陰陽師は得意の呪詛でさらりと妖や獣の類を伸し、乾いた落ち葉を踏みながら山の奥を目指した。
目的の場所は老ノ坂峠の南側、子安地蔵だ。
頼光らが酒呑童子の首を討ったあと、それを持って都を凱旋しようとした。その際、穢れを都に持ち込むと咎めてくれたのが子安地蔵だった。
「まったく、今思い出しても四天王方は阿呆ばかりだな」
鳥型の式神を相手に愚痴を溢す。
言いたいことは山のようにあるが、おかげで念願の鬼に出会えたのも事実だ。
陰陽師は子安地蔵に手を合わせ、近くにあった岩に腰を下ろした。ひと息ついて、懐から水の入った瓢箪と団子の包みを出す。
正面の雑木林が不自然に揺れた。
「お、来たな」
陰陽師が何も言わずとも式神が中に入っていく。
「お前も食うか?」
団子を差し出して問いかけた相手は、今日こそ陰陽師に仇討ちしようと立ち向かってきた子鬼だ。
人間の子どもでいう三つくらい。子どもで手足が短く、陰陽師の白く細い腕でも簡単に捕らえられる。
子鬼は両脇を掴まれ、宙で足をバタつかせた。
「この貧相な体で俺に挑もうとは、お前は本当に命が惜しくないのだなぁ」
「死のうとしているのではない!」
子鬼の頭には小指の先ほどの小さな角が生えている。陰陽師はそれに触れ、最後に洗われたのがいつか見当もつかないほど土埃の絡まった髪を撫でた。
子鬼の大きな目からはぽろぽろ涙が溢れていた。
「お前とは山へ来るたび会っているが、ちゃんと飯は食っているのか? 半年でずいぶん痩せたのではないか? 頼光や晴明を倒したいのだろう? この軽さでは何年かかるやら」
言い過ぎたか。しゅんとした子鬼の体を離してやると、子鬼は即座に陰陽師の腕に噛みついた。
「あたたっ! これ、噛むな。あたたた」
苦笑いしながら牙を引きはがし、開いた口には腕の代わりに団子を押し込む。
「むむーーっ!」
「俺はこれでもお前を買っているんだ。酒呑童子が討たれて半年経つが、一人で山の寒さを生き延び、諦めず仇を取ろうとしている。俺も陰陽師の端くれだが、お前に食われて死ぬなら構わないと思えてな」
子鬼の周りを舞っていた式神が、反対するように陰陽師の肩へカサカサとぶつかる。
「晴明はここには来ん。父は京の守りで忙しいからな。仇討ちとなると、お前が京の結界を超えて来ねばならんと言うことだが……、その力をつけるより先に、本当に一人で冬を越す自信はあるのか?」
春から秋にかけては、山の中で食う物も見つけられるが冬は違う。動物と違って鬼には冬眠の習性もない。体を温め合う相手がいなければ、心もいっそう冷えるだろう。
「そこでだ。お前、俺の式神にならないか?」
口角をあげて言うと、子鬼は咥えていた団子の串を地面に落とした。
「『鬼に横道なきものを』お前の父はそう言ったそうじゃないか。お前を見ていても姑息なことはしそうにない」
陰陽師は「そういった点でも俺は鬼が好きでな」とおおらかに笑う。
「俺の寝首もかけることだ。悪い話ではないだろう?」
「寝首……」
「あ。ただ、ゆくゆく料理だけはできてもらわないと困る。家の事は式神にさせているんだが、同じ料理しか作れず飽きがきていてな」
「りょ、うり?」
「お前は何を食べるんだ? 人間だけではないだろう?」
「お、おれは半妖だ。人間は食べない。共食いになる」
「では用意する食事には困らなそうだ」
はっはっはっ、と軽い笑い声が山の中に響く。
陰陽師は団子を新しい食い終えた子鬼を抱え、来た道を戻ろうと歩みを進めた。
「なに、悪いようにはせん。……待てよ。これでは悪人の台詞のようか? はっはっはっ!」
子鬼は先ほどまで潜んでいた茂みの方や子安地蔵を振り返り、何度も陰陽師の横顔と見比べていたが、腕の中で暴れることはしなかった。
帰路を案内するように鳥型の式神が前を舞う。
「式神になるなら名前を考えんとな。そうだな、大江山で出会ったことだし――」
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