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火曜日
昨日と同じ時間に俺があの公園に行くと、碧は俺を待っていたかのようにベンチに座っていた。
碧は俺の姿に気づくと「こっちこっち」と手を大きく振って俺を呼ぶ。
「あれ?今日はパーカーなの?」
碧は不思議そうな顔をしてこちらを見上げた。
「アンタみたいに目ざとい人もいると学んだので、対策です。」
俺はフードの紐をギュッと引っ張った。
「アンタってなんだよ~。オレこう見えても年上だよ?年上に向かってアンタはナイでしょ~。」
こう見えても、ではない。年上なのは一目瞭然だ。そう喉から出そうになるが面倒になりそうなので堪える。
碧はポンポンとベンチを叩いて「座って」と俺に無言で訴えかける。
「はぁ。じゃあ苗字教えてください。」
ベンチはギィと嫌な音が鳴る。
「オレこう見えても有名人だからなぁ。そう簡単に個人情報は教えられないよ。」
碧は座面のフチを両手で掴み、プラプラと両足を浮かばせて白を切る。
「同時視聴者数、良くても二桁止まりの方が有名なんですね。」
俺の言葉に碧の動きがピタリと止まる。ゆっくりと振り返り、ぎこちなく笑った。
「君、痛いトコ突くね。」
でも、と続けた。
「配信、見てくれたんだ?」
「見ないと何されるかわからないし、俺の平穏な日々を守りたかったんで。」
俺はそう言って、少し俯く。自分の手をぼんやり見つめていた。
「そう。ありがと。」
なぜか満足げな声が返ってきた。
ブワッと風が吹いてきて、木がサワサワと音を立てて揺れる。夏の前のさわやかな風だ。太陽の光と相まって金髪はキラキラと揺れていた。うっとうしく思ったのか、碧は垂れた横髪を耳にかけて、それから俺の方を向く。
「松丸碧。」
「え?」
いきなり名前を言い出したので思わず顔を上げて聞き返すと、碧は二コリと笑った。初めてちゃんと目があった気がした。
「オレの名前。蒼は?」
「…角川蒼です。」
「へぇ。」
碧は俺が名前を言ったことに驚いたのか少し瞼が動いた。
名前を言ってまた俯く。今度は足元の砂の粒を見ていた。
どうもこの人の顔を見ていると自分自身が惨めになる。おそらく真正面から見る碧の顔はいわゆるイケメンだったからだろう。インドアなのか肌は白いし、鼻筋が通っていて、二重の大きな目はキラキラしていて吸い込まれそうなのだ。
妙な空気感に堪えられなかった俺は話を切り替えた。
「アン…松丸さんの歌、良かったです。特に歌唱力が。」
「でしょ。オレ、センスあるし。」
碧は背もたれに身体を預けて、上を向いて高らかに笑った。やはり、この男は何か特別な才能があると思った。なぜかはわからない。ただその笑顔が俺を直観的にそう思わせるには十分なものだった。
「でしょうね。」
俺は少し悔しくてため息が出る。
「え?」
「正直、どうして松丸さんがこんな底辺にいるのかわからない。」
「君ねぇ、もうちょっと言葉を…。」
「それくらい、良い曲でした。」
「お、おう。」
チラッと碧の方を向くと、意外だったのか、のけ反らせていた身体を起こして俺をまじまじと見ていた。その視線が少し恥ずかしくて、スマホのホーム画面をグルグルとスワイプする。
「ただ、違和感があるんです。」
「違和感?」
俺は見せた方が早いと思い、スマホに内蔵されている作曲アプリを開いた。
「え、蒼も曲作るの?」
俺の言葉に興味を示したのか、目を輝かせて俺のスマホを覗き込む。
「まぁ、少しは。」
「ああそれオレも使ってる。それパソコンと同期できるから使い勝手良いんだよなぁ。それこそ外にいる時とかね。」
ペラペラと喋っていたが俺はそれを無視して昨日作ったフォルダが開くまで画面をまじまじと見つめていた。すると俺の反応が無かったからか、碧は子供のように俺の脇腹を小突く。
