訪問者

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 訪問者  今日は盆の入りだ。  年が明けて一月の末に母が死んだ。つまり母の初盆である。すでに父も他界しているので、今回は父と母が揃って、ご先祖様と一緒に家に帰ってくるはずだ。私は、小さな仏壇に盆の支度をしながら、父と母が手を繋いで家の玄関に立っている様を思い浮かべて微笑んだ。  先週からなにかと忙しく、まともに眠れない日が続いていた。私は心身ともに疲れていた。だがそれも、もう峠を越えた。トラブルは収束できた。これも、ご先祖や父母が守ってくれたのだろうと思う。やれやれだ。だからお盆は、できるだけ感謝をしなければ。 「ママ、おぼんって、おじいちゃんもおばあちゃんもくるんでしょ」 「そうよ~、来たら、いらっしゃいって言うのよ」 「でもあたし、おじいちゃんのことおぼえてないよ。わかるかなぁ」 「うん、きっと判るわよ」  父は、娘の沙綾(さあや)がまだ2歳の時に逝った。それから4年、今年になってすぐに母が倒れた。父の後を追うように、というほど近いわけではないが、生前よく言っていた言葉の通りならば、母は早く父の傍へ行きたかったのかもしれない。  『お父さんの背中が懐かしいねぇ』  アルバムを開いては、父の背中が写っている写真を眺めてそう呟いていた。足の弱かった母は、父におんぶされるのが好きだった。母が『疲れたわ』と言うと、人通りが多い繁華街でもお構い無しに父は母をおんぶした。最初は恥ずかしがっていた母も、そうされるのが心地好いのか、父が腰を患うまでラブラブおんぶをされていたのだ。  急性心不全。それが母の死因だ。どこがどう悪かったのか判らない病名だ。病理解剖すれば直接の原因も判明するのだろうが、それは家族として拒否した。焼き場で拾った骨はスカスカだった。もしかしたらガンだったのかもしれない、と思った。私たちに負担をかけたくなくて、調子が悪くても黙っていたのだろうか・・・。  私の夫は建設現場で働いている。建築資材を肩に乗せて運んだりする肉体労働だから、私のことも娘の沙綾のことも、おんぶするのは容易い。実は私も、おんぶされるのが大好きなのである。小さい頃はよく父におんぶされた。『私をいつでもおんぶしてくれる男』というのを結婚の絶対条件として選んだのが今の夫である。ガテン系を選んで正解だった。尤も、夫はお姫様抱っこをする方が好きだったらしいが。  ナスときゅうりに、足に見立てた爪楊枝を刺す。精霊馬だ。きゅうりは、家に早く帰ってこれるように足の速い『馬』を表し、ナスはお土産をたくさん持ち帰れるように力のある『牛』を表すのだ。私が小さいころに母にそう教わった。今ではこんな盆飾りをする家は少なくなったのだろうか、沙綾のお友達は知らないらしい。そうして、先祖霊の帰る目印にお盆提灯を灯す。電球の熱でくるくると回る光が可愛いと沙綾が喜ぶので、毎年この時期の風物詩である。普段それらを仕舞ってある納戸の掃除が出来るのが、盆の訪れの副産物だった。 「あ、ママ、きたよ。こんばんは、おじいちゃん、おばあちゃん」  マンションだからおがらを焚くことは出来ないので、少しドアを開けて、玄関のあがりにお盆提灯を置いてある。その傍で沙綾が玄関ドアを見ながらそう言った。私には何も感じないが、沙綾にはどうやら見えるらしい・・・。  「いらっしゃい、って、上がってもらいなさい」  「いらっしゃい。はやくはやく、こっちこっち」  沙綾が手招きしながらリビングへ来る。さきほどからソファに座ったままの夫はそんな様子を複雑な表情で見ていた。私はなんともおかしくなって、くすくす笑う。すると、  「ママぁ・・・」  沙綾が口を尖らせて私を見ている。  「なに?」  「おじいちゃんもおばあちゃんも、なんだかこわいかおでママをみてる・・・」  「あら、なにかしらねぇ、ママ、何か怒られるようなことしちゃったのかしらねぇ?」  私はあまり気にも留めず、夕食の配膳を始めた。今夜は沙綾の好きなハンバーグだ。野菜サラダもたっぷりと用意した。可愛いキャラクターの絵柄が入ったご飯茶碗に小さく白米を盛り付ける。炊き立ての香りが鼻につく。私はあまり白米の匂いが好きではないのだ。  「さ、はやくご飯食べちゃいなさい」  「・・・ママ、あのひとたち、だぁれ?」  沙綾は玄関への廊下を指差した。そこには見知らぬ男たちが立っている。突然の出来事に身が竦んでしまったのか、私は動けない。夫は気付いていないのか? ・・・いや違う、・・・ぞくりと、寒気がした。もしかしたら・・・いえ、そうに違いない。私にも見えたのだ。この世の者とは思えない、目つきのいやらしい男たちが・・・。私は本能的に危険を感じた。