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第4話 消えた耕作人
大神殿を出たチェティは、急ぎ足に大通りを抜け、詰め所に向かっていた。
州役人の詰め所と宿舎はメンフィスの北側の郊外、北街と呼ばれる区域にある。距離はそれほど遠くないが、途中で城壁を出て運河を渡らなければならないので、日が暮れてから戻るのは大変なのだ。
詰め所に戻ってみると、ちょうど夕食の時間帯で、一階の食堂では、疲れ切った顔のヘンレクが、虚ろな目をして塩ゆでにしたそら豆をつまんでいた。
「あ、ヘンレク。無事に戻れたんだね」
「…はい」
やけに虚ろな返事だ。
「書類は戻しておきました。あと、畑の…壺の見つかったところも、触らないように近所の人たちに伝えましたよ」
「ありがとう。今日のところは十分だ」
「誰かの落とし物なんですかねえ? あれ」
ヘンレクは、見つけた壺が何を意味するか、いまひとつ理解していない様子だ。
「そうだね。大事な落とし物だ。大神殿に、持ち主を探してほしいと依頼してきたよ。明日、続きの仕事のついでに他にも何かないか探してみよう」
「はい…。」
曖昧に頷いて、彼は、つまもうとした豆を落っことした。いつにも増して不注意だ。歩き回ったせいで疲れてぼんやりしているのか。
(うーん…大丈夫、なのか?)
心配になったが、チェティの担当範囲は、ヘンレクと二人でこなすことになっている。正直、一人のほうが早く終るとは思ったものの、置いていくわけにもいかない。
明日はあまり歩かなくてもいいように、舟に乗って移動出来る運河沿いの区画を担当してもらおう。
そう思いながら、チェティは、自分のぶんの夕食を取りに行った。
手早く腹ごしらえを終えたあと、彼は、役所の書庫へと向かった。気になっていることを調べるためだ。
まだ日は完全に暮れていないが、暗くなるまで時間はあまり無い。ナツメヤシ油の入った燭台はあるものの、個人的な興味で残業をして、油を無駄に消費する気はなかった。
書架はよく整理されていて、目的の土地台帳を見つけることは特に難しくない。
(あった、これだ)
チェティが探していたのは、今日、壺を掘り出した、あの耕作地の今までの履歴だった。
ヘンレクが土手を転げ落ちた足を滑らせて突っ込んだところに、ちょうど木箱があったのだ。ということは、壺が埋まっていた場所は、畑の縁からすぐ近く。畑の外ではない。
だが、中に固まった泥が溜まっていたことからして、もう何年もずっと、同じ場所にあったように見えた。
だとしたら、なぜ、昨年の耕作人は気づかなかったのだろう?
台帳を開いて、さっと一瞥した彼は、すぐにその理由に気がついた。
(耕作者が行方不明になった後、新たな耕作人の割り当てなし…)
あの畑の区画は、十年以上も前から誰にも割り当てられていない休耕地だったのだ。水路からは一番遠い、小麦はあまり育たない土地だ。優先順位は低かったのだろう。
それが、今年は移民によって耕作人が増え、休耕地だったあの畑も、乾燥に強い大麦用として割り当てに入り、土手の先にある水路が開かれて、川の水が引き込まれることになったのだ。
(前の耕作人がいなくなったあと、あの壺は、最長で十年以上、あの場所に埋もれていた可能性があるのか。それなら、中に泥が詰まっていたのも不思議じゃないな。にしても――行方不明って一体、どういうことだ?)
薄暗がりの迫る中、書架の前でチェティは、しばらく考え込んでいた。
何か、嫌な感じがした。耕作人の失踪と、耕作地に残された立派な内臓壺。
これが単なる偶然ではないという直感がある。だが、二つの事実を結びつける出来事が思いつかない。
一体、消えた耕作人に何があった?
