028 エピローグ─義妹の話─

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028 エピローグ─義妹の話─

 俺の仕事は時間にとらわれないが、虎臣は違う。  いつも決まった時間に置き、仕事へ向かう。  今日は休みの日で、誘われるままに夜更かしをした。  全裸で身じろぐ姿は艶めかしく、これは絵に収めなければと画材を準備した。  頭から足の先まで完成されている肢体は、農作業のおかげかほどよく筋肉がつき、顔は幼さが残るのに雄の香りを漂わせている。 「こう……いち……?」 「今日は休みだ。まだ寝ておけ」  眠気には勝てないらしい。三十歳を目前にしているのに、高校時代から寝顔は変わらない。  二時間ほど経つと、虎臣はようやく目覚めた。俺が描いた絵と昼の陽を見た上で、顔を真っ赤にした。俺の小さな太陽だ。 「どうして早めに起こしてくれなかったんだ! しかもまた裸の絵を描いて……」 「たまには寝坊するのもいいだろう? 絵は俺が描きたかったから描いた」 「まさか、絵画展に出すつもりなのか?」 「今さらだろう? 前にも描いたし」 「あのときは陰部はぎりぎり隠されていたんだ。これは……その……」  恥ずかしくてたまらないのか、虎臣はもじもじして子供みたいに拗ねてしまった。何度もまぐわっているというのに。 「虎臣はどこもかしこも美しい。芸術として描いたんだ。それに、俺はお前の裸体以外描くつもりはない。昔から描きたいってずっと言ってきただろう?」 「そうだけどっ……こんなに恥ずかしいものだとは思わなかった」 「お前なら頭から足の先、尻の中まで全部描きたいくらいだ。普段は桃色なのに熟れると朱く色づいて……」  枕が飛んできたのは言うまでもない。  秋の空は雲一つない天気だった。どこまでも青は広がっていて、しばらく雨は降りそうにない。  水が跳ねた。竿が強く引かれ、ゆっくりと竿を上げる。  九州で釣れる魚とは種類が違う。釣っていたのは主に川魚だが、北海道ではどちらも釣れた。淡泊な川魚は串に刺して、塩を振って焼くと贅沢なほど味わい深い。  魚を締めてから家へ戻ると、庭で物音がした。  虎臣が何かの種をまいている。 「おかえり」 「ただいま。何を植えているんだ?」 「蕪だよ。今の時期に植えれば、今年の冬には食べられるようになるからね」  庭が大きいおかげで、多数の野菜を育てることができている。  虎臣は茄子をもいで、かごに入れていく。  俺は縁側に座り、七輪で魚を焼くことにした。  焼けてきた魚は次第に良い香りを漂わせ、灰色の煙が空へと上がる。  空は今日も青い。繋がっている異国も日本も、空の青さは変わらない。 「どうした?」  かごを脇に置いた虎臣は、肩に頭を乗せてきた。  昔は強がっている猫のような子供だったが、大人になって彼は甘えるようになった。 「茄子の漬け物ができている頃だから、今日は食卓に出すよ」 「ああ、うん。虎臣の作る漬け物は絶品だから、俺が独り占めするのもったいないな」 「独り占め……か。実は、幸一が北海道へ来る前に、僕の従兄弟が来たんだ」  ほどよく焼けた魚をひっくり返す。 「茄子の漬け物を作って待っているって言ったのに、音沙汰が何もないんだ」 「仕事が忙しいんじゃないのか? 簡単に来られやしないだろう」 「それはそうだけどさ……」 「仲良かったのか?」 「大学時代はいろんなところへ行ったよ。今は離れて暮らしているから……少し寂しい。言っておくけど、お前と従兄弟は違うからな」 「判っているよ。恋人と従兄弟は違うんだ。寂しさの違いもある。そろそろ焼けるから、中に入って待っていてくれ」  頬に唇を落とすと、虎臣はかごを持って立ち上がった。  もう一度、空を見上げる。こんな平和な青は、今もどこかで火種が舞い続けているのは信じられなかった。  俺ができることは、彼の願いを守り続けること。  今日採ったばかりの茄子は炒めものにして、俺が焼いた魚と食卓に並ぶ。  虎臣が作った茄子の漬け物はよく味が染み込んでいた。 「漬け物ってまだある?」 「あるよ。もっと食べる?」 「いや……たくさん作ったなら、薫子さんたちにお裾分けはどうかと思って」  虎臣の妹とあの林田が結婚したことは聞いていたが、今はふたりで北海道の病院に勤めていると聞いた。  住んでいる場所も隣町で、けっこう近い。 「それは良い考えだ。あっでも僕は明日から仕事だから、持って行けない」 「画材も買いたいし、町へ行くついでに俺が届けるよ」 「そうしてもらえると助かる。薫子の様子が気になってね」 「連絡がないってことは元気な証拠さ。大丈夫だ。にしても林田と薫子さんがねえ……判らないものだな」 「林田は薫子をとても大切に思ってくれるし、むしろ彼じゃなかったら、薫子を嫁にやった悲しみで毎日枕を濡らしていたかも」 「昨日も濡らしただろ……いてっ」  足で蹴られた。本当のことなのに。  誰の目も気にせず、愛する者とまぐわえる幸せはずっと願っていたことだ。  虎臣は美しい。年齢が二十八歳になり、さらに色気が増した。  元々アメリカの血も混じっているためか、町を歩けば奇異の目で見られることも多い。だが大抵は放つ色香に惑わされた男共が振り返るのだ。虎臣自身、気づいていないものだから、余計に美しさを際立たせるのだ。  翌日に虎臣を送り出した後、町へ出かけた。北海道は平和なもので、少し人の多い地域に行けば活気に満ち溢れている。  家の前まで行くと、ちょうど薫子とばったり出会った。 「幸一さん。ごきげんよう」 「こんにちは。お兄さんからお届け物です」  彼女はまた一段と美しくなった。ふっくらとした唇がよく動くのは昔からだが、おしゃべりなのは今も変わらない。 「茄子の漬け物?」 「家で収穫した茄子で、虎臣が作ったんです」 「まあ、兄様がお漬け物を作るなんて……。昔じゃ考えられなかったです。中へどうぞお入り下さい」 「いや、実はこのあと用事があってね。今日は届けにきただけなんです。林田もいるときに、また日を改めて来ます」  薫子さんは数少ない俺たちの応援者でもある。林田もだ。  虎臣とふたりで彼の父へ挨拶に行ったときのことは覚えている。俺の顔を見た瞬間、顔が強張っていた。居間でしばらく無言が続いたことは昨日のことのように覚えている。そして今も認められたわけじゃない。  秀道さんから言われたことは、ふたりを親戚に紹介はできない、パーティーなどにも連れていけない。不便を強いる生活が待っている──と。  最終的に薫子さんとタエさん、林田が味方になってくれ、秀道さんは折れた。出された条件といえば、仕事の関係で家を一緒に使っていることにしろ、だった。  家族として住むことが許されないが、何を言われようと俺たちは揺るがなかった。 「お兄さんには薫子さんは元気そうだったと伝えます」 「ええ、そのようにお願いします。近々会いたいとお伝え下さいませ」  虎臣に似て美しく育った。凛としていて、しっかりと意思もある。  親同士の企みに乗っていたら、互いに今の幸せはやってこなかった。
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