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第9話 増えてゆく謎
目的の村は、川べりに近い場所にあった。つまり、まだ殆どの区域が増水した水の下だ。
水の中に浮かぶ島のようになった村に渡るには、服の裾をたくし上げるか、小舟を使うしかない。水辺で子どもたちが犬と一緒にはしゃぎ周り、女たちは洗濯物を干している。そして、男たちは、水路に入り込む魚を取るために葦を編んだ籠で罠を仕掛けていた。
チェティは、岸辺にいた魚とりの男に声をかける。
「すいません、こちらにチャロイの娘ヘパトという人がいるはずなんですが、ご存知ありませんか」
「ん、ヘパト? ヘパトなら…おーい!」
男は、立ち上がって水路の向こう側に声を張り上げる。
洗濯物を干していた若い女性が振り返った。赤ん坊を背負っているのが見える。
「お役人さんが、お前に用事だとさ! ちょっと、来い」
「えー? 用事? ちょっとまってて」
干そうとしていた洗濯物を籠に放り込み、水の浅い所へ迂回して、豪快に足元をたくし上げながらザバザバと近づいてくる。
農夫の家の娘らしく、色の浅黒い、たくましい体格の女性だ。背中の赤ん坊は生後半年といったところか。よく眠っている。
「なあに? あたしに用事って」
「実は、あなたのお父さんがむかし耕作していた畑から、護符が掘り出されたんですよ。それで、前の住民の持ちものかどうか調べたくて」
「あー…あの、西の方の畑? あそこって、また人が入ったんだ。ふうん、いまいち収穫がふるわない土地って聞いたけどね」
「そうなんですか? 誰に聞いたんですか」
「たぶん、お父さんかお母さんかな。だいぶ川から遠いでしょ? 土が薄いんだって。掘ったらすぐ赤い土に当たるよ。黒い土は、川に近いとこから溜まっていくからさ」
「確かに今も、小麦に不向きで大麦用に使っていますが」
言いながらチェティは、蓮っ葉な女性の、意外に鮮明な記憶に好奇心を抱いていた。
「役所の記録では、あの土地が最後に耕作されたのは十年以上も前でした。お父さんが行方不明になったのは、その前ですよね」
「十三年…? かな。そのあとお母さんが体壊してさ。だから、十二年前が最後じゃない? お父さんがいなくなった時、あたしはまだ五つで、この村にいた、お母さんの親戚に引き取られたの。それで、おしまい。お父さんのことは誰も探さなくなった」
「お父さんかお母さんが護符を持っていた記憶は? 埋葬に使うものにも見えましたが、墓の準備とか」
「んんー、どうかな。お母さんが持ってた生命の護符は、あたしが貰ったから今もあるわよ。それ以外は記憶にない」
「そうですか」
チェティは、ちらと隣のネフェルカプタハを見やる。今度は、ネフェルカプタハが口を開いた。
「護符と石の壺は大神殿で預かってるんだが、あんたのもんじゃないなら、こっちで処分しても構わないか」
「そりゃいいけど。壺? 壺まで出てきたの?」
「黒い石の壺と、灰色の石の壺だな。壺のほうは、鋤起こしで割れちまってるやつもあったが」
「んー…あっ、それ、もしかしたらお父さんが見せてくれたやつかな? なんか、見た覚えあるなあ」
「本当に?」
と、チェティ。
「思い出して欲しいんですが、その壺は、どこから持ってきたものでしょうか。誰かに貰った、とか?」
「ううん、なんか仕事帰りに持って帰ってきたんだよね。お父さん、雇い主に言われてちょいちょい、変なもの持って帰ってきてたから。ガラクタみたいなものとか…」
「雇い主? 耕作人なのに、ですか」
「そう。農作業の暇な時期は、出稼ぎに行ってたのよ。あの土地、いまいちだって言ったでしょう。税を取られると食べていくのが厳しくてさ。それで、どっかの貴族の小間使いみたいなことやってたみたいよ」
「貴族の、小間使い…」
だとしたら、その貴族はメンフィスに屋敷を構えていたに違いない。
貴族は召使いを何人も雇うものだが、冠婚葬祭など大きな催事の時や、家を改装するなど人手の必要な時には、臨時で人を雇い集めることもある。ヘパトの父親も、そうした募集に応じて期間限定の副業をしていたということか。
「けど、食べ物分けてもらったとかならともかく、さすがに壺の余りをくれる奴はいないんじゃねぇか?」
「うん。いくら貴族の家でも、石の壺なんて余分に作らないだろうし、農夫にあげて喜ばれるとも思えないな」
「だよねえ。何であんな変なもん、持って帰ってきてたんだろ。」
「他には、どんなものを?」
「石で出来た籠とか、机みたいなのとか。板みたいなのもあったけど、それは売れたって言ってたな。ぜんぶ、石で出来たものばっかりだった。」
「それを、集めてどうしてたんですか」
「…壊してた。かな? よく覚えてないんだけど、いつの間にか壊れて、水路に放置されてたりしたから。そういう仕なんだって思ってたんだよね。要らなくなった古い石の道具を壊す仕事…壊すだけなら、街の石工に持ち込むものじゃないでしょ」
「確かに、そうですね」
「まあ、だから、あの畑から何か出てきても、寄付でいいわよ。あたしは別に気にしないから。」
「ありがとうございます。では、見つかった壺と護符は、こちらで対処しておきますね」
「ええ。わざわざ報せにきてくれてありがとう、ご苦労様」
ヘパトと別れ、耕作地の間の道をメンフィスの街へ向かって歩きだしながら、二人は、黙ったままだった。
判らないことだらけだ。それに、新たな疑惑が浮かんできた。
失踪した農夫チャロイは、どこかの貴族に雇われて、古い石製品を密かに処分する仕事を請け負っていたのだ。
だが、その石製品はどこから出てきた? それに、何のために人目を避けて打ち壊す必要があった?