「はぁ…。あの配信を見ていた限り、おそらく前作と繋がっている、もしくは対になるような曲を作りたいんだなと思いました。」
「よくわかってるね。そう。前の曲は夜中をイメージしているんだ。で、昨日の配信で見せた曲は」
「夜明け」
俺は食い気味で思わず答えてしまった。チラリと碧の顔を見ると俺の反応を嬉しそうに目を細めて笑った。
「おお。お見事。」
その顔を見るなり何か喉に詰まる感覚を覚えた。ゴホンと咳払いをする。
「…だからこそ違和感があるんです。これは昨日、松丸さんが歌っていた曲を耳コピしたものです。」
ようやく昨日作った楽曲ファイルが開いた。俺は再生ボタンを押して碧の耳に当ててやる。
「え、すご!」
碧は俺のスマホをそっと取り、ずっと耳にあてて聴いている。目を子供のように輝かせていた。
「4367の進行…丸サ感があって俺も好きです。」
「丸サ?『丸の内サディスティック?』」
「え、まぁ、はい。その曲と同じコード使ってますよね。」
「いや?オレは『東京フラッシュ』のコードを真似してみただけだよ。だって丸の内サディスティックってこう…夜中に聴きたくない?それこそ終電逃した時とか!」
妙に話が噛み合わなくなる。俺はまさか、と思い恐る恐る尋ねた。
「あの、」
「ん?」
「コード進行はご存じですよね。」
「あー、名前だけは聞いたことある。」
碧はスマホを耳から離して、俺に返す。
「えっ?」
「えーっと、そーゆーオンガクリロンっていうの?あんま勉強してないんだよね。」
あっけらかんとした態度でぶらりと背もたれに身体を預け、空を見上げる。
「じゃあ、どうやって曲を…」
「このコードから繋げたら最高に気持ちいいなっていうコードを見つけて作ってる。」
碧は一つ深呼吸をした。
その笑った横顔が無性にイライラする。なぜだろうか、この男の性格がそうさせているのだろうか。理由の無い苛立ちは何も解決できないもどかしさに変わる。だがこれだけは分かる。今は未完成でもこの男はいずれ自身のスタイルを確立するだろう。俺は邪魔な要素だ、そう確信した。この男に何かを助言しようなんて思い上がりも良いところだ。
「そうなんですね。変なお節介してすみません。帰ります。」
俺はスマホをポケットに入れて、鞄を持ち立ち上がる。
「えぇ!?ちょっとちょっと!」
碧は驚いて、つられるように立ち上がり俺の肩を掴む。
「どうしてよー。まだ話途中じゃん。」
「いや、やめた方がいいと思いました。」
口を尖らせて拗ねる碧の手を振り払う。
「えなんでよ。」
先程までヘラヘラしていた顔がスッと真顔になる。その威圧感は俺の視界を狭くさせる。
「松丸さんが思い描く曲を作った方がいいと思ったからです。俺が余計な知識をひけらかさないほうが松丸さん自身の曲になると思います。」
では。と軽く挨拶をして俺は公園の出口の方へ向かおうとした。しかし碧は間髪入れずに今度は俺の腕を掴む。骨が少し浮き出た不健康そうな細い腕からは想像できないほど強い力だった。
「でもオレがその余計な知識とやらを覚えたら、オレのものでしょ?」
「それは…」
昨日と同じだ。あの獲物を狩るような目つき。一度掴んだら離さないという貪欲な目。その目を見てしまえば俺は逃げられない。
俺はアイツと姿を重ねてしまった。今は思い出したくない、アイツの姿を。
「ねぇ、蒼の話もっと聞かせてよ。だってオレって底辺なんでしょ?」
碧はニヤニヤと笑っている。「底辺」という言葉を強調させる。俺は記憶を辿るとつい深いため息が出てしまった。
「根に持ってんのかよ…。どこから話せばいいですか。」
俺は諦めて振り払おうとする力を緩めた。すると碧も俺の腕から手を放す。
「丸サ進行って何?」
待ってましたと俺をベンチに座らせてニコニコと笑う。早く教えてくれと子供のように俺の言葉を待っているようだった。
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