3.再び「みかもん」

1/5
前へ
/11ページ
次へ

3.再び「みかもん」

2日後の、小田原城址公園内の天守閣。 その最上階の展望デッキで、手摺にもたれかかりながら話す二人の姿があった。 五月晴れの空の下。 広大な相模湾から箱根連山までが一望できる。 健太が、海に面した山の麓を指差しながら、 「あの辺りですよね。みかもんさん」 「そうですね。見えるかな?」  そう言って目を細めるゆう子の長い髪が、潮風になびく。 「ゆう子さん……って呼んでもいいですか?」 「……はい」 「歌手だったんですね?」 ゆう子は、ふっと自嘲気味に笑って、 「知らなかったでしょ? 売れてないから」  健太はその色白の横顔を見ながら、 「でも、すごく良かったですよ。実感がこもってると言うか。売れてないのが不思議なぐらい」 「ははは、実感こもってました?」  ゆう子は、今度は楽しそうに笑って健太を見た。 「はい。なりきってる、という感じでした」 「そうかぁ。なりきってるかぁ……」  そう言って、遠い目になる。  少しの沈黙の後で、彼女を窺うように、 「……ゆう子さん?」 「あっ、お腹空きましたよね。お店に来ませんか。カレーでよければごちそうしますよ」  思いついたようにゆう子は言うと、ぴょんとジャンプして手摺から離れ、歩き出した。 健太も慌てて後を追う。  そのまま二人は城址公園を後にし、根府川の『喫茶みかもん』に向かった。 店の扉の定休日の札はそのままに、二人は店内に入る。 ゆう子は、手荷物を置くとすぐに、手際よく二人分のカレーライスを用意してくれた。 大きい野菜がゴロゴロ入った、スパイシーなチキンカレーは、かなりの美味しさだった。 食べ終えると、 「さ、お腹の虫も収まったところで、さっきのお話の続きをしましょうか」  ゆう子は、食べ終わったお皿をシンクに置き、次いでコーヒーを淹れる準備をしながら、 「なりきってる、って言ってくれたでしょう?」 「はい。本当にそう感じたから」 「引き摺ってる……のかな……」 「えっ?」  ポットのお湯を回し淹れるゆう子の顔が、物憂げに見える。 彼女はそれから、淹れたての2杯のコーヒーをカウンターに置き、並んで座ると、 「私ね、静岡の街の保育園で保育士やってたんです」  と、ゆっくり過去のことを話し始めた。  静岡市内の短大を出て保育士になったゆう子は、先輩や仲間にも恵まれ、充実した毎日を送っていた。  何年かすると、後輩もできた。 その中に、二十歳の新人男性保育士がいた。 「いるだけで太陽のように明るくて、花のように優しい雰囲気で、新社会人の初々しさがいっぱいで。青年と男の子が同居してるような、純粋な人」 ゆう子は、そんなふうに彼のことを言った。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加