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(8)
「着替えも持ってきますよ。今のままでは気持ち悪いでしょう?」
その言葉を残して部屋を出て行ったらしいクラウンが、外から部屋の鍵をかけるのを聴覚で気づいたリュセルは、寝台の上で自分の体を抱きながら丸くなり、自身を落ち着かせようとした。
(震えが止まらない。何故だ)
あの男。邪気を感知しない事から、人間のはず。なのに……。
(何故、こんなにも恐ろしいんだ)
ー姉上ー
(ッ!?)
不意に頭の中で響いた、無邪気な少年の呼びかけ。リュセルは咄嗟に口を両手で抑え込んで悲鳴を封じる。
ー愛してる。ずっと愛してるよ、僕の姉上ー
(俺はお前の姉上じゃない!)
どんなに拒絶しようとも、少年のうっとりとしたような熱っぽい声が脳裏から離れない。
ー姉上、姉上、姉上、姉上、姉上、姉上…………、レイデューク姉上。僕のモノ……ー
「ううぅぅっ」
ー人間嫌い、人間嫌い、人間嫌い、人間嫌い、大っ嫌いっ! 僕から姉上を奪ったー
「や……めろ…………」
ー滅びるがいい、愚かな人間ども!ー
「やめろーーーーっ! スノーデューク!」
耐えきれずに頭を抱え込み、そう叫んだ瞬間
ガッシャーン
どこかでガラスの割れる音がした。
「!?」
咄嗟に身を起こし、音のした方向に目を向けると、そこから風が吹き抜けてくるのを感じる。どうやら窓ガラスが割れたらしい。
「何が……」
一体何が起こっているのか、今の自分の目では何も見えず、わからなかった。幸か不幸か、その突然の出来事でそれまでの恐慌状態から脱する事が出来た事になるリュセルは周りを警戒する。
その時
チチチチチ
そんな音がしたかと思ったら、鳥の羽ばたく小さな音が聞こえた。
(鳥?)
そして、自分の肩に突然、それは降りてきたのだ。
「こ、小鳥……か?」
見えない為、肩に止まったそれに手で触れてみると、それは小さな足を使って、リュセルの指へと移動する。恐る恐る触ってみたその感触は小さく柔らかく、触覚だけでリュセルはそれが小鳥である事を悟った。
(なんだか慣れているな。この鳥)
誰かに飼われでもしていたのか、リュセルが触れても逃げ出しもせず、小鳥は触れた指に身を摺り寄せて来た。
「どこから来たんだ、お前は?」
そう言いながら、柔らかな羽毛を指先で撫でてやる。大人しい小鳥は、されるがままになっていた。一体、どんな姿をしているのだろうか?きっと、とても愛らしいに違いない。目の見えない今の自分では、この小鳥の姿を想像するしか術はなかった。
そうして、リュセルは小鳥に触れていた左手を自分の目の前に翳すとおもむろに振った。何も映さぬ瞳は、見る力を完全に失くしている。振った手の影すら映らない。
一方の、リュセルの指先に止まった小鳥は、自分の監視対象のそんな様子に項垂れる。ずっと監視任務を続行していた為、彼の目が見えなくなっていることにも気づいていた。
彼は、ただ監視対象だ。決して情など移してはいけない。人の事を考えている余裕など、自分にはないはずだ。この剣鍵の体液を摂取した邪神は、段々と力を取り戻している。本来なら眠りについてから100年は目覚めないと思われていたが、このままだと、後ほんの数か月で目を覚ますかもしれない。
そうしたら終わりだ。逃げ場は無くなる。自分の身こそ危うく、この青年の心配などしている場合ではないというのに。
震え続け、悲鳴を上げた彼の姿を見ていられずに、窓ガラスを割ってまで部屋に乱入してしまった。
だが、恐怖と不安に揺れるリュセルの精神に、今の自分の姿は見えずとも効果的だったようで、その濁った灰色の瞳が穏やかさを取り戻すのを知り、ほっと胸を撫で下ろす。
「お前は一体どんな姿をしているんだろうな。今の俺には、お前がどんな色をしているのかさえ、わからないんだ」
自嘲気味に呟くリュセルを見た小鳥ことセフィランは、一度俯くと、姿を変えた。
自分の本体は遠く離れたアシェイラの神殿にある為、小鳥に込められたわずかな力のみでの実体化は、力が安定せず、その姿は透けて見えるものだった。
翠緑の髪に紫電の瞳の、背の高い神官服姿の青年。
目が見えていれば、いきなり現れた顔見知りの神官の姿にリュセルは驚いただろうが、今の彼には、目の前で小鳥がセフィ・アルターコートの姿に変わってもそれを知る術がない。
「?」
手から小鳥のわずかな重みが消えたのに気付いたリュセルは、わずかに眉を顰めた。
「おい、どこにいるんだ?」
盲目の人がするように、両手を前に出して何かを探すような仕草をするリュセルの体を、セフィランは半透明な体で抱きしめた。
「…………」
小鳥の姿でなければ触れる事の敵わない今の自分の体では、体温も伝わらないし感触もない為、目の見えない今のリュセルでは、セフィランに抱きしめられている事はわからないだろう。でも、そうせずにはいられなかったのだ。
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