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野球か。私が今更野球をして、何か意味があるのだろうか。前の晩考えても結論が出る事は無く、翌日、午前中に取り敢えず使わなくなった物を収納している庭の倉庫を漁る事にした。乗り気というわけでも無いが、やる場合は道具が無いと話にならない。
埃っぽく薄暗い押入れに入ると、何年も使用していない場所にも関わらず、求めている物が何処にあるかが一瞬で分かった。何せ、他のものが詰められている段ボールや収納タンスには「思い出の物」「家電」などと文字が書いてあるガムテープが貼られているにも関わらず、ただ一つだけ何も書かれていない大きな段ボールがあったからだ。
そうか、私はずっと逃げていたのだな。
隅に追いやられ、内訳も書かれていないその段ボールの様子を見れば嫌でもそう実感させられる。
ここで、向き合わなければ。昨晩横山に会ったこともあって私は多少の躊躇いはあったが、そのダンボールを開けた。それがパンドラの箱では無い事を願って。
実際、心して開けた所で中には大したものは入っていない。使い古されたウインドブレーカーに、潰れてしまっているエナメルバッグ。そして大学の野球部に入る事をきっかけに買い替えて、捨てるのも憚られたので取っておいた高校時代のグローブ。ノスタルジックな気持ちになるものの、特に気持ちを揺さぶられる様なものでは無い。そう思っていると、隅っこに畳まれている帽子を見つけた。
そう言えば昨日、横山が言っていたな。「帽子の裏に何て書いていたか覚えているか」と。一体私は、何て書いていたのだ。無性にそれが気になり、帽子を手に取って広げた。
その裏には、色褪せていて少し読み辛いものの、しっかりと力強く「グラウンドではバカになれ!」と書かれていた。その文字を見た瞬間、脳内に記憶の波が一気に押し寄せてくる。
「そうだ、私は色々普段から考え過ぎるところがあるから、と横山に言われてこう書いたんだ」
そして、横山の帽子の裏に書かれた意味も思い出した。「ならお前は普段使わない脳を少しは野球をする時に使え」と私が言った事で、その言葉になったんだ。
私は暫く、その帽子から目を離す事が出来なかった。私の心はとっくにその瞬間から決まっていたが、それを見るだけで自分の身体に付いたスイッチが押され、身体中からエネルギーが湧き出る様な沸々とした熱さを感じて、抱えていた悩みや鬱屈とした社会人としての想いがどんどんと浄化されている気がして、やめられなかったのだ。
大人になり、社会人というパンドラの箱を開けてみれば、沢山の苦労や嫌な事を体験した。
いや、箱なんて大層なものじゃない。俺たちは「学校」や「親の庇護」などという大きなヒトの形をしたモノのポケットから「世間」へその時を迎えれば放り出されるだけ。ただただ、大抵の人間はその力に対して無力だ。
でも、それが「災い」だとは思わない。俺は今、新たな希望を押入れの箱から取り出したんだ。
エンタイトルツーベースヒット、結構では無いか。一度落っこちて行ったってあのヒットのように、また跳ねて、高く飛べば良いだけだ。
取り敢えず、横山に「明日は参加する事にした」と伝えなくてはな。
こんなに心躍る気分で電話をかけるのはいつ以来だろうか。
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