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あの子供。マーリンと呼ばれていた子供の持っていた装置が厄介である。あれがある限り、自分は身動きが取れない。
(癪に障るが、レオンハルトが来るまで何も出来ないという事かい)
目印となるリュセルのブレスレットを隙を見て馬車から投げ捨てたが、それがきちんと相手に届いているかどうか。
(ハミルの奴はドジでまぬけだが、細かいからねぇ。ミルフィンの従者を長年しているだけあって)
おそらく、自分の残した痕跡を拾ってくれているはずだ。
(しかし、リュセルと引き離されたのは痛いな。あの子は本当に無事なんだろうね)
発熱しているらしいが、大丈夫なのだろうか?まあ、自分に対する大事な人質だ。丁重に扱っているはずである。今はそれを信じるしかない。
「リュセルに何かあったら……、あいつ、世界をぶっ壊してしまうかもしれないぞ」
本当に容赦のない、元婚約者にて幼なじみでもある、あの最強王子の戦闘力なら、それは可能かもしれない。きっとたった一人でナイト侯爵領そのものを焦土とする事も可能だろう。
そう、ナイト侯爵領……。
黒幕がナイト侯爵だとすると、ここは彼の領地の中に存在する街の一つ。
「ルーンメッセか」
彼の本邸があるのが、確かルーンメッセの街だったはず。
(それにしても、動向が変なんだよなぁ。ここの奴ら)
第一、ヒューマンという反女神組織こそ変だ。
知れば知る程、不可解である。何故、そこまで創世の女神を憎むのか? 創世神への信仰は、彼女の生み出した子供達……、人間の魂、その奥深くに刻まれているものである。ちょっとやそっとの事じゃ、神に叛逆しようなどと思いもしないはずだ。
「もしかすると、何かに誘導された……とか?」
例えば、人生の中で、大きな苦しみ、悲しみが襲ったとする。人々は嘆くはずだ。己が運命を呪うはずだ。だが、他者の支えを受けた人々は、自分の足で再び立ち上がり、もう一度強く生きて行こうとするだろう。耐えきれずに死を選ぶ者もいるかもしれない。でも、大半が前者の道を歩む。
しかし、そこに、何かしらの力が加わったとしたら?
その、絶望が
その、怒りが
その、悲しみが
すべて創世の女神と、その子供達に向くように仕向けられたら?
(そうだとすると、奴らの矛盾さにも納得がいく)
邪気を人間の力で滅ぼせると、無謀な事を言い放ったワトスンのおかしさも。
女神の宝を手放せば邪気も消失すると、勝手に信じ込んでいる他の奴らも。
(何かに利用されている、という事かい)
ジュリナはそう考えると同時にワシャワシャと髪を掻いて、考え疲れたようにソファに倒れ込んだ。
ー嫌だ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 止めてくれっ!!ー
体中を這い回る、冷たい舌。
口内を蠢く、闇の気配。
邪気に蹂躙された心。
ーレオン、レオン、レオン、レオンッー
何よりも愛おしく恋しい半身の名を呪文のように繰り返し、閉ざされた闇の中で絶叫する。そうして、ひどく怯え震えるリュセルが壊れる寸前に、それは響いた。
”愛し子よ 愛し子よ”
暖かい、慰めるような美しい詩声。
”共にありし 我が想い
万物に宿りし 我が祈り”
優しい母の子守詩。
ーレイ……デュークー
”そは彼らの為に在る
そはお前達の為に在る
あの子の為に奏でし祈りの詩”
その詩声は、耳に、頭に、胸に、心にしみ渡り、リュセルは落ち着きを取り戻す。
”喜びも悲しみもすべて忘れ
我が腕で眠れ 愛し子よ”
詩の終わりと共に目の前に現れた、自分と同じ色の髪をした美しき女神。その輝く瞳は、今自分が最も会いたいと願う兄と同じ色。
金色。
爛々と輝く、気高きその色。
ー兄さっー
ーおいで、吾子ー
伸ばされるたおやかな褐色の腕に、再び怯えたように瞳を揺らすリュセルを哀しげに見たレイデュークは、今現在、我が子が求めている姿にその身を変える。
ーおいで、リュセルー
一瞬の揺らぎと共に目の前に現れたのは、長い胡桃色の髪を無造作に背後に垂らした麗人。
ーあ、あああ、レオンー
縋りつくように腕の中に飛び込んできたリュセルの体を強く抱きながら、レオンハルトの姿をしたレイデュークは再び詩を奏でた。すべては、恐慌状態にあるリュセルを落ち着かせる為に。
”愛し子達よ……”
それは、いつまでもいつまでも、リュセルの中で響いたのだった。
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