get away

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 キラリと光る包丁を振り上げる父。その先端は矢になり風を切ってグサリと母の胸に突き刺さる。 「ぎゃああああーーっ!!」 二度目の悲鳴をあげる母。  だが父は刃先を引き抜くと再び振り上げた。今度は母の首を突き刺す。  首からプシューッと血飛沫が吹いてキッチンの白い壁を赤く染める。絵の具の赤に黒を混ぜたような色。 「きゃああああーーっ!!」 わたしは片足を後方に引くとフローリングに尻もちをついた。  父は何度も何度も母をめった刺しにしている。母が倒れると父は馬乗りになって刺し続けた。  もう、母は息絶えているはず。だが、次に聞こえたのは母の笑い声だった。 「キャハハハハッ!!」  今度は父が倒れ、血だらけで髪を乱した母が上にまたがっている。母は父から包丁を奪うと高く振り上げた。グチュッと鈍い音の後、血飛沫が噴水の如く噴き出した。その血で母の顔面が赤黒くなる。母の黒い短髪の前髪は血により所々、固まり額に張りついていた。  どこを刺したか分からない。ただ母はキチガイのよう甲高く笑いながら父に包丁を振り下ろしている。何回も狂ったように。繰り返し繰り返し。  戦慄が全身を支配して身体が思うように動かない。制服のスカートの尻が生温かい。恐怖で尿を漏らしてしまったみたいだ。  白いソックスの爪先から氷結が這い上ってくる。寒い、酷く寒くて歯がガチガチと音をたてて鳴っている。全てが凍ってしまう寸前、わたしは限界まで力を振り絞り向き直ってフローリングから畳に四つん這いした。 「手葵……助けて!」  和室に立つ姉に片手を伸ばす。だが開いた手の指の向こうに見えたのは姉の笑顔だった。 「キャハハハハッ!!!」  姉も母と同じようにキチガイみたいに笑っている。しかも首の上の顔が白目でクルクル回っていた。  嘘でしょ!人間じゃない!  刹那、わたしの横を一陣の風が吹き抜けた。 「うるさいのよ、手葵!」 走る母が回る姉の右頬を包丁で刺した。引き抜いて首を突き刺す。和室に吹いて飛び散る鮮血。 「きゃああああーーっ!!」 仰け反るわたし。 「キャハハハハッ!!」 それでも姉の顔は回りながら笑い続けている。 「うわはははっ!!」 背後からは父の爆笑が聞こえた。  狂ってる!これは人間じゃない!家族じゃない!  その時、蓮の声が頭に響いた。 『逃げろ!陽葵!!』 「蓮!」 彼の声が震えている背中をドンッと押す。凍りついた両足を溶かして立ち上がる勇気を自分にくれた。  きっと外に出れば蓮が助けてくれる!  わたしはヨロけながら立ち上がり足を前に踏み出した。居間の扉を開くと黒光りする長い廊下が直線で玄関に続いている。  わたしは廊下を全力で走った。背後から「待てえーっ!!」と母の絶叫。  振り返っている余裕はない。後、玄関まで少し。わたしは玄関の段差を飛び降りると扉を思いっきり横に開いた。  両側を垣根に挟まれた門まで続く石畳。門の前に黒い人影が見える。頭が瞬時に判断を下す。蓮だ! 「蓮!!」 わたしは走って彼の胸に飛び込んだ。 「助けて!家族が人間じゃないっ!!」 「陽葵」 蓮はわたしの両肩を掴んで押し返す。 「周囲を見ろ!」 「何を言って……」 「いいから周囲を見ろ!何が見える?」  わたしは訳も分からず顔を左右に振る。すると斜め右前方に強烈な発光体を見つけ動きを止めた。 「あの丸い光はなに?」 「光が見えるのか?」 「うっ、うん」 「なら、あの光に飛び込め!それが逃げ道だ!」 「で、でも……」怖いよ。 「でもじゃない!時間がないんだ!光に向かって走るんだ!」 「わっ、分かった」  わたしはグッと奥歯を噛むと強烈に輝く光に向かって恐る恐る足を踏み出す。次の一歩を踏む直前、蓮はわたしにこう言った。 「光を抜けたら全身で悲鳴をあげろ!」  悲鳴?それに何の意味が……。だけど考えている暇はない。わたしは発光体に向かって駆け出し、そして身体を投げ出した。  頭から掃除機で吸い込まれる感覚に握る拳が震え、先の分からない恐怖に怯えて両目をギュッと閉じる。瞬間、瞼の裏が白から黒に変わり重い何かが身体の上に乗った。  今だ! 「きゃああああーーっ!!!」  蓮に言われた通り絶叫するわたし。  同時に目を開く。すると見知らぬ顔と目が合った。黒ずくめの男が自分を見下ろしている。 男は片手を上げていた。その手には光るナイフが握られている。  ダンッと響く強音。その音の直後「うぐっ!」と鈍い声が聞こえ、男が視界から下に消えた。 「えっ?」 重いと感じたのは重力だ。空気の重さを感じながら身体を起こす。 「この野郎!!」  次に見えたのは蓮だった。彼は頭を抱えてしゃがむ男の背中をバットで何度も殴打していた。  続いて白い服を着た女性二人が現れる。制服からすぐに分かった。彼女達は看護師だ。 「きゃあっ!誰か来て!!」 一人の看護師が部屋を出て行く。  すると今度は白衣を着た男性三人が現れた。ドクターだ。