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「びっくりしたよ」
墓地に着いたところで、裕子が言った。
「何が?」
「こんな近くにお父さんのお墓があるなんて」
「知らなかったの?」
「うん。小田原にあるとは、お母さんから聞いてはいたけど……」
小田原の根府川という所に店を開くことにしたと母に言うと、驚いて、そこなら、と、お寺の名前を教えてくれたのだそうだ。
母が精神を患ったのに加え、両家の仲が悪かったため、何となく疎遠になり、墓参りもしなくなってしまったようだった。
「本当は、お母さんも連れて来たかったけど……」
「今どうしてるの?」
「静岡の病院に入院してる。私が引き取られてすぐに、おじさんたちの計らいで静岡に転院して……」
裕子が墓地の中を歩きながら言う。
高台にある墓地からは、東海道線の鉄橋と、その向こうに、相模の海が見渡せる。
「無理してくれたのね、私たちのために。今でも入退院を繰り返してる。ずっと」
「そうだったんだ。知らなかった」
神木家の墓の前に来た。
父は大好きだった海の見えるこの墓で眠っている。
二人は花を供え、線香を手向けてしばし拝んだ後、
「歌手、なれるといいな」
健太が笑って言った。
「あの、一応歌手なんですけど」
「あっ、そうか。売れない歌手」
「違います! まだ売れてない歌手です!」
と、裕子は『まだ売れてない』を強調して、健太の二の腕を叩いた。
「真面目な話。売れると思うよ、新曲」
「うーん、だといいんだけど」
「紅白で歌う姿、見せるんだろ、母さんに」
「覚えてくれてたんだ。鎌倉時代の私とお母さんの話」
「ああ、忘れないよ。貧乏だったけど、楽しかったって記憶だけはある」
海をバックに、電車が鉄橋を渡っていく。
二人はそれを眺めながら、
「絶対売れるから」
「実感こもってるし?」
「そう」
「なりきってるし?」
「そうそう。俺も応援する。職場の仲間にも宣伝するから」
「ホントに?」
「経験に裏打ちされたこの一曲……ってね」
ちょっと意地悪く笑って健太が言うと、
「そんな榊ゆう子に本気で惚れかけた神木健太がお勧めします……って?」
「こら!」
逃げる裕子を追いかける健太。
二人はそのまま墓地を後にした。
「ありがとう、お兄ちゃん。来てくれて。お店にも、ライブにも」
「俺の方こそ……ひろこ、夢、叶えろよ」
兄妹は見つめ合い、頷き合った。
「あー、喉渇いたねー」
「そうだな。あっ、みかもんティーが飲みたいな」
「うん、いいね」
「BGMは、榊ゆう子の新曲で」
「オーケー」
流れるメロディーを聞きながら、二人がゆっくりとみかもんティーを飲む『喫茶みかもん』の店内。
CDが終わると、今度は、神木裕子の生歌が流れ始めた。
カップを片手に、妹の声に聴き入る兄の姿が、そこにはあった。
(完)
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