おとうさん、おかあさん、私を守って!!・・・・・  「三橋敬子、夫 忠治氏の殺人の容疑で逮捕する」  刑事は私の両手に手錠をかけた。 ・・・そうだ、私は、口論の末に離婚を迫られ、逆上して夫を包丁で刺した。夫には女がいたのだ。夫は浮気をしていた。私は、この幸せを手放したくなかった。だから、浮気に気付かないフリをしていたのに、夫の方から別れ話をするなんて・・・許せなかった。風呂上りの夫の背中を拭いてあげながら体重をかけて壁に押し付け、左の肩甲骨の下を一息に刺した。それに気付いた沙綾も泣き止まなかったので首を絞めた。夫の死体の処理に困った私は、風呂場で細かく切断してビニール袋に小分けに入れ、川に捨てた。それが見つかって、身体的特徴から身元が判明し、警察が家に来た。それが昨日だ。『先週から家に帰ってきていませんでした』と、私は泣きながら嘘を吐いた。被害者を装ったのだ。だが、日本の警察は優秀だ。捜索願を出していなかったことに加え、切り刻んだ夫の死体を入れたビニール袋の内側から出た指紋が、警察が家のドアのノブから採取した私の指紋と一致し、私を犯人と断定した。  そして今、冷蔵庫に隠してあった沙綾の死体も見つけられてしまった。・・・いいえ、私は沙綾は殺していない。そこに、ほら、居るじゃない。刑事さん、沙綾が見えないの? 今日の特売で買ってきたハンバーグを食べているじゃない。・・・いいえ、夫も傍に居たわ。ほら、そこに。私は誰も殺してなんかいない、殺してなんかいないのよ!  刑事に手錠をかけられる私に、沙綾が言った。  「ママ、わるいことしたの?」  振り向くと、沙綾と並んで夫が居る。確かに居る。そして父と母も、見えた気がした・・・。  「・・・?なんだ、そのヒモは」  刑事が気付いた。私の手に握られた細い糸に。私はそれを一気に引いた。リビングのテーブルに置いてあったバッグから、糸の先に結んでおいた金属の棒が飛び出てくる。  「なんだ?何をした?」 刑事のひとりがバッグを確かめる。刹那、部屋が轟音に包まれた。  私は、この部屋ごとすべてを消し去るために、ネットで製造法を調べた爆弾を用意していたのだ。糸を引くと信管が外れ起爆する。手榴弾と同じ原理だ。ただし、大きめの容器を使い火薬の量を増やしたので威力はもっとすごいはずだ。刑事さんたちを道連れにするのはいささか心苦しいし計算外だったが、これで、すべてを消すことができる・・・。  「ママもいっしょにいけるの?」  「いや、ママは別のところへ行くんだよ」  夫の声だ。  「敬子・・・お前はまったく、バカなことを・・・」  父が泣いている。その横で母も・・・。どうして?どうして消えていないの? 全部が吹き飛んでしまうはずなのに。私の身体も粉々に吹き飛んだはずなのに。なぜ私は死んでいないの?・・・・・いや、私は死んだのだ。あの爆発で死ねないはずがない。  こうして私は、永遠とも思える暗闇の底で、瓦礫の部屋に棲まう卑しいものとなった。お盆に、夫や沙綾が迎えに来てくれるのをひたすらに信じて・・・。ただ、私の右手には糸があった。これはきっと、天から伸びた救いの糸に違いない。この糸は絶対に離してはならない。私と、家族とを繋ぎとめる糸なのかもしれないからだ。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  「かろうじて生きていますよ。ただ、意識が戻るとは思えませんね、植物状態です」  警察病院の医師がそう言った。  「そうですか・・・いや、火薬の調合が間違っていたようで、大きさの割りに威力は低かった。もし設計通りにできていたら、私もダメだったでしょう」  刑事が返す。  「それに、咄嗟に身を屈めたのがよかったんでしょうね。結果的に容疑者の身体が、あなたの盾になった。・・・バッグを確認したもう一人の方はお気の毒でしたが・・・」  「部屋そのものもかなり損傷し、隣の部屋もひどく壊れましたが、ちょうど不在だった。マンションの他の住人に犠牲者が出なかったことが、不幸中の幸いです」  包帯だらけの刑事の視線の先には、かつて三橋敬子と呼ばれたぼろぼろの肉体が、その行いを浄化するかのような白に包まれて横たわっている。その手には、あの糸が握り締められていた。  「なんでしょうね、あの糸。がっちりと握っていて手が開かないから取れないんですよ」  「あれは、爆弾の信管が結んであった糸ですよ」  「なるほど、最期の瞬間の・・・あぁ、それでかぁ、思い切り握り締めて引き抜いたんでしょうね、そのまま硬直してるんです。いやね、僕はまた、容疑者は芥川のファンなのかと思いましたよ」
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