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頬の痛み
初めてお父さんに殴られたのは、小学生になってすぐのころだった。理由はよく覚えていない。たぶん、その頃クラスで流行っていたおもちゃが欲しいとか、そんなことだったろう。いつもならお酒を飲んでいるときのお父さんには逆らわないようにしているのに、そのときはおもちゃで頭がいっぱいで、そんなことは忘れていた。案の定あっさりと断られたのだが、このときのわたしは諦めきれなかった。この日の放課後にクラスメイトから『恵理ちゃん、まだ持ってないの?』と笑って言われた悔しさを思い出し、お父さんの手を掴んでもう一度ねだった。
「お願い、お父さん」
言い終わるより前に、お父さんは掴まれた手を払い除けそのまま振り下ろした。偶然か故意か、お父さんの手は勢いづいたままわたしの頬に当たった。一瞬なにが起こったのか分からず、次の瞬間には打たれた頬がじんじんと痛みを持って目から涙をこぼさせた。
痛みと驚き、悲しみ。突然たくさんの感情が渦を巻いて、わたしはその全てに背中を押されるようにわんわんと大きな声で泣いていた。
「うるさい」
だけどお父さんはそんなわたしに構うでもなく、短くそう言っただけだった。冷たい目と口調が怖くて、助けを求めるようにお母さんを見たけれど、結局そこにも救いの手なんてものはなかった。
「エリ。あんたはもう寝る時間でしょ」
短く冷たく告げられた言葉に涙すらも止まり、わたしはゆっくりと足を動かして、言われた通りに部屋を出た。
自室に戻りドアを後ろ手に閉めた途端、頬の熱が上がったように思えた。ずくんずくんと脈打つように痛みが押し寄せる。だけどここで泣いてはまた叱られると思った。せめて泣く声は聞こえないようにしなければと、急いでベッドに潜り込み布団を頭からかぶる。
痛い。痛いよ。誰か。
わたしはただ、誰かに『大丈夫だよ』って言って欲しかった。誰かにわたしの味方でいて欲しかった。
だけどお父さんもお母さんも助けてくれない。それが悲しくて、また涙が溢れてきた。
だけどそのときだった。
「大丈夫だよ」
布団の中、すぐそばから優しい声が聞こえてきた。
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