第7話 読めない印

1/1

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ

第7話 読めない印

 ヘンレクが寝込んでしまった翌日は、朝から一人だった。  ”運良く”、倒れる直前までのヘンレクは、ほとんど仕事をしていなかった。彼の担当分の巻物は、確認済みの印も入っておらずほとんどがそのままで、どうやら、朝からずっと具合が悪いまま、ふらふら農地を彷徨っていただけで終わったらしい。  (なら、最初から順番に見ていけばいいだけだ) やり直す必要がないだけ、手がかからない。  巻物を手に農地の端に立った時、牛を連れて畑に出ようとしていた農夫が一人、チェティの姿を見つけて声をかけてきた。  「お役人さん、昨日の、壺を探してたお役人さんだよねえ」  「えっ? あ…はい、内臓壺の件ですね」 首から提げた蛇女神の護符。昨日、何か見つかった教えて欲しいと頼んでいた、下流の州から来た男だ。  「実はなあ、あのあと、見つけるには見つけたんだが、牛が踏み潰してしまったらしくてなあ…。」  「どこですか。見に行きます」  「こっちだ」 男の案内で、チェティは、畑の端のほうにやって来た。  そこは、最初に木箱に入った壺が見つかった場所から西のほう、つまり川から離れている方角の、畑の一番端だった。元々は小屋か何かが在った場所らしく、耕作地にしては地面が固く引き締まって耕しづらそうな場所だ。鋤を付けた牡牛は、果敢にも、そこに突っ込んでいったらしい。  壺は、掻き出された土の山の中に半分だけ顔を出して、無惨にも砕けて破片と化していた。  「ああ、…これは、確かに壊れてますね」 チェティは、土の中から慎重に、大きな破片を取り出した。  やや緑がかった、黒い滑らかな石。大神殿に持ち込んだ三つの壺と全く同じ材質で、大きさも同じに見える。  表面には、足りなかった最後の一柱、”イムセティ”の文字もある。間違いない。  だが、壺の破片をすべて取り上げた後で彼は、そこにまだ何か埋まっていること気がついた。  「…ん?」 土を指で掘って、別の欠片を取り上げる。  灰色の、別の石材で出来た大きな破片。別の壺の一部だろうか。  「何か、掘る道具はありますか? まだ埋まってそうなんですが」  「鍬があるが、お役人さん、大丈夫かい?」  「このくらいなら」 木製の鋤では硬い地面は掘りづらかったが、チェティは、なんとか灰色の石材の欠片を地面から取り出すことに成功した。どうやら、それも内臓壺らしい。最初に見つけた壺と同じように、持ち主の名前は刻まれていないが精緻な作りで、上等な品に見える。  ここで、彼は考え込んでしまった。  壺は四つ揃ったというのに、まだ、似たような壺がある?   ――この、新しい壺のほうも内臓壺だったとしたら、まだ他に三つあるとでもいうのだろうか。  「あのう…ここ、もしかして工房かなんかの跡なんですかねえ?」 後ろから覗き込んでいた農夫が、心配そうに尋ねる。  「どうして、そう思うんですか」  「いやあ、だって、こんな水路の近くに墓は作らんだろう? それに昨日から、鋤起こしをしてたら、やけに石の欠片が沢山出てくるんだよなあ」  「……。」 チェティは、辺りを見回した。  確かに、不自然に色付きの石が多い。土手のあたりや、畝の上の方にまとまって転がっているのは、この農夫が、畑を耕しながら邪魔な石を退けていったからだろう。  土手に近づいて、一つを取り上げて確かめてみる。  (職人街の工房で見るのと同じ、上質の石だ。葬送の道具や護符に使うような) そこらの沙漠に自然に落ちている石ではない。誰かが、意図して遠くから運んで来たとしか思えない。  だが、ここは土地の記録を見る限り、十数年前にも畑だった。その前に石工の工房があったとしても、邪魔な石など前の耕作人が取り除いていて然るべきだった。  それが何故、今になって、こんなにも――。    チェティは、思わず頭を振った。  いけない。このまま考え込んでいたら、一日が終わってしまう。