第2話 貴族たちの諍い

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第2話 貴族たちの諍い

 メンフィス大神殿には、神前法廷と呼ばれる法廷がある。神像のある至聖所の裏手に作られた、大神殿向けに出された訴えを処理する場だ。  別名は、”三十人法廷”。  小さな揉め事ではそこまでしないが、正式な審理や大きな訴訟では、立会人が三十人必要とされる。今となっては滅多に開催されなくなったその、滅多に無い大きな訴訟の処理が、今まさに行われようとしていた。  訴えの内容は、「墓所の不適切な拡張による損害」。つまり墓穴を拡張しようとして、隣の墓まで掘り抜いてしまったという、メンフィスでは実に”よくある”揉め事の一つだった。  訴えを起こしたのも、訴えられたのも、メンフィス近郊――ゴミゴミした大都会から少し離れた、首都に近い場所――に館を構える、世襲貴族だ。祭りのたびに大口の寄進を寄越す貴族の訴えとあっては、最優先で処理せざるを得ない。  これもまた、大神殿の勤めの一つなのだった。  ネフェルカプタハは、あくびを噛み殺しながら、三十人の中の一人として、その退屈な審理の場で父親の隣に立っていた。  立場上、話は聞いていなければならないのだが、どうしても、「つまらない」という感情が先に立ってしまう。  だいたい、自分の家の墓が拡張中に隣の墓にぶつかったのなら、謝って穴を塞げばいいだけである。もしくは、ぶつけられたほうが墓穴を別の場所に移すか。何をどうしたら、それが訴訟に発展するのかが全く判らない。  だが、法廷に並んで火花を散らしあっている貴族たちは、実に真剣なのだった。  一人はレフェルジェフレンという名の貴族で、むやみやたらと装飾品を身に着けている以外、威厳のかけらもない。銀の腕輪と足輪、首飾り、それに金の額飾り。過去の墓の拡張で、隣まで堀り抜いてしまったのを隠していた側だ。  一方は、ソベクイブラーという名の尊大な態度の貴族。小太りで、不釣り合いなくらいフサフサとした、大きくて手の込んだカツラを被っている。一族代々の墓の壁に穴を開けられていたことに最近になって気づいて、かんかんに怒っている。  どちらも、使用人や手の者を引きつれて、十人ばかりで法廷に乗り込んできている。お陰で、そう広いわけでもない法廷の中は、いつにない熱気に満ち満ちていた。  裁判長を務めるのは、ネフェルカプタハの父である大神官のプタハヘテプだ。部屋の中央、神像を背にするような場所に腰を下ろし、貴族たちは、彼を挟むように左右の席に座って、互いを睨み合っている。  「それでは改めて、双方の言い分を確認させていただきます」 筆頭書記のジェフティは、この、ばかばかしい法廷においても普段と全く変わらぬ表情のまま、淡々と訴状を読み上げていく。  「ソベクイブラー殿から起こされた訴え。レフェルジェフレン殿の墓穴拡張工事により、先祖代々の墓に損害を被った。横穴によって墓が接続されてしまい、詰め物の土が流れ出て棺が傾き、死者の安寧が損なわれたことに対し、賠償と速やかな修復を求める」  「ふん」 レフェルジェフレンが鼻を鳴らした。  「――対する、レフェルジェフレン殿の応答。墓穴の拡張工事は、規定に沿って慣例の範囲内で行ったものである。しかるに、拡張工事が相手方の墓を堀り抜いてしまったのは、想定外の場所に不要な穴が拡張されていたためであり、予測不能な事故であった。当方に落ち度はなく、むしろ当家の拡張すべき場所に穴を掘っていた先方の落ち度である」  「はぁ?!」 ソベクイブラーが目を剥いて立ち上がる。  「言うに事欠いて貴様、当家の落ち度と言うのか! 何という無礼」  「当家のほうが、先に墓を構えていたのだ。新参者のほうが遠慮するのは当然であろう。」  「限度があるわ! 何で、あんな場所まで穴が掘ってある? お前の家族の棺は五十メフもあるのか?!」  「どこまで墓穴を伸ばそうと、こっちの勝手だろう! うちは貴様のところと違って養う一族が多いのだ。広めの拡張をして何が悪い!」  「あーっ、”広め”と認めたな?! 