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額に冷たい掌を押し当てられ、リュセルは肩を揺らすが、それを気にも留めずに、クラウンは座っていた椅子から立ち上がった。
「薬をお持ちしますよ。少しお待ち下さいね」
熱冷ましの薬など効かないだろうが気休めだ。彼の熱を下げ、失明を治す事が出来るのは、おそらく浄化の力。女神の力。そして、今、リュセルが最も欲しているであろう半身の温もりが一番の薬になるはず。
(でも、それを与えてやる訳にはいかないのですよ)
それに、こちらとしては、目が見えていない今のままの方が都合が良いのも事実。
そんな風に考えるクラウンの気配がゆっくりと遠ざかるのを感じると同時に、リュセルは安心して大きなため息を吐く。その息も、相変わらず熱っぽい。
(なんで下がらないんだ)
ずっと高熱に苦しめられているリュセルは、そう思いながら額に手を置いた。
(レオン)
会いたかった。
ただ、会いたかった。
その髪に触れたい。
その香りを近くで嗅ぎたい。
その力強い腕に抱かれたい。
「レオンハルト」
聞く者が切なくなるような声で、自分の兄の名を呼んだ時。
パタパタッ
わずかな鳥の羽ばたき音が聞こえた。
「お前、いるのか!?」
嬉しそうなリュセルの声に呼応するように、起き上がったその手元に翠緑色の可愛らしい小鳥が降り立つと、指を軽く突っつき始めた。
「またきてくれたのか」
手探りで小鳥の柔らかい体を撫でながら、リュセルは小さく笑う。
「お前はいいよな。きっと、この小さな翼で、空をどこまでも飛んでいけるんだろう?」
膝の上で大人しくしている小鳥にそう話しかけると、リュセルは独り言のように呟いた。
「俺がお前なら、あいつの元にすぐにでも帰るんだ。唯一の帰るべき場所、あそこしか俺が帰る場所はない」
半身であるレオンハルトの事を考えると泣きたくなる。せめて、視力だけでも戻ってくれれば、ここを脱出する手立ても考えられるのだが。
そんなリュセルを慰めるように、この前と同じようにスリスリと体を寄せてくる人懐こい小鳥の感触を肌で感じて笑みがこぼれる。
「お前、一体どこの子だ? どこかで飼われているんだろう?」
そう言いながらも、熱が高く、いい加減起き上がっているのがしんどくなってきた為、再び横になろうかと考えていた時。
その気配を感知した。
「レオン?」
近い。けれど、まだ少し遠い。
おそらくこの建物の敷地内なのだろうが、自分のいる位置からそう遠くない場所に現れたその力強い気配は、間違えようもない自分の半身のものだ。
高熱の為、感知が遅れたのが悔やまれる。いつもならもっと早く、感知出来たろうに……。
それでも
それでも
(来てくれたのか)
懐かしくも慕わしいその気配に、リュセルは安堵すると共にいてもたってもいられず、寝台から抜け出そうとした。
冷たい床に裸足で降りたち、立ち上がる。
グラッ
途端に眩暈を起こし、その場に膝をつくが、そんな事に構ってなどいられない。
「レオン!」
一刻も早く、帰りたかった。
逢いたかった……。
そんな風に、もうすぐ再会出来るであろう兄の気配に夢中になっていた為、別の気配が入室してきていた事に気づかなかった。
「どこに行くつもりカ、そんな体で」
不意に室内に響いた子供の声。リュセルは閉じていた目を開く
「その声は」
自分達が捕らわれの身となる元凶になった黒衣の襲撃者の一人。十歳をようやく超えたような年齢の、中性的な紺色の髪の子供。
目が見える時に見たその子のイメージは、それは悪いものだった。いや、正確には子供の持つ、オルゴール型の小箱と言った方がいいだろうか?
(まさか、またか!?)
見えない為、子供がそれを持っているかはわからない。
緊張と嫌な予感に、背筋が震える。
「ナイトサマにあんなにも寵愛されていながら、ナニが不満なのカっ!」
涙声。
(泣いているのか?)
「ドウシテ、お前なんかをナイトサマは構うのダ! その忌まわしい顔で、たぶらかしたのカ!?」
激しい独占欲と嫉妬心に支配された心は、暗い炎を宿している。
現在、目の見えないリュセルには気づく事は出来なかったが、気持ちが激昂し、リュセルへの憎悪が増すにつれ、子供の、マーリンの瞳は、その色を徐々に変えようとしていた。
激昂したマーリンがリュセルに掴みかかる頃には、水色をしていた瞳の色は、紫電に色を変化させていたのだ。
「ワタシから、ナイトサマを奪うな!」
マーリンの叫びは、まるで血を吐くような悲痛なものであった。
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