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彼女が消えた理由
3杯目のキューバリバーをボーイから受け取ると、同僚の話を聞いているふりをしながら彼女の姿がどこかにないか目で探した。すらりとした身体つきで、髪の毛は背中のあたりまであって、結んだりはしていないストレート。先週の勤労者パーティーでは確か黄色のドレスを着ていたはずだが、今日はどんな格好をしているかわからない。
ホール会場は薄暗く、大音量でクラブ・ミュージックがかかっている。おまけにスモークが焚いてあり、ミラーボールの明滅のせいで会場全体がよく見えない。同僚はさっきから先月の勤労パーティーでやったボーリングのスコアについて話している。おそらく誰もまともに聞いていない。ぼくは先週彼女と親しげに話していたショートヘアの女性がカウンターの近くで男性と談笑しているのを眺めていた。話し相手の男性がふらりとその場を去ったタイミングで、カウンターに並んでいるカクテルシュリンプを取りに行くふりをしながらさりげなくショートヘアのそばに寄った。
やぁ、先週はどうも。覚えてるかな? ほら、パーツオーダー課の。そう、ボーリングマニアの友達。今週は元気だった? 忙しかった? そう、それは大変だったね。ところで今日はお友達は一緒じゃないの? ほら、あの、髪の長い。
不思議なことにショートヘアは彼女を知らなかった。先週のパーティーではあんなに仲が良さそうに見えたのに。職場の全員が毎回パーティーへの参加しているのだと思っていた。ぼくたちはセントラルから指示があったときに会社に出て、セントラルの指示で家に戻る。入浴の時間も食事の時間もすべてが管理されている。ボーリングマニアは3ヶ月に一度あるボーリング大会を生きがいにしているし、音楽マニアは半年に一度のダンスイベントを楽しみにしている。生まれたときからぼくたちはなにも決める必要がなかった。起きる時間、眠る時間、働く時間、息抜きの時間、そのすべてがセントラルから与えられている。それでももう少し遊びたいとか、眠りたいとかそういうことをあまり意識したことがない。セントラルはぼくたちの身体にとって自然な時間をきちんと計算してパフォーマンスが最大になるようなタイミングで休憩や仕事を区切るらしい。遅刻もないし、ストレスがたまっているとセントラルが判断したら自動的にその日は休暇が与えられる。そのリスケジュールはセントラルによって与えられるので不要だ。セントラルはぼくが退屈していると感じたのか、腕につけた端末から帰宅するように指示が来て、ほどなくその日の勤労パーティー会場から帰った。
パーツオーダー課の仕事が楽しいのか退屈なのか、ぼくにもよくわからない。市民たちの必要な物品を、セントラルから与えられた指示のもと注文書を発行する。ほとんどは自動で処理されるのだけど、時折発注ミスがあったりするのでそのメンテナンスを行う。社会人になって以来、ほかの仕事をしたことがないので、この仕事が楽なのかつらいのかわからない。一日の労働時間は5時間、週に4日。いつもはわりに集中して取り組むのだけど、その日はどうしても目の前の仕事に集中することができなかった。
「お先」とボーリングマニアが職場から帰って、この日は職場で一番最後になった。そのころになっても今日すべき仕事がほとんど終わっていなかった。彼女はどうしてパーティー会場にいなかったんだろう。
『やぁ、どうも。どうしても解決しない技術的な問題があって、さっきから数字を入れようとしているのだけどどうしても入らない。できればサポートを頼めないかな。今日中に発注しないといけないんだ、ありがとう』
気がつくとぼくはITデスクに向かってそんなリクエストチャットを送っていた。するとITデスクは『プロセス受理』というそっけない返事を返し、ほどなくして明らかに寝不足で血色の悪いひょろ長い体格にねずみ色のパーカーを着た男がパーツオーダー課のドアを叩いた。
「ちょっと見せてもらうよ」と言いながらパーカー男がぼくのパソコンをいじりはじめる。
「わざわざありがとう、コーヒーでも淹れようか」
「砂糖とミルクは入れないで。なるべく濃くしてほしい。眠くてたまらないんだ」
ぼくがブラックコーヒーを彼のために淹れると、画面を見ながらおいしくもなさそうにすすった。たぶんカフェイン中毒なのだろう。
「ログインしてくれる?」と言われてぼくはいつものようにログインした。それからまたパーカーは仕事を続けた。
