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月曜日
大通りからそれて細道に入る。この先を行けばただの公園が広がる。都会の真ん中、周りには高層ビルが公園を囲うように聳え立っている。車止めを抜けて、公園内に入るとブランコや滑り台、砂場などありがちな遊具とベンチがポツポツと設置されていた。
ふと足元を見つめると、影が一番短くなっていた。首筋に汗が祟る。軽くハンカチで汗を拭い、重い鞄をずるずると持って歩き出す。投げ捨てるように鞄と体をベンチに預けた。
一息ついて、ヘッドフォンを耳にかける。暇つぶしに何か聴こうとスマホを触る。プレイリストなんて無い。ランダムに流れてきた曲をただ聴く。日が落ちる頃まで暇を潰し、何事も無いように帰る。これが俺のルーティーンだ。
今日はやけに音量が小さい事に気づく。このヘッドフォンも寿命だろうか。周りの音をシャットアウトするようにさらにボリュームを上げる。
「っと…ちょっと。」
突然、肩が揺れる。驚いてヘッドフォンを取り、振り返ると男が立っていた。男は俺を覗き込むように前かがみになっている。
「オレの曲聴いてくれてんの?君センスあるねぇ。」
「は、はぁ。」
突然の事に少し頭が混乱した。俺の曲?バンドマンか?有名では無いだろう。流れてきた曲は全く聴いたことが無かった。それにコイツ大学生か?それにしては老けている気がする。男は上下黒いスウェットにどこかのスポーツメーカーのサンダル。鞄は持っておらず、身体一つというラフすぎる格好だった。
「そのヘッドフォン繋がってないよ。」
男は終始ヘラヘラと笑い、俺の首に垂れているヘッドフォンを指差した。風に揺れる金髪と黒々と塗られた人差し指の爪が太陽に反射する。
「え…あ、すみません。」
画面を下にスワイプすると、Bluetoothのマークがオフになっていた。俺はこの公園中に大音量で音楽を垂れ流していたのだ。そのことにようやく気付き、顔が熱くなった。
「いえいえ。」
男は胡散臭さ丸出しでニヤリと口角を上げる。
「いやはや…オフ会もやったことないのにファンに会えるなんてね。オレうれしー。」
「はぁ。」
俺は男の奇妙なオーラに飲み込まれそうだった。男は図々しくも俺の隣にドサッと座った。
「君、緑ヶ丘高校の生徒だよね?」
「えっ…と…」
俺は咄嗟に上着のファスナーを首元まで上げる。
「ああごめんごめん、そのネクタイ、緑ヶ丘高校のやつだよね。オレもそこの学校出身だったからつい。」
それから俺の顔をチラリと見て、察したかのように付け加えた。
「ハハ、別にどこにも連絡なんてしないよ。君はここにいたいから、いるんだろ?」
「…助かります。」
少し肩の力が抜けた気がした。完全に俺の詰めが甘かった。上着を羽織っていればバレないと思っていた。今の時期、少し暑いが明日からはパーカーを着よう。
「名前は?」
俺の顔をジッと見てくる。悪意とかそういう邪念は見えなくて、ただ純粋な疑問だろう。だが急に距離詰められて俺も気分が悪い。知らない奴に名乗るなんて面倒くさい。しかしここで無視をしたり、嘘を吐くと後々もっと面倒だと思った。小さくため息を吐いて答えた。
「蒼です。」
「え、マジ⁉オレもだよ!オレも碧!」
間髪入れずに男は興奮に染まった声を上げ、身を乗り出して俺の手をブンブン握る。おそらく昼休憩に入っていたサラリーマンや、公園にいる子連れのママ友集団、さらにはボケ老人まで、それらの視線が一気にこちらに刺さる。
「そうすか。」
男の馴れ馴れしさに嫌気がさして、手を素早く振り払う。
「んだよ。反応薄ぃーな。」
碧と名乗った男はちぇっと口を尖らせて、そっぽ向いた。いい歳した大人が不貞腐れるのを見るほど気持ち悪いものは無い。そもそもいい歳した男がパジャマ同然で外を出歩いている時点でおかしい。
「別に名前なんてどうでも良いです。」
「ドライやなー。アオって名前、カッコよくね?」
空気を読まずに碧はペラペラと話しかけてくる。
「考えたことないです。」
「ハハ、現代っ子〜。」
