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恐る恐る尋ねるミルフィンの目を見返して、ティアラは残酷な事実を口にした。
「精神が耐えきれず、狂ってしまうのです」
最悪な事態の、それは始まりだったのだ。
朱金の妹姫が焦燥感に苛まれている一方で、姉姫の方はというと……。
「あ~、やっときたかい」
屋敷の敷地内に侵入して来た見知った気配。それを知ったジュリナは、昼寝の為に横たわっていたソファの上で閉じていた深紅の瞳を開く。
(レオンハルトと……。ん? ティ、ティア!?)
愛しい半身の気配を幼なじみの男の気配と同時に感知すると同時に、ジュリナは跳ね上がるように起き上がる。
「どうして、ティアが!」
守るべき大事な妹。このような危険な場所に連れてきたレオンハルトの真意が掴めない。
その瞬間だった。
ジュリナからすれば、突然。本当に突然に、それは消えた。
「リュ……セル?」
呆然とその名を呼び、ソファから立ち上がる。
「そんな馬鹿な!」
自分達の同胞の気配が邸内から一瞬で消失した事を、捕らわれの身のジュリナも感知していた。先程まで微弱だったが、しっかりと存在していた気配の突然の消失に呆然となるしかない。気配の消失……、それすなわち、あの青年の死を意味しているからだ。
「な、なんで、こんな突然!?」
動揺したように、そう呟いた時。
「っ!? レオンハルト!」
屋敷敷地内に存る、幼なじみの気配が変化した。
静かな……、静か過ぎる、その気配。激しいものは感じない。何も……。何一つ。
怒りも、哀しみも、何も感じない。
在るのは、絶望のみ。
「やめろ。やめろやめろやめろ……、狂うな! 頼むから、狂うな…………。狂うなっ、レオンハルトーーーーーー!」
ジュリナはそう叫ぶと同時に、固く外側から閉じられた扉を蹴り飛ばす。
「「「!!!!!??????」」」
ドッカーーーンッッッ
外に控えていたワトスンと、その他の見張りの者達が驚きに目を見張る目前で、丈夫だった木の扉は吹き飛び、室内からその扉を吹き飛ばした張本人であるジュリナが出て来る。
「チッ。リュセルの元へ行くのが先か、レオンハルトを止めるのが先か……」
悔しいが、元婚約者のあの美麗な男の戦闘力は、完全に自分のそれを上回っている。現宝主の中で最も最強の戦闘力を誇る彼は、それと同時に世界最強な男なのだ。
それが暴走したら……。
今はこの場にいない、もう一人の宝主、ローウェンと二人がかりならなんとか……。もしかしたら、止められたかもしれないが。
「でも、行くしかない。あの馬鹿を止めなくては!」
このままだと、狂い死ぬ。
半身を失った女神の子供の、壮絶な末路を聞かされた事のあるジュリナは、このまま暴走を続けたレオンハルトの行く先を知っていた。
「待て、逃がさないぞ!」
走り出そうとするジュリナの腕を咄嗟に掴んだワトスンは、破壊された扉を視界に入れないようにしながら、無謀にも目の前の王女に挑みかかる。
「ちょうどいい、お前も来な。少しは役に立つだろう」
「……は? って、おおおおおおおいぃぃぃーーーー!」
ワトスンの腕を逆に掴み上げて、ジュリナは全速力で走りだしたのだった。
リュセルの気配の消失
その原因を語るには、ジュリナがワトスンを引きずり、暴走するレオンハルトの抑止に向かった、その時から少し時間を遡る事になる。
それは、高熱と失明のショックで深く沈んでいたリュセルの意識が、ようやく戻ったのが始まりだった。
「……ん」
わずかな呻き声をクラウンは正確に聞き取ると、ぼんやりとしている灰色の瞳を覗きこんだ。その目の上、銀の睫毛が触れる程の距離で手を振るが、焦点の合わない瞳は瞬きもしない。
(やはり、見えていないか)
「な、何だ? どうして、ここはこんなに暗いんだ……?」
高熱の為、相変わらず記憶が曖昧になっている様子の銀の王子の頬にそっと触れる。
「っ!?」
急に見知らぬ感触の手に触れられて体を強張らせるリュセルに対し、クラウンは優しい声で告げた。
「目が覚めましたか?」
その声に怯えたように瞳を揺らすリュセルの唇をなぞると、寝台横のサイドテーブルに用意していた水差しにクラウンは手を伸ばす。
「水ですよ。お飲み下さい」
口元に水差しが差し出されるのを感触だけで悟ると、喉の乾きがピークに達していたリュセルは、夢中で水を飲み干した。ゴクゴクと一気に水が飲み干されるのを、にこやかに微笑みながら見届けると、再びクラウンは告げる。
「熱がなかなか下がりませんねぇ」
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