まずは、目の前の仕事を片付けることだ。  「ありがとう、この石はここに置いておいてもらえますか。あとで、取りに来ます。他にも見つかったら、集めておいてください」  「あいよ。にしても、こんなに石があって、ちゃんと麦が育つと良いんだが…。」 農夫は心配そうに呟きながら、牛を連れて畑の中に入っていく。  チェティのほうはというと、浮かび上がりかけた疑問を苦労して頭の片隅に押し込みながら、州役人としての仕事のほうに取り掛かったのだった。  その日の仕事は、早めに切り上げた。  畑から掘り出されたものをネフェルカプタハのところへ届けるためだ。  結局、新たに見つかったものは黒い壺ひとつと、灰色の壺ひとつぶんの欠片。それと、ありふれた生命の護符に、ほとんど原型を無くすほど摩耗した聖甲虫(ケプリ)の護符がひとつ。  見つかったものからして、墓の副葬品ばかりなのは間違いない。  それにしても、場所が問題なのだ。農夫の疑問のとおり、あの場所は、墓が作られるような場所ではないのだから。  街に到着したのは、夕方のお勤めが始まる前の時間だった。この時間なら、ネフェルカプタハは確実に大神殿の中にいる。  人に聞きながら大神殿の敷地内で探すと、目的の人物は、珍しく施薬所に居た。ここは「生命の家」ーー神殿の管理する医療知識を管理する部門の管理下にあり、その知識を駆使して、病人たちに薬を処方する医療施設なのだが、実は天文学や暦の知識もて担当している。  実際には、それも医療行為と結び付けられていた。星の並びが悪い日には、人は、病気にかかりやすいと思われていたからだ。星の運行を読んで吉兆を占うとか、新生児の運命を占うといった仕事も、「生命の家」の範疇にある。  つまりは、各神殿の祀る神の教義に関する固有の経典以外の、すべての神殿で共通する高度知識を管理する場所、と言いかえてもいいかもしれない。  ネフェルカプタハは、その施薬所の端の書架の前に腰を下ろし、何やら真面目な顔をして、難しそうな巻物を膝の上に広げている。  「カプタハ?」  「――っと、チェティか。待ってたぞ」  「うん、勉強中だった?」  「いいや。なんとなーく読書してただけだな。」 言いながら、手にしていた巻物を手早く巻き直し、綴紐を巻いて、ぽいと木棚に収納する。  (どうせ、大神官様に何か言われたんだろうな) 何だかんだ言いつつも、勉強するべきことは勉強するし、理解するだけの頭はあるのだ。ただ、必要最低限しか熱意を見せない主義らしく、言われるまで自発的にはやらないというだけで。  「で? 何かまた、見つけたのか」  「うん。残り一つの内臓壺を見つけたよ。筆写室に行こうか、前の壺と合わせて確認したいから」 二人は、並んで施薬所をあとに、敷地の奥にある筆写室へ向かう。  書庫の奥に繋がる筆写室は、今日も書記が少なく、閑散としている。  「んじゃ、前のやつ持ってくる」  「お願いするよ」 ネフェルカプタハが、預けておいた木箱と三つの壺を持ち出してくる間に、チェティは、今日見つけた品を明るい筆写台の上に広げた。  戻ってきたネフェルカプタハが、それを見て声を上げる。  「おいおい、なんか多いんだけど? 残りの壺だけじゃなかったのかよ」  「そうなんだよ。あの場所は、もしかしたら思っていた以上に訳アリの土地なのかも知れない」 新しく掘り出してきた、壊れた黒い壺は、残り三つと見比べると元々一揃いだったことが一目瞭然だった。これら四つは、間違いなく、一人の被葬者のために準備されたものだ。  問題は、残りの灰色の壺の欠片と護符の方だった。  「護符は…古いのか新しいのかよくわかんねえな。有り触れたものにも見える。けど、何だ? この壺。何書いてあるんだよ、これ」  「やっぱり。読めないよね。それ」 ――そう。  壺の表面に書かれた文字が、…文字だとすれば、だが、全く読めないのだ。  しかも、何か吉兆を意味する印だとしても見た覚えのないもので、何を意味するのかがわからない。eda76350-8081-4d26-a98a-f3f14d09c759 「これは、…旗、か? 