碧はケラケラと空に向かって笑い出した。
「あのもういいですか。」
ヘッドフォンに手をかけて、鞄を持ち立ち上がる。
「おいおいちょっと待てよ。」
碧は驚いたように俺の腕をがっちりと掴んできた。
「なんすか。」
情けないが少し声が上ずった。ほぼ知らない、俺よりも背が高い男に腕を掴まれたのだ。ゆっくり振り返る。背筋に嫌な汗が伝う。
「喉乾いてない?」
「い、いえ。」
碧の目は何か獲物を狙っているように一瞬光る。行く当てもないがもうここにこれ以上いたくない。ただそう一心に思い、心臓がバクバクと跳ねる。しかし現実は無力にも抵抗することも逃げることもできずにいた。碧は一向に解放してくれる気配がない。
「まぁ硬いこと言うなって。これも何かの縁だ。奢ってやるよ。」
「いや俺は」
俺の手を強引に引っ張り、公園内の自販機の前まで連れてこられた。逃げ場は無かった。
「まぁまぁ!ほら選びぃ。」
碧に強引に促されるまま、自販機のボタンを押す。ガコッと缶が落ちる音が聞こえた。ひょいとしゃがみ、缶を取り出して押し付けるように俺に渡す。
「ありがとう…ございます。」
碧の顔を一瞬見た。妙に整った顔でニコニコと笑う。それに無言の圧を感じた。空気に耐えられなくなった俺はプルタブに指をかけてプシュッと音を鳴らす。そのまま口をつけると甘ったるい炭酸飲料が喉を通った。
「今飲んだね?」
少し高めの声ではなく、獲物が罠にかかったと言わんばかり低い声で笑った。
「えっ」
「はい、飲んだからこれ見て。」
そう言ってスマホの画面をこちらに見せる。そこには動画配信サイト内にあるチャンネルのホーム画面が映っていた。
「ほらスマホ取り出す。」
碧はもう一方の空いた手で「よこせよこせ」とジェスチャーをする。俺がスマホをポケットから出すと男は勝手に奪い、タプタプと指を動かした。
「えっ、あ」
「はい、俺のチャンネルを登録して、今日の配信もリマインド設定したから。」
そう言って用済みのスマホが返ってくる。画面を確認すると目の前の男の姿がアイコンになっているチャンネルが登録されていた。
「何勝手に…」
「ジュース代じゃ。」
俺の反論を遮ってニヤリと笑った。
「はぁ⁉」
あまりにもガキ臭くて、呆れて何も次の言葉が出てこなかった。
「じゃあねー。配信見に来いよー」
ブンブンと手を振り小学生のように「絶対な!」と捨て台詞を残して、走り去っていった。
「おい!」
俺の掛け声は虚しくも秋風にかき消された。男がいなくなった公園は妙に残った夏の温度だけがただ鎮座するだけだった。
時刻は午後八時。バスタオルで髪の毛に残った水気を拭きながら、自室に備えている椅子に座る。風呂あがりの火照った身体を団扇でパタパタと仰ぎながら、参考書を取り出し、デスクに広げる。
俺の通っている私立緑ヶ丘高校はそこそこの偏差値があり、いわば自称進学校と周りから揶揄されるような高校だ。吹っ切れてバカな高校と天才が集まるような高校はある程度の自由な校風を持ち合わせているが、俺の通っているような中途半端な高校に自由など存在しない。
きっと俺はこれからも、中途半端に勉強をして、そこそこの大学に進学して、そこそこの企業に就職して、そこそこの人生を送るのだろう。『右ならえ右』の人生は楽だ。もし人生に決まった器があれば、そこに収まって、何事もなく生きていきたい。そう思っているはずなのに、俺は枠から外れるように、何かに反発するように自主休校を続けている。別に学校に友人がいないわけでも、ましてはいじめられているわけでもない。
「俺、なにやってんだろうな。」
カリカリとシャーペンの音だけが部屋中に広がる。勉強は好きでも嫌いでもない。ただの義務だ。
静寂に包まれた部屋に一つ通知音が鳴った。
午後九時。昼間、勝手に設定されたリマインドだ。
明日も行く当てが無い俺はおそらくあの公園に向かうだろう。そこでもし、あの男に会ったら。初対面の人間にパーソナルスペースを考えず、土足で上がり込んでくるような男だ。ここで配信を見ないと次は何をされるか分からない。
