毒の名

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お花見の当日が来た。 本日は晴天なり。 この時期に晴天というのは、花粉症の僕に対しての当てつけだろうか。 「おはよう、凜。」 「おはよう。今日はいい天気ですね。」 「そうだね。花粉がすごいけど……」 「そうかしら、私は花粉症ではないからわからないのだけれど。」 彼女が羨ましい。鼻水とくしゃみと目のかゆみ、薬が無ければまともに生活できない(流石に大袈裟な言い方ではあるけど)この気持ちを知らないとは幸福なことだ。 「でも、今日はいいお花見日和だな。」 「はい、絶好の花見日和ですね」 彼女はそう言うと微笑んだ。 僕はその笑顔につい見惚れてしまった。 「どうかしたかしら?」 「いや、なんでもない……」 どうやら彼女に気付かれてしまったらしい。恥ずかしい限りだ。 僕は家の鍵を閉めたあと、今度は車の鍵を開けてエンジンをかける。彼女を乗せると目的地へと出発した。 以下は道中、車内の会話である。 「そういえば、桜の花言葉を知っているかしら?」 「知らないな」 「『優美な女性』だそうよ、まるで私のためにある言葉よね。」 自分で言うかよ…… 「嘘だと思う?こう見えてもクマリンって愛称で呼ばれて、ファンクラブまであったのよ。」 愛称が安直すぎる。ファンクラブは嘘だろうな、見栄っ張りな性格であり、それに加えて上手に嘘をつけないのが彼女らしい。しかも真顔で言うのだから、僕としては可愛いとさえ思う。 「全くその通りだな。優美だなと。」 「貴方が言うと薄っぺく感じるものね。」 そんな雑談をしていた間に目的地へと着いていた。市内の公園なのだが桜の木が多く植えてあり、そのどれもが満開だった。花粉さえ無ければ、この景色だけで春が好きになりそうなほどに。 「綺麗だな。」 「えぇ。けれどもそれ以外は何もない田舎ね。確か近くに本屋がありましたね。」 花見を提案しておいて、風情の欠片もない。 それはそうと、 「本でも買うのか?古本屋って……」 「いえ、八百屋で買ったレモンを置こうかと。」 「爆破させる気ですか……」 雑談を交えながら、僕達は歩みを進める。 桜のトンネルを潜りながら。 「そんな小説を書いた梶井基次郎もおっしゃってましたよ。桜の木の下には……」 彼女が言い切る前に、人差し指を上に突き上げた。トンボがその指に止まる。 春の暖かさで 虫が土の中から出てきたのだろう。そういえば、あの子もトンボが好きだったな。いやあの子が好きだったのは確か、トンボじゃなくてウスバカゲロウだったかもしれない。そんな事を考えていた。 「どうしたの?いきなり」 彼女は不思議そうに僕の顔を見つめていた。 「なんでもないよ……」 僕はそう言って誤魔化した。言ったところで先日同様、関心を向けないのだから意味のないことだ。そうでなくても、彼女と一緒にいる時くらい、なるべく仕事の話はしたくない。 「そう……」 彼女はそう一言だけ言った。少し怪訝そうな顔だった。
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