「石の籠、っつってたよな」
ネフェルカプタハが、口を開いた。
「”永遠”を願って石の籠を作る。そいつは、昔の葬送儀礼の一つだ。今はもうやらねぇが」
「それじゃ、あの内臓壺と同じで、古い墓から出てきたものってこと?」
「おそらくはな。その貴族は、自分ちの古い墓地を処分しようとしてたのかもしれねぇ。てか、そんな古い墓地を持ってるのなら、だいぶ歴史の長い”由緒正しき”家柄ってやつだろうけど」
「自分の家の墓なら、別に隠す必要、無いと思うけどな…」
「そこなんだよな。もしかして、墓の面積が足りなくなってご先祖様を隅っこに押し込めて自分たちのぶんの部屋を作ったのが後ろめたかった、とかかもしれねえ」
「だとしても、内臓壺まで処分はおかしいよ。中に遺体の一部が入ってたはずのものなのに、赤の他人に壊させるなんてさ」
「あーそうか。ううん…じゃあ、何なんだ?」
「……。」
チェティは、手をあごにやってしばらく考え込んだあと、口を開いた。
「…せめて、チャロイが雇われていた貴族が分かれば。失踪した当時まだ奥さんが生きていたのなら、失踪届が出ているかもしれない。十三年も前だと残ってるか怪しいけど、役所で少し、記録を漁ってみるよ」
「そか。んじゃ、俺は、あの灰色の壺の謎の印でも追ってみるかな。」
「そっちは頼んだよ」
「おう」
メンフィスの街の周壁が見えてきたところで、二人は別れた。
チェティのほうは、北街の役所へ。ネフェルカプタハのほうは、街の中心街の大神殿のほうへ。
それぞれに、やるべきことがあった。
チェティと別れたあと、ネフェルカプタハは、夕方のお勤め前に大神殿の書庫へと向かおうとしていた。
その姿を見つけたプタハヘテプが声をかける。
「カプタハ、また何か厄介事か?」
「んだよ、ちょっと調べもんだよ。布教の仕事はしてきたんだから、別にいいだろ」
「咎めとるわけじゃない。昨日も書庫で真剣にやっとったし、お前にしては珍しいと思ったんだ。何をそんなに、悩んどる?」
はあ、と小さく溜め息をついて、ネフェルカプタハは頭を掻きながら目をそらした。
「…なんか、聖なる印っぽいやつが刻まれてる内臓壺を見つけたんだけど、印の意味がわかんねぇんだよ」
「ほほう。首席典礼神官の称号を持つお前が、葬送の印の意味が分からんと」
「しっ、しょうがねーだろ、だいぶ古いやつなんだし! てか、親父なら分かんのかよ。だったらとっとと教えろよ、三角形の旗印みたいなやつと、ふわふわした旗印みたいなやつの意味!」
「三角形…?」
にやにやしていた大神官プタハヘテプは真顔に戻り、ちょっと首を傾げ、しばし考え込んだ。
「…もしかして、格子模様と一緒にあるやつか」
「げっ、マジで知ってんのかよ」
「いや、実物は見たことがない。しかし、もしそうなら――うむ。イトネブ師匠に見てもらうと確実だろうな」
「え? 先生に?」
イトネブは、街で書記学校の教師をしている老人だ。チェティやネフェルカプタハにとっては恩師であり、その親世代のセジェムとプタハヘテプも、かつてはそこの生徒だった。
「お前は知らんか。イトネブ先生は元々、古典文学や古文書の解読が得意な方でな。わしが今の地位を継いだ頃に、大神殿の、古くなりすぎて難読になっておった巻物の書き直しに尽力してくださったことがある」
「それ、早く言ってくれよー! ちょっと行ってくるわ」
そうと決まれば、行動は早い。ネフェルカプタハは法衣を翻して早くも駆けだしている。
「夕方のお勤めまでには戻れよ」
「わーってるって!」
元気いっぱいに駆け出していく若い神官を、プタハヘテプは、困ったような笑みで見送った。
普段はやる気がないくせに、ひとたび興味を抱くや一直線なのだ。
動機はともかく、これで古典も少しは学んでくれれば…、言うことはないのだが。
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