蓮はバットを止めて医師を見上げた。 「こいつが陽葵を殺そうとしてました!この男が犯人です!!」 「おい、警察を呼べ!」 医師が看護師に指示を送る。  動かなくなって倒れている男の背中を二人の医師が抑えた。 「陽葵……」 蓮はベッド脇に歩み寄るや否や、わたしの上半身を抱きしめる。 「焦らせやがって、無事で良かった」  どういうこと?犯人ってなに?本当はすぐに問いたい。だけど、天井から押し潰す勢いに降りてきた脱力感に勝てず、睫毛が下がって視界が黒くなってゆく。暗闇の中、わたしは意識を手放してしまった。  次に目を覚ました時、目に映ったのはマスクを装着した女性。髪型と両目で分かる。母の妹の静子叔母さんだ。 「陽葵、気づいたの?」 叔母さんは身を乗り出してわたしの頬を優しく撫でる。 「可哀想に……」 彼女はそう言いながらナースコールを押した。  医師による診察が終わると、わたしは患着の乱れを直しながら叔母さんを見た。 「叔母さん、なぜ、わたしは病院にいるの?お父さんとお母さんや手葵は?」 「陽葵……」 叔母さんの両目に険しさが宿る。 「お前は何も覚えていないの?」 「覚えてるよ」 「何を?」 「お父さんとお母さん、手葵は宇宙人に身体を乗っ取られたんでしょ?」 「ああ……」 額に手をあてて俯く叔母さん。 「まだ、記憶が混乱しているんだわ」 「説明は後日にしよう。もう少し眠りなさい」 担当医師は瞳を三日月に変えて白衣を翻した。  次に目覚めた時、ベッド脇にいたのは看護師だった。彼女は点滴のルートを確認しながら「起きたの?」と尋ねてきたのでわたしはゆっくりと頷いた。  その後、医師により説明を受けることになる。どうやら、わたしは二週間も意識不明だったらしい。 「後、大変言い難いんだが、今の君には酷な話をしなければならない。だが良く聞いて欲しい」 「はい」 「君のご両親とお姉さんは、二週間前に亡くなった」  思わず白い掛け布団を両手で握った。 「亡くなった?それって死んだってことですか?」 「そうだ」 「なぜ?」 「真夜中に侵入した男により刺殺されたんだ。君は何も覚えてないの?」  勇気を振り絞り、記憶の沼に飛び込んでみる。蓮の存在と言葉、殺し合う家族の狂気、人生ゲーム、両親の愛してる宣言、ゴキブリクッキー、姉の秘密の告白、甘くない鉄錆の味がしたイチゴジャム、その向こう側に自分が走って逃げる姿が見えた。  それは家族から逃げている自分ではない。 「男……」 わたしは呟いた。 「男に追いかけられてました。でも、それは夢で……」 「残念だけど夢じゃない」 震える両手に医師は包むように手を重ねる。 「君は殺された両親を発見後、まだ家の中にいた男に追われて逃げたんだ。そして近隣にいた新聞配達人に助けられた」  医師の言葉と同時に記憶が鮮明に蘇ってくる。 『ぎゃあああああーーっ!!!』  そう、あの夜、わたしは隣室から聞こえた甲高い悲鳴で目覚めた。隣室は姉の部屋。わたしは自室の扉を開いて、素足で廊下に出た。  姉の部屋の扉は全開している。微かに揺れてる木目扉。再び響いた絶叫。キョどりながらも、わたしは歩き姉の部屋前に立つ。そして双眸を見開いた。  背の高い黒い人影が姉に襲いかかっていたのだ。泥棒!瞬時にそう思ったが違う。男か光沢した凶器を姉に刺していたからだ。  姉を刺した後、男がこちらに顔を向ける。  殺される!わたしは玄関に向かってダッシュした。その途中、居間の扉が開いていて、薄明かりの室内が見え た。畳に折り重なるようにうつ伏せに倒れている両親の足が四本。明かりが薄くても分かった。壁も畳も血塗れだ。 『いやああああーーっ!!!』  立ち止まり絶叫すると、追いかけてきた男に腕を掴まれた。もう片方の手にはナイフが握られている。  わたしは腕と身体、全てを振って抵抗した。その時、男が転んだのだ。床はワックスでピカピカに磨かれている。それとも血痕で滑ったのか。  男の手が放される。わたしは、また全力で玄関に走った。 『待てえーーっ!!』  背後から低い怒号。その声が近くなったと同時に玄関扉を開く。グイッと顎が上がる。男がわたしの後ろ髪を掴んで後方に引いたからだ。  凄い力で玄関内に引き込まれる! 『やめて!放して!!』  姿勢を低くして扉を両手で掴むわたし。  ガタガタと激しく揺れる木枠のスリ硝子扉。揉み合っている途中、扉がガタンッと外れて玄関内側に倒れた。響く強音と男のうめき声。  ガシャーンッと花瓶の割れる音もした。割ったのは、わたし。下駄箱上に飾ってあった花瓶を花ごと両手に持ち、わたしは無意識に男の頭をめがけて叩き割っていた。  そして走って外に逃げたのだ。  自転車に乗った新聞配達員に助けを求めた時、わたしはこう叫んだ。 『助けて!両親を殺した男が追ってくる!』  その後は……。あの夢だ。黒い影が追ってくる夢。目覚めたらいつもの朝で、あの不可解な一日が始まったのだ。
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