掘れるだけ掘ったのか、あの狭い墓地で! こちらは、隣に気を使いながら慎ましくやっとるというのに!」  「新参者が偉そうな口をきくな、この、成り上がり貴族が!」  「そっちこそ、家名ばかりにこだわる斜陽の没落貴族ではないか!」  「言ったな…!」 貴族たちはじりじりと歩み寄り、今にも掴み合いを始めそうな雰囲気だ。  「あー、静粛に。静粛に。法廷で騒ぐな、両方ともつまみ出すぞ!」 プタハヘテプが法廷の隅に待機していた衛兵たちに視線をやり、二人の間に割り込ませる。  「はあ…何だ、これ」 ネフェルカプタハは小さな声で呟いて、げんなりした顔で天井を振り仰いだ。貴族たちのいがみあいなど、見ていて面白いものでも何でもない。全くもって、時間の無駄としか思えない。  ジェフティは小さく咳払いし、話を続ける。  「ということは、レフェルジェフレン殿には賠償と修復のご意思はない、ということでよろしいでしょうか。」  「当たり前だ! 誰が、そんなこと」  「では、大神殿から提示できるもう一つの調停案としては、レフェルジェフレン殿。そちらの家の墓の増築分を別の場所に許可する、というものがありますが、いかがされますか?」  「うん? 別の場所、だと?」  「ええ。調査の結果、ソベクイブラー殿の墓とぶつかった箇所は、確かに通常では予測困難な箇所でした。ご家族が多く、もっと地下の面積が必要だというのであれば、今後のことも考えて、墓地の別の場所に増築分を移していただくほうがよろしいかと」  「王墓が目の前に見える一等地だ。墓所の格としては劣らぬかと思うが、どうだ」 と、プタハヘテプも言い添える。  メンフィス周辺の古くからある墓地のほとんどは、冥界神プタハを戴く大神殿が所領として管理している。そこに墓を作る場合は大神殿に許可を貰い、土地の割当をもらうことになっているのだ。  墓が増えすぎたせいで、近年は新しい割当てはほとんど許可されていない。早く争い事を終わらせるためとはいえ、破格の申し出でもあった。  だが、レフェルジェフレンは首を縦には振らなかった。  「断る。あの土地は、先祖代々、わが家の墓が築かれて来た場所だ。退()くというなら、新参者のほうであろう」  「なんだと?! おのれ、どこまでも無礼な…」 大神官も、息子と似たような顔で溜め息をつく。  「では、ソベクイブラー殿。拡張した分の墓穴は塞いでいただき、そちらの家の墓を移していただくことは出来るかな?」  「ふん。良いでしょう。こんな、みみっちい奴らの隣じゃ、うちの家人もゆっくり眠れんでしょうからな。」  「勝手に言っていろ」  「双方、他に言い分なければ、これにて結審と致します」 こんな時でも、ジェフティは平常そのものだ。  「のちほど書状を作成してお二人のもとに届けさせます。ソベクイブラー殿には、新しい墓所の位置取りのご案内も」  「早くしてくれよ。今から墓穴を掘り直してたんじゃ、埋葬が間に合わなくなってしまう」 小太りな貴族はそう言って、向かいの貴族を睨みつけながら、使用人たちを引き取れてさっさと出ていく。  一方の、痩せぎすな装飾過多の男のほうも、不機嫌そうな顔で法廷を後にすた。  人がはけたあと、ようやく苦痛の場から解放されたネフェルカプタハは、大きく息を吐いた。  「やーっと終わった…。くっだらねぇ…」 プタハヘテプは、苦笑する。  「そう言うな、あれらは大口顧客だぞ。墓地の管理を大神殿に任せる代わり、毎年それなりの管理費を支払ってくれている。メシの種と思えば、多少は持て成す気分にもなるだろう」  「つってもさあ、オッサンどものいがみあいなんて聞いてらんねぇよ。まあ、うまいこと収まって良かったけどな」 法廷に持ち込まれる大小様々な訴えは、慣例によって裁かれている。前例があれば、それに倣って判決なり、解決策なりが提示されることが多い。今回などは、その典型のようなもので、墓地では頻繁に起きる問題の一つではあった。  「新しい墓を作らせるってことは、元の墓は埋めるのか?」  「ソベクイブラー殿なら、そうするでしょうね。あの場所に墓地を造り始めたのは先代からで、収められている棺も、まだ、それほど多くないはずですから。」 と、ジェフティ。  