もしも願いが叶うなら ~ずっと、恋を、あなたと~

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 無言だが、男は足も崩さず、美希の話に耳を傾けていた。 「ゴンちゃんには、いつまでも名無しじゃヤだし、名前つけてって言われてたんですけど。でも。ゴンちゃんの記憶が戻ったら。ちゃんと名前はあるじゃないですか。思い出したら、ちゃんと帰らないといけない人じゃないですか」  だから私は、ゴンちゃんとしか呼べなかった。  実際、その日は突然訪れた。  庭の水やりの後、買い物に出かけたゴンちゃんの帰りを待って、美希がシチューを煮込んでいると、けたたましく玄関チャイムが鳴らされる。 〝妻です〟  慌てて玄関の引き戸を開けると、高級ブランドのスーツに身を包んだ、美希より一回り年長に見える女性が口早に告げた。 〝夫がお世話になりました。お礼は後日改めて。早速連れ帰ります〟  踵を返して女が乗り込んだタクシーの後部座席に、スーツ姿の男性に腕をつかまれたゴンちゃんがすでに乗せられていたのを、呆気にとられながらも美希は視界の端に捉えていた。  「初めてゴンちゃんを、公園のベンチで見つけたときは。夕闇に、溶けちゃいそうで、子供かもって思ったくらい小さく見えて。でも元気になったら、私よりちょっと背高くて、二つか三つ年下なくらいかなって。まさか、二十五の私より年下でもう結婚してるとは思わなくって。全然、思いもしなかった」  だから、私が悪いんですけど。 「翌日、タクシーに乗ってたスーツの人が、代理人ですって分厚い封筒持ってきたんです。お礼なんかいらないから、ゴンちゃんに会わせてほしいってお願いしました。ダメだろうけど、最後にちゃんとお別れしたくて。でも断られて。ダメだろうけど、諦められなくて。その後も何回も代理人の人に電話して。そしたら、やっと」 〝会わない方がいいと思いますよ〟  くり返し釘は刺されたが、美希は代理人に連れられて高層マンションにやってきた。広くて日当たりのいいエントランスに置かれた格調高いソファに恐る恐る腰を下ろして待つ。エレベーターホールから、足音がした。 〝ゴンちゃん〟  つい呼んでしまい、慌てて口を抑えた。帰るべき場所に戻って、ホントの名前で生活しているだろうに。謝ろうとして、耳を疑った。 〝初めまして〟  え。 〝あ、じゃないかも、じゃなくて初めてじゃないんですよね、ですけど、その〟  ゴンちゃん? 出会ってすぐに隣で笑い合った彼が、うってかわってよそよそしい。オドオド視線をさまよわせて、まともにこちらを見てもくれない。 〝先日、忘れていた記憶を取り戻したんです〟  代理人の声音は、だから言ったでしょう、の響きを伴っていた。 〝取り戻した代わりに、記憶を失っていた間のことが抜けてしまったようですね。医者の話ではそういうこともあるそうで〟  美希と出会う以前を思い出したから。美希と出会って暮らしたことを忘れてしまった。状況を理解したとたん、そんな、と目の前が真っ暗になった。
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