書庫の入り口を閉ざして外に出たのは、もう、完全に日が暮れてからだった。
役所の建物は、人のいなくなる夜間には、巡回の兵が見張ることになっている。ちょうど、通りを一本挟んだところが州兵の詰め所なのだ。そこから、当番の兵士がやってくる時間だった。
ちょうど、兵士らしき人影が通りを横切ろうとしている。
てっきり夜警の当番だと思って、挨拶しようと顔を向けたチェティは、よく知った顔であることに気づいて、思わず二度見した。
「…ペンタウェレ兄さん?」
「お~、チェティか。何だ、いま仕事終わりか~? おっつかれさーん」
見間違いなどではなかった。次兄で、治安維持部隊を任されているペンタウェレだ。
陽気な口調と、かすかに赤い顔。どうやら、飲酒してきた後らしい。
それにしても、意外だった。長兄のジェフティは酒は全くだめで、薄いビールで精一杯、食事の時はいつも水を飲んでいるというのに、次兄のほうは大丈夫なのだ。顔はそっくりなのに、そういうところは違うらしい。
「街の繁華街に行ってきたんですか」
「おう、新しい部下連中とな。明日からまた遠征みたいなもんだし、今日くらいは楽しみたかったんだよ。」
新しい部下、というのは、州境界を守るために設立された、治安維持部隊の兵士たちだろう。
「けど、宿舎の門限があるからさあ。あーあ、気楽に過ごせてメシが勝手に出てくるのは楽なんだが、飲みに行くなら、やっぱ、街のほうに家が欲しいよなぁ。部屋借りるかな…うーん、迷う」
「……。」
チェティは、呆れ顔で兄のぼやきを聞いていた。
州軍に入ったのはつい最近だが、今のペンタウェレは、ただの一兵卒ではない。治安維持部隊の隊長なのだ。
その部隊は、下流の州が王に逆らって独立宣言をしてしまったことと、東の国境を越えて入り込んだ異国人が越境してくる可能性があることが理由で新たに設立された。この州と下流の州との境界の監視をするのが主な任務の、いわば精鋭部隊だった。
ペンタウェレがその部隊を任されたのは、少し前まで国境の先の街道「ホルスの道」を守る砦の守備隊に居た、防衛戦の経験者だからだ。
その、本来なら州軍の中ではそこそこ偉い立場のはずのペンタウェレが、独身の新兵用の宿舎に暮らしていること自体が、前提からして、おかしいのだった。
「出世したんですし、いっそ、家を建てるか買うかしたらどうですか? 今の兄さんの役職なら、分割払いも認めて貰えるでしょう」
「えー…自宅とか持ったら、あのクソ兄貴が嫌味ったらしい顔で『お祝いに来た』とか訪ねてきそうじゃねぇ? そんなことになったら、オレは憤死する」
チェティは、思わず苦笑した。
「相変わらず、ジェフティ兄上にこだわるんですね…。」
「まあ、家は後でいいや。どうせ、滅多に戻れないだろうし」
うーんと大きく伸びをして、彼は、役人の詰め所の奥の通りに見えている、兵士の詰め所のほうにちらと視線をやった。
やって来た巡回の兵が、ペンタウェレに気づいて、慌てて頭を下げて通り過ぎていく。ペンタウェレのほうは、にやりと笑って片手を上げて挨拶した。
既に、メンフィスの街付近が担当の州兵とはあらかた顔見知りなのだ。そういう人付き合いの上手さは、流石だと思う。
「そういえば、遠征って、また州境界ですか?」
「いや、防御壁を作らされることになっててなあ。聞いてないのか」
「部署が違うので。――でも、壁ってことは、昔の『白い城壁』を復活させる、っていう件ですね」
「そうだ。どれほど役に立つかは謎だが、ひとまず守りを固めてることは示せるからっつうんでな」
それは、今の州境界に近い場所にかつて存在した城壁をもう一度築く、という計画のことだ。
建造予定地は、大神殿の所領から州に割譲された土地。労働力には帰還兵と移民の一部が割り当てられ、メンフィスの街の職人街から建築監督が派遣された上で、護衛のために州兵が付く。
この案の起草者はジェフティだとネフェルカプタハに聞いていたが、それを知れば長兄嫌いのペンタウェレが嫌がると思って、言っていない。
「工期がかなり短いという話でしたが、人数は足りてるんですか」
「いやぁー足りてねぇな。けど、とりあえずは日干しレンガで壁の形を作ることになっているから、何とかなるさ。で、表面だけ、そこらで拾ってきた石で仕上げて立派な感じに見せりゃいいらしい」
「”そこらで拾ってきた”? 拾えるんですか、石なんて」
「それがさ、拾えるんだよ。あの辺りは昔っから、墓が築かれちゃあ放棄されてきた土地だからな。」
「……。」
チェティは首を傾げ、しばらく考え込んでしまった。
メンフィスの北の地域に築かれた墓、といえば――いにしえの、神王たちの時代の墳墓群のことではないのか。
弟の顔を見て、ペンタウェレは苦笑する。
「あー、まあ、言いたいことは分かる。けど、実際、元はどこの墓のだったかわからん石がゴロゴロしてんだよ。もちろん本体の石を使ったりはしないぞ。離れた所にぽつんと落ちてるようなやつだ。周壁とか、礼拝用の神殿だったやつとかな。それなら、別に、死者を辱めるとかでもないからいいだろ」
「大神殿はもちろん、許可してるんですよね?」
「ああ。採石して良い場所の指定は、下見の時に貰ってる。つか、壁を作る予定の土地は元々、大神殿の所有地だったんだ。何処に誰の墓があるかは、把握してるだろうさ」
「…そう、ですよね」
でなければ、大神官プタハヘテプが許可を出すはずもない。
ただ、心配していたのは、どこの誰のものだったか分からなくなった、記録に残されていない墓がありしないか、ということだった。
「おっと、門限がやばい。んじゃな、チェティ。仕事がんばれよ」
「うん。兄さんも」
小走りに駆けてゆくペンタウェレと別れ、チェティのほうも、役人の宿舎に急ぐ。
明日も、朝から土地の測量の仕事に出かけなければならないのだ。
気になることは山程あったが、やるべきことはやらなければ。
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