「レフェルジェフレン殿のほうは、もう五世代ほど、あの区画使っています。一族郎党を皆、あの墓と周辺に収めているのなら、十数ほどは棺があるでしょう」  「ふうん。なら、小太りなほうが新興貴族っていうのは事実なのか」  「正確には、最近興した分家ですね。対するレフェルジェフレン殿は王家の遠縁でもありますし、血統には自信があるのでしょう」 彼は、意味深な笑みを口元に浮かべた。  「とはいえ、最近は諸々の事情で資産も目減りしているはずです。メンフィスの城壁内に構えていた別邸も、五年ほど前に売り払っていますから」  「ああ、それで訴訟の間は客間に泊まってんのか。さっさと帰ってくれるといいんだけどなあ。客間の前、通る時に気にしちまうし」  「手続きが済めば、お帰りになるでしょう。」 ジェフティは、はや、訴状を片付けて引き上げようとしている。  「それでは、私はこれで。本日中に調停案をまとめて大神官様の署名を頂きに参ります。その写しを双方に送って正式な通達とし、この件は完了といたします」  「うむ。どうなるかと思ったが、お前の出してくれた解決案のお陰で今回もすんなり収まったな。いつもながら、助かっておる」  「過去の判例から最適解を探し出しているだけです。大したことは、していませんよ」 謙遜でもなく、本当にそう思っている様子でさらりと返したあと、青年書記は、軽く一礼だけして法廷を出ていく。  プタハヘテプは、困ったような顔でそれを見送っている。  「…まったく。あいつにかかれば、どんな厄介事も『大したことがない』だ。突っ立っているだけで解決されるこちらの身にもなって欲しいものだが」  「んだよ、突っ立ってるだけで仕事終わるんだから楽でいいんじゃね? てか、こんな面白くも何ともない話、とっとと解決するに限るって。ふぁーあ…んじゃ、俺は昼寝でもしてくるわ」  「不良息子め。いずれお前がやることになるんだぞ、この役目は。少しは勉強になったか?」  「なってるって。貴族連中はクソくらえだってことは、よく分かったよ」 あくびをしながら法廷を出ようとした時、ふと彼は、書庫から続く回廊のあたりに立って、そろりとこちらを覗き込んでいる幼馴染の姿に気がついた。  途端に、つまらなさそうだった顔が、ぱあっと明るくなる。  「チェティ!」  「あっ、カプタハ…じゃなくて、あの、大神官様」  「ん? わしか?」 ちょうど席を立とうとしていたプタハヘテプが振り返る。  「はい。実は、ご相談したいことがあります。今日、街の北の耕作地の測量に行った時、偶然、畑の端でこれを見つけたんですが」 そう言って彼は、抱えていた包みの中から木箱を取り出した。元は泥まみれだったのだが、神殿に持ち込む前に、出来る限り洗ってきれいにしてある。  木箱の外側には彩色の施されていた跡があり、中には、やや緑がかった黒光りする石で作られた精巧な壺が三つほど。  プタハヘテプも、隣から覗き込んでいたネフェルカプタハも、瞬時にその正体に気づいた。  「内臓壺か」 貴人の体を不朽のものとするために加工する際に、体から内臓を抜き取って収めるための壺だ。  「やっぱり、そうだよね。でも、見つかったのは耕作地で、近くに墓は無かったんだ」  「ということは――。」 プタハヘテプも、事態を理解した。  あごに手をやり、ちらと息子のほうを見やる。  「カプタハ。」  「おう。盗掘かもしれないんだろ? 出処を突き止めてくる」  「というわけだ。チェティ、このヒマそうな奴を使って良いぞ。必要な資料があれば、ジェフティが出してくれるだろう」  「ありがとうございます」 チェティは頭を下げて、相棒と視線を交わした。  墓地の管轄は大神殿なのだ。もしも盗掘だった場合、大神殿の協力が無ければ被害は突き止められない。たった今、その調査の許可は貰った。これで、壺の出処を明らかに出来る。  ネフェルカプタハのほうも、大義名分を翳して仕事をサボれることが嬉しくないはずもない。  だが、管轄地で不正が行われたかもしれない大神官プタハヘテプだけは、難しい顔で彼らを見送っていた
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