「ITデスクの人はセントラルに詳しいって本当?」
ぼくはパーカーの後ろの席、つまりいつもはボーリングマニアが座っている机にもたれながら言った。すると、パーカーは初めてぼくの顔をまじまじと覗き込んだ。
「たぶんね。というのは、つまりおそらくパーツオーダー課よりはセントラルに近い」
「セントラルは人工知能なんだろう?つまりシステムだ」
パーカーは怪訝な表情を浮かべた。
「そうだよ。みんな知ってる」
「システムというからにはなにかの仕組みで動いてるはずだ」
「そう。でも複雑なアルゴリズムだよ。ちょっと一言では説明できないくらいに。ねぇ、ちょっと聞いていいかな? どうして部屋の鍵を閉めた?」
パーカーは抗議めいた声でぼくを非難した。ぼくが彼を閉じ込めたからだ。少し怯えているみたいだった。
「つまり、セントラルはどうやって勤労パーティーの参加者を決めるんだろう」
「さっきから操作ログを見てたけど、どこも障害はないみたいだ。ということはシステムは正常に動いてる。サポートデスクに連絡したのは別の用事があるんだね」
「彼女がいない理由を知りたい」
ぼくは白状した。
「まぁ、気持ちはわかるよ。もっと暴力的な手段に訴える人もいる。同僚は額に花瓶をぶつけられて5針縫った。こう、生え際の部分に今でもその傷があるんだ。気の毒だよね」
パーカーが前髪をかき分けてこのへん、といいながらぼくに見せた。確かにそんなところに花瓶をぶつけられたら痛そうだ。彼は思っていたよりもずっと協力的だった。なぜなのか尋ねるとすらすら事情を教えてくれた。
「つまりこういう事態は慣れっこってこと。どういうわけだか俺達をセントラルとの窓口だと考えるやつは多い。俺らにしたっておたく達と持ってる情報はそれほど変わらないのにね。言ってみればただの苦情処理係だ。でも俺達の持ってる秘密なんてそう大したものじゃない。特に守秘義務についての教育みたいなものも受けてない。だから尋ねられればすぐに教える。で、これがその麗しの君か?」
社員名簿が入ったデータベースにアクセスすると、写真入りの社員証をいくつか見せられた。その中の一人が確かにあの彼女だった。
「じゃあ呼ぶか? どうする?」
「呼ぶってここに? どうやって?」
「適当に口実をつけて呼び出せばいい。システム点検だとかなんとか言えばすぐに呼べるよ。どうする?」
ぼくはいとも簡単にそういった彼の顔を見つめた。
いつものようにボーイから3杯目のキューバリバーを受け取ると、ボーリングマニアの話に耳を傾けながらぼんやりとホールを眺めた。週に一度の勤労パーティーはべつに楽しくもなければ憂鬱でもない。一部の人たちは楽しみにしているみたいだが、ぼくにとっては特に楽しい時間でもない。
パーカーがホールにいるかどうか探してみたけど、見つからなかった。たぶんいるはずだけど、探すのも面倒だし、たとえ見つけたとしてもぼくは多分声をかけないだろう。友達じゃないんだし。
彼女に会った日、不思議なことを言っていたのを思い出した。「この世界では自分が本当には生きている気がしない」と。パーカーによればそれはセントラルにとって危険思想なのだという。兆候は至るところに見られた。業務のサボタージュ、認可外のコミュニティの形成、危険思想が書かれた日記。
「パーティーに来ていないのはそういうことだろうね。つまり、セントラルからすれば彼女に仲間を増やされたら困るってことだ。あんたが会った日を境に彼女は人が集まる場所には呼ばれなくなってる」
パーカーはそう言って首を振った。
「でも、本当に呼ばなくていいのか? わざわざ俺を呼んだんだ。彼女に興味があるんだろう? たぶん今呼ばないと一生会えないぞ」
パーカーはもう一度念を押すために聞いてきた。
「いや、いいんだ」とぼくは答えた。「彼女が消えた理由が知れればそれでいい。悪かったね、監禁までして」
そう言ってぼくはドアの鍵を開けた。
ぼくは今まで通りの暮らしがいい。勤労パーティーで飲むキューバリバーは3杯。それを飲み終えたら家に帰る。彼女と会った日、ぼくは4杯目のキューバリバーを飲んだ。だから少し調子がおかしかっただけだ。彼女が消えた理由がわかってぼくはほっとしていた。どうしたらセントラルに消されるのか、ぼくはそれが知りたかっただけだ。
4杯目のキューバリバーは、これからもずっと飲まずに帰るだろう。
了
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