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園児たちは、青年先生にあっという間に懐き、彼は保育園の人気者になった。
「園児たちと一緒になると、同化しちゃってどこにいるか分からなくなるくらい」
おかしそうに、ゆう子が笑う。
(今でも好きなんだ……その保育士のこと……)
そう感じながら、彼女の横顔を見つめる。
ゆう子は続けて、
「ある日の夕方だったかな……」
それは、順風満帆に見えていた、青年保育士の別の側面……。
ひと区切り付いたゆう子が、お茶を飲みに給湯室に行くと、彼が一人ポツンと立っていた。
その雰囲気に、ゆう子は驚いた。
園児といる時とは別人のよう。まるで太陽が沈んでしまったかのようだった。
ゆう子は彼の教育係だったが、そんな彼を初めて見た。
その日、彼を呑みに誘った。
ゆう子が新人時代、よく先輩に悩みを聞いてもらった、静岡駅近くの小さな居酒屋。
職場の外で二人だけでじっくり話をするのも、その夜が初めてだった。
明るくて勢いのある新人保育士に、悩みなど無縁のように見えていたが、この半年間だけでもいろいろあったようだった。
親からのクレーム。
園長からの叱責。
いきなり園児の人気者になったことへのやっかみ……。
酔いが進むにつれ、いろいろな愚痴が彼の口を突いて出た。
「つらいですよ、先輩」
「そっかぁ。それはつらいね。でも、今のままのあなたでいいよ。私はそう思ってるから」
「ありがとうございます……」
彼はゆう子にもたれかかって泣いた。
最後は泥酔してしまった彼を、部屋まで送り届けた。
それから彼は、何かとゆう子を頼るようになった。
仕事のことはもちろん、初めての一人暮らしのことまで。
「大変だったけど、充実してた……」
遠い目をして、幸せそうに笑うゆう子。
「それから、二人でその居酒屋にも、よく行くようになって。彼の家にも……」
思い出を綴るように語っていく。
「ホントに雑然とした部屋で、これぞ男の一人暮らし、みたいな……」
楽しい記憶を辿っているような、ゆう子の横顔。
「……しょうがないなぁ、なんて言いながら、掃除や洗濯をしてあげたり。ごはんを作って一緒に食べたり。体的にはキツかったけど、楽しくて。ある時なんてね……」
と、なおもゆう子は楽しそうに語る。
「カレーが食べたいって言うの。それが彼、注文が多くて。肉は鶏肉にしろ、野菜は大きく切れ、味はスパイシーで辛口じゃなきゃだめだ、なんて。頭に来たから、だったら自分で作って。私はあなたの母親じゃないんだよ! って怒ったの。そしたら彼、急に涙目になって……」
「……うん」
「お母さんは俺が4歳の時に死んじゃったんだって、ポロッと言ったの。私と似た境遇なんだって思ったら、今度は何だかすごく愛しくなってきて……」
「……母性をくすぐられた?」
「そうね……お母さんの手料理の中で一番好きだったのが、野菜ゴロゴロのチキンカレーなんだって」
「あぁ、それで……」
健太は、さっき食べたチキンカレーを思い出した。
「甘え上手でしょう? 彼」
ゆう子がそう言ってコップの水を飲み、そのままフラフラと揺らしながら、
「でもね、あれはクリスマスイブの夜だった……」
その横顔に、影が射す。
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