序章 転落

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 十五、六歳位の年齢の、牡丹の花のように可憐な、優しい顔立ちの美少女である。  平凡な人生を歩んできた綾香は、立て続けに人外めいた美貌を見続けた為、かなり目がちかちかしていた。  何、ここ。  顔が良くないと生きていけない世界な訳?  何、その世界  帰りたい。 「リュセル様?」  様子がおかしい綾香を心配するかのように、愛らしく小首を傾げた少女。その愛らしさにうっかり見とれてしまった。 (それにしても、綺麗な子だな)  綺麗なだけでなく、プロポーションも完璧だった。  体付きはスラリとしていて、腰も腕も細いのに、胸元だけは豊かだ。  (70のIって所かしらね)  全体的に可憐なデザインのドレスを身にまとっているが、胸元だけが大胆に開いていて、露出が多い。 (わざとじゃないでしょうね?) 「あの……」  綾香にじっと見つめられて(正確には胸元を見ていたのだが)、少女は頬をポッと赤く染めた。  本人忘れかけていたが、現在、綾香は絶世の美男子なのである。  月の明かりに照らされた、まるで月の女神の寵児のような銀色に輝く美貌に見つめられ、少女はうっとりとした。 「リュセル。ティアラ姫は、お前の帰還の為に尊い鏡の力をお貸しくださったのだ。礼を述べなさい」  それまで成り行きを見守っていた、自称・兄のレオンハルトの言葉に、リュセルは反射的に頷こうとして我に返った。 「なんで!?」  その瞬間、ものすごい目で睨まれる。 (怖い)  苦手だ、この男。 「仕方ありませんわ。リュセル様は、この世界に戻られたばかり」  少女はそう言って微笑むと、優雅に貴婦人のお辞儀をした。  そう、TVで見た事があるような、ドレスの裾をつまんで礼をするやり方である。 「わたくしは、鏡守りの国、ディエラの第二王女。ティアラ・セイントクロス・ディエラですわ」 「は……、はあ」 「そして、お前の婚約者殿だ」  ティアラの優美なしぐさに見とれていると、レオンハルトがボソリと付け足した。 「はあ!?」 「アシェイラとディエラの国王が取り決めた事だ」  その瞬間、綾香はきれた。  もう、意味がわからない! 「~~~~~~~~っ! 一体なんなんだよ!」  そう怒鳴ると、レオンハルトの胸倉を掴んで、その端正な顔に詰め寄った。 「不服なのか?」  感情を表さないその声音に、何故か喜色を感じて更にイラだつ。 「私は、そのリュセルって名前じゃないって、さっきから言ってるじゃないか! だいたい顔だって、こんな世の女性が直視できないようなキラめいた顔じゃないし! 黒髪、若干茶色に染めてたケド、黒瞳の、生まれた時から生粋の大和民族なの!」  胸倉を掴まれたレオンハルトは、暴れだした綾香の腕を逆に捕らえると冷静にささやいた。 「落ち着け、リュセル」 「だから、リュセルじゃないんだってば! ~~~~離せッ、この、離してよ!!」  滅茶苦茶に暴れるが、掴まれた腕はピクリともしない。  現在男である綾香の腕力をもってしても、レオンハルトに捕らわれた腕は開放されないのだ。 「もう嫌だ、帰りたい! 今夜は、夜中の海外ドラマが最終回なのにいいいいい!」  そう叫んだ瞬間、頭の中に声が響いた。  ー落ち着きなさい、綾香。ー 「……?」 「リュセル?」  急に動きを止めた綾香に、レオンハルトは怪訝そうな声を上げた。 「だ、誰?」  怯えたような仕草で綾香は周囲を見回し、神経質そうな細い眉をしかめるレオンハルトと、心配そうな表情の麗しの少女を交互に見た。  ーしばし眠りなさい。わらわの愛し子よ……ー  その不思議な声に導かれて、綾香の意識は底に沈んだのだった。 「リュセル様!」  急に、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちそうになった弟の体を、レオンハルトは力強い腕で支えると、首元に左手を添えて脈を確認した。  静かに脈打つ鼓動を感じ取り、安心したようにほっと息をついたレオンハルトを見たティアラも、ほっと胸を撫で下ろす。 「きっと、異世界から戻る際、肉体と精神に負担がかかったのですわ。戻りましょう、レオンハルト様」  ティアラの言葉に頷くと、レオンハルトは体格のそう変わらぬ弟の体を抱き上げ、迷いを感じさせぬ歩調で歩き出した。 (帰りたいだと?私の傍以外のどこに帰るつもりだ。リュセル)  先程の激情の失せた穏やかなその寝顔を見つめたまま、レオンハルトは唇をかみ締めた。  綾香は、この時からこの世界のリュセル王子として、生まれ変わったのだ。  本当の意味でもう二度と元の世界に戻れないなんて、この時の綾香は思いもしなかった。
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