最後の夜

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 タエは病室の廊下を歩いている。もう何回、この廊下を歩いたんだろう。そして、何回この廊下を歩くんだろう。歩くたびに考えている。  タエには龍一(りゅういち)という夫がいる。半世紀以上寄り添ってきた夫だ。子供ができ、独立し、定年を迎えて、ここまで一緒に歩んできた。だが、龍一は病床にいる。タエはその病室までの廊下を歩いている。  龍一が病に倒れたのは、半年前の事だった。突然倒れ、病院に運ばれた。結果はがんで、告げられた余命は半年だ。タエは呆然となった。あと半年しか会えないと思うと、涙が出てきた。だが、残りの半年を精一杯生きよう、そして愛し合おうと誓った。  タエは病室にやって来た。そこには龍一がいる。龍一のがんは進行し、すでに歩く事ができず、病院のベッドに横になっている。 「龍一さん」 「タエか」  だが、龍一の声は弱々しい。まるで死期が迫っているかのようだ。 「大丈夫?」 「うん」  龍一はいつものように大丈夫だと言う。だが、本当は大丈夫じゃない。死期が迫っているのだから。そして何より、がんに体を蝕まれているのだから。 「いつまで君といられるのかな?」 「そんなこと考えないの。今日を生きるの」  タエは励ましている。今日も生きているという事を感じながら、必死に生きてほしい。そして、別れの時が来たら、その時が来たんだと素直に認めてほしい。 「わかったよ」  と、龍一は外を見た。生まれ育った東京の風景は見えず、空しか見えない。そして、龍一はこれまで2人で過ごした日々を思い出した。 「今日まで色々あったよね」 「ああ」  すると、タエもこれまでの日々を思い出した。  それは、半世紀以上前の事だった。大学で知り合ったタエと龍一は、互いに愛し合っていた。そして、交際を始めた。交際を互いの両親も認め合い、順調に愛は進んでいった。  そして、数年の交際を経て、ようやく龍一はタエにプロポーズをした。龍一は結婚指輪を持っている。 「結婚しよう」 「いいわよ」  そして、龍一とタエは結婚した。そして翌年、タエは妊娠した。それを龍一は喜び、互いの両親も喜んだという。 「私、妊娠したの」 「本当か? おめでとう」 「ありがとう」  みんな喜んでくれた。その時はとても嬉しかったな。いよいよ親になるんだと思うと、気持ちが晴れやかになり、生まれてくる子供たちの未来に期待したものだ。 「嬉しいな。いよいよパパになるのか」 「私も楽しみだわ」  翌年、タエは出産した。龍一も、互いの両親も喜んだという。タエは生まれたばかりの子供をかわいがり、龍一とともに喜びを分かち合った。互いの両親は、孫の誕生をとても喜んでいた。  タエと龍一は3人の子供に恵まれた。彼らは順調に成長し、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と進んでいった。そして、3人とも就職して、独り立ちをしたという。彼らは実家を後にして、独り暮らしを始めた。 「ここまで大きくなって」 「本当に嬉しいわ」  2人は喜んだ、よくここまで育ってくれた。そして、独り立ちしてくれた。本当に嬉しいな。 「今日から社会人だね」 「頑張ってね」 「うん」  それから10年ぐらい経った時、一番上の子がパパになったと聞いた。それを2人は喜んだ。いよいよ自分も両親のように孫になるんだなと。 「ま、孫が?」 「うん」  2人は笑みを浮かべた。孫に早く会いたいと思った。 「いよいよおじいちゃんになるんだね」 「うん」  その翌年、孫が生まれた時には、とても喜び、孫の未来にも期待した。 「これが孫か」 「可愛いわね」  タエは孫を抱っこした。とても重たいけど、可愛いからしょうがない。 「おーおー、いい子いい子」 「嬉しい?」 「うん」  龍一はタエの嬉しそうな顔を見て、喜んだ。  だが、結婚から半世紀を過ぎたある日、龍一は突然倒れた。救急車で病院に運ばれ、一命はとりとめた。だがその後、医者は龍一の侵されている病気を話した。がんだ。 「が、がん?」 「はい。余命半年です」  そのタエは、茫然となった。まさか、龍一ががんに侵されているとは。そして、あと半年しか生きられないとは。そう思うと、涙が止まらなかった。 「そんな・・・」 「すでになすすべがありません」  もうなすすべがないなんて。医者なのに、どうして命が救えないんだ。だが、受け止めないと。  タエはいつの間にか、泣いていた。そして、龍一も泣いていた。 「色々あったけど、忘れないよ」 「うん」  と、龍一は何かを考えた。何だろう。タエは龍一をじっと見た。 「最後にお願いがあるんだけど」 「何?」 「手を握って」  タエは驚いた。どうして手を握るんだろう。まさか、もうすぐ死ぬんだろうか? 「いいけど」 「離さないでね」 「わかってるよ」  タエは龍一の右手を両手で握った。龍一の手は温かい。まだ生きている証拠だ。だがその手は、いつまで温かいんだろう。 「今までありがとうね」 「うん」  程なくして、タエは龍一の手を握りしめたまま寝入った。寝たのを見て、龍一も目を閉じた。明日も生きていられますように。  朝、タエは目を覚ました。快晴の日だ。今日も龍一は生きているんだろうか? タエは龍一を見た。だが、龍一の鼻息が聞こえない。 「あれ?」  タエは龍一のおでこを触った。だが、冷たい。手をゆすっても、全く起きない。その時、タエは知った。龍一は死んだんだと。 「死んでる・・・」  龍一は死んだのを知って、タエは涙を流した。結婚して色んな事があったけど、昨日で2人の日々は終わった。これから私は、どうすればいいんだろう。その答えが見つからない。だが、いつの日かわかるだろう。そして、龍一のいる天国に向かう時が来るだろう。
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