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(9)
その日、ナイト侯爵家の当主であるクラウンからの依頼により、街中の酒屋から大量の酒がナイト侯爵邸に集められていた。葡萄酒(ワイン)が名産のルーンメッセには酒屋が多く存在し、このような急な要請にも答える事が可能なのが幸いしていた。
そんな数多い酒屋の一つ、家族で営んでいる小さな酒屋の主人である男は、今年二十歳になったばかりの跡取り息子と共に、店でも評判の質の良い酒を馬車に積み込み、ナイト侯爵邸に向かっていた。
「なんでも街中の酒類を集めてるらしいよ、父さん。何か盛大なパーティでもあるのかな?」
御者を務める息子の言葉に、父親も首を傾げた。
「さあ、何だろうな。しかし、どうせろくな事ではないだろうよ。妙な連中が屋敷に出入りしているらしいしな……。クラウン様はお変わりになられてしまった。以前のクラウン様は領民思いのとても優しい領主様だったのに」
「うん。今のクラウン様はなんだか怖いよね」
父親の憂いを込めた言葉に同意し、息子も頷く。しんみりとした空気が親子の間に漂った、ちょうどその時、道の前方に一人の女性が倒れ込んできた。
「危ない!」
咄嗟に手綱を操作して女性を避ける。だが、どうやらその女性、具合が悪いらしく、お腹を押さえ込んで苦しんでいるようだった。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて息子が馬車の御者台から降りようとした瞬間。
「すまない」
そんな、聞いた事もないようないい声が聞こえたかと思ったら、見た事もないような典雅なる美貌が目の前に現れたのだった。
「ごめんなさいね、あなた方に罪はないんだけど」
人目のない場所に人の良さそうな酒屋の親子を転がして二人に手を合わせたミルフィンは、まるで夢見るような表情のまま気絶している彼らを見て軽く顔を引きつらせた。
(リュセル王子もそうだケド、あの顔の威力は本当に破壊的だわ)
「何をしている、行くぞ」
変な感心の仕方をしているミルフィンを見咎め、レオンハルトはティアラの手を引いて馬車の荷台に二人で乗り込みながら彼を呼んだ。
「は、はい!」
そして、ミルフィンも急ぎ準備万端なハミルの隣り、つまりは御者台の上に乗り込む。
「さあ、行くわよ! ハミル!」
「はい、ミルフィン様!」
ミルフィンの掛け声に呼応するように馬車を出発させたハミルは、街の中心にあるナイト侯爵邸を目指すのだった。
「お姉様……」
一方、荷台に乗せられた樽の間にレオンハルトと共に身を隠したティアラは、祈るように目を閉じていた。
「私から離れてはいけませんよ、ティアラ姫」
「はい、レオンハルト様」
レオンハルトの言葉に頷きながらも、相手の冷静な琥珀の瞳を見返して、ティアラは不安になる。
(なんだか……、嫌な予感がしますわ)
宝鍵の勘とでもいうような漠然としたそれは、過去何度か感じた事があるよくない前触れだ。それも、ティアラのそれは外れた事がない。それが更に彼女の不安を誘った。
*****
「お前達で最後だぞ。早く入れ」
ようやくたどり着いたナイト侯爵邸の裏口にて、案内役の使用人の指示により馬車を止めると、ミルフィンはにっこりと愛想よく笑った。
「ごめんなさい。道が混んでいたものですから」
美しい女性に綺麗な微笑を向けられ、屋敷の使用人の一人である男はデレーっと鼻の下を伸ばす。
「い、いやいや、道が混んでたんじゃ仕方ないよな。だ、大丈夫かい? 重いだろう、手伝うよ」
荷台から酒樽を降ろすのを手伝おうとする男にミルフィンは答えた。
「大丈夫よ、男手をきちんと連れて来ているから。優しいのね、ありがとう」
「い、いや~。じゃ、じゃあ俺は、降ろしたやつを屋敷の中に運ぶな」
「はい」
ミルフィンがにっこりと笑うのを見て頬を染めると、男は酒樽を二つ肩に担いで、たくましいところをアピールしながら勝手口から邸内に入って行った。
出迎えに来た使用人は彼一人だった為、一瞬ではあるが裏口付近には誰もいなくなる。周囲を見回したミルフィンは、馬車の荷台に潜んでいるレオンハルトとティアラに呼びかけた。
「今がチャンスですわ」
聞こえた言葉にレオンハルトは無言で頷くと、女神の剣と黒煉の剣の両方を持ったまま、馬車の荷台から降りる。
「私達は正面入り口付近で騒ぎを起こします」
二人が荷台から降りるのを見てとると、ミルフィンとハミルは着ていたコートをバッと脱ぎ捨てた。
翻る深紅のマント。
薄いピンク色をしたスーツに、赤いネクタイ。
顔を覆う、テディベアのお面。
派出で趣味の悪い怪盗テディベア仮面の姿は、人目を引きつけるにはもってこいだ。決して一緒に歩きたくはないが……。
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