神を意味する”ネチェル”の文字に似てもないが、端が尖ってて、形が違うな」  「もうひとつも旗みたいに見えるけど、もっと、ふわっとした感じ、だよね。それに、宮殿みたいな縦横の線が書かれてる。これ、王宮印(セレク)だったりしない?」  「いや、違うな。それなら、どっか近くに王名が書かれてる。うーん…ウチの神殿でいま使ってる印じゃなさそうなんだよなあ。どっか別の神殿で使ってる印かも」  「そっか、カプタハに判らないなら、お手上げだね」  「まあ、調べとく。にしても、何でこんなもんが畑に埋まってたんだ?」 そう、そこが問題なのだった。  チェティは、真顔になって声を潜めた。  「多分、だけど、誰かが故意に埋めてる」  「故意に?」  「うん。土地台帳を調べたんだけど、壺の埋まってた畑は、十年以上、休耕地になってた。その前の耕作人は行方不明だ」  「行方不明? …きな臭い話だな」  「だよね。だから、ぼくはその前の耕作人について、もう少し役所の記録を調べてみようと思ってる」 それが、仕事を終わらせて街に戻ってくるまでに考えていたことだった。  直感が告げている。  耕作人の失踪は、この謎の拾得物に関係しているはずだと。  「そういえば、壺の鑑定は? どうだった」  「いや、なんも分からなかった。古いものだろうってことだけだ。で、その時に、木箱のほうの話もしててさ。本来の内臓壺入れじゃねぇから誰かが入れ換えたんだろうって話をしてたんだよ。木がまだ腐りきってないから、埋めたのは最近じゃねぇが、大昔でもなさそうだ、ってな」  「失踪した耕作人が埋めたんだとすれば、経過時間はちょうど一致しそうだね」  「だな。けど、その耕作人が墓泥棒だったってわけでもないだろ? もしそうなら、めぼしいモノは持って逃げるだろうし」  「うん。もしかしたら、持って逃げたあとの残りが、いま見つかってるものなのかもしれないけど」 チェティは、目の前に並べられた副葬品を、じっと見つめた。  「――カプタハ、もし、古い墳墓に侵入して、内臓壺を持ち出せるまで入り込んだとしたら、他に何を持ち出す?」  「ん…そりゃあ、やっぱ貴金属だろ。貴人の墓なら、腕輪とか首飾りとか、なんか金細工の一つくらいは入ってそうだけどな」  「金は、水で腐食しない。埋められていたとしても、腐らずに見つかる」  「けど、目立ちもする。端っこだけでも顔を出してりゃあ、誰かが気づいて掘り起こすぜ」  「…そうだね。その可能性もある」 チェティには、発見物の中に貴金属や、もっと高価な製品が一つもないことが違和感のように思えた。  窓の外を、日が傾いていく。  顔を上げたネフェルカプタハは、それに気づいてはっとした。  「やっべ、そろそろお勤めの時間だ。行かないと…あっ、そうだチェティ。明日、この壺が見つかった場所に、俺も連れてってくれねぇ?」  「えっ、いいけど…何で」  「いやー、やっぱ、現場とか見ときたいじゃん。」  「……。」 ちょっと首を傾げて考え込んでから、チェティは、頷いた。  「ちょうど、この壺が見つかった畑が呪われてるんじゃないかって、新しい耕作人が心配してたんだ。ついでに祈祷していってくれると助かるよ。他の州からの移民も多い区域だから」  「おっ。んじゃ、布教に行くっつー(てい)にしとくかな。へへっ、これで親父にサボりとか言われねぇぞ」  「…まあ、そうだね。それじゃ明日の朝、また来るから」 苦笑しつつ、チェティは去っていく。  幼馴染が帰って行ったあと、ネフェルカプタハは、残された灰色の壺の破片を取り上げて眉を寄せた。  刻まれた印は、文字ではない。神官たちの使う神聖文字でもなければ、神殿で通常使われる聖なる印でもない。だが、どこかで見覚えがあるような気もする――。  思い出せないのが、もどかしい。さしあたっては、神殿内の書物を片っ端から当たってみるしかなさそうだった。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加