参考書は開いたまま、シャーペンを置き、スマホを開く。リマインド表示された画面をタップすると、そのまま動画配信サイトに飛んだ。
『そーそー、新しいネイルにしたんだぁ。可愛いっしょ。』
配信は既に始まっているようで、昼間に会った男が画面の中央で爪を見せつけるようにニコニコ笑っていた。服装は昼間と変わらず黒いスウェットを着ており、なぜか女児向けアニメのヘアクリップを髪につけていた。机の端にはコンデンサーマイクと灰皿、そして缶ビールの空き缶がチラリと見える。
画面の横にはつらつらとコメントが流れている。「イケメン」「大好き」「可愛い」「もっとこっち見て」とむせかえるような甘ったるいコメントで溢れていた。
『あれ、蒼じゃん。お昼ぶりだねぇ。』
「げっ」
やっほーと碧はひらひらと画面越しに手を振る。
確かに配信中のチャンネルに入ると、『○○が入室しました』とユーザー名が一瞬表示されるが、そもそも俺のユーザー名なんて教え…
「アイツ…」
俺はとことん詰めが甘い。あの時、碧にスマホを奪われてベタベタと操作をしていたではないか。おそらくその時にユーザー名も見られたのだ。
横目でコメント欄を見ると、案の定、「は、女?」「アオって誰。」「昼ってどういうこと?」とその他諸々リアコ勢の怒りを露わにしたコメントで溢れていた。
『あーもー、違うって。蒼は男だよ。友達なんだ~』
『そうなんだよー。オレと同じ名前!珍しいよねー。』
『嘘なんて吐かないよ。オレはみんな大好きだよ。あっ!リオちゃんスパチャありがとー、もちろん愛してるよー。』
碧は慌ててコメントを読んで謝罪してと、視聴者に対してペコペコと軽い頭を下げていた。
「コメントが荒れることくらい分かるだろ…。」
俺はほとぼりが冷めるまでぼんやりと画面を見つめた。コップの中に入っている氷がカランと音を鳴らす。
『お、サナちゃんもスパチャありがとー。なになに…「大好きです。ご友人のアオ君も配信に出てほしいです。」もちろんいいよいいよ~』
「勝手なこと言うな!」
それからも碧とファンの交流がダラダラと続く何の面白みも無い配信が続いた。もう抜けようかと思い、退出と表示された画面に指を触れようとした時
『じゃあみんなには特別に今度の新曲をちょっと披露しようかな』
碧はそう言うと徐にアコースティックギターを取り出して構えた。
その姿を見て、昼間にアイツが開口一番に言った言葉を思い出す。
—オレの曲聴いてくれてんの?君センスあるねぇ。―
確かに、アイツの曲は嫌いじゃなかった。
空気に溶け込むように絶妙にミキシングされたピアノ、ローテンポなビートに合わせたベースライン、サビ合わせて曲の厚みを持たせる装飾音、そして何より語りかけるような声が心地よかった。
俺はスマホを両手で持ち直した。碧がギターのチューニングする様子をまじまじと見つめた。喋りながらギターをいじる姿はライブのMCを聴いている感覚と似たようなものを感じる。
『それじゃあいくよ』
『―この配信は終了しました―』
「…あ。」
気づいたら、という現象は本当にあるらしい。言葉通り気づいたら俺は画面が暗くなったスマホを握りしめていた。それくらい、アイツの曲に目を奪われていたようだ。
ひどく高揚感が残り、落ち着かなかった。参考書を開いても問題が頭に入らない。
「もう寝るか。」
机の端に参考書を積み重ねて、卓上ライトの電源を落とす。
ベッドと布団の間に身体を滑り込ませて、何もない天井を見上げた。
良い曲だった。悔しいがアイツにはそういう素質を持っているのだろう。ただ、俺は少し違和感を覚えた。あの曲はかなりのクオリティだと思った。だが何か足りない。この違和感がずっと胸につっかえて眠れない。無理矢理目を瞑ろうとしても無駄だった。
スマホを取り出し、もう一度アイツのチャンネルを覗く。すると先程の配信のアーカイブが残っていた。俺はアイツが歌っている姿を何度も何度も再生する。
気づいたら朝を迎えていた。
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