火曜日

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 俺は再び作曲アプリを開いて、ピアノの画面を見せる。 「王道なコード進行の一つです。ええと、コード進行はメロディに対する伴奏の流れみたいなものです。元ネタは『Just the two of us』という曲で使われたコード進行。」 『Just the two of us』のコードをキーエディターに打ち込み、再生する。 「それからこのコード進行のまま全体をずらすと…」 一旦停止して、スマホの画面上で打ち込み部分を平行移動させた後、音を再生させる。 「あ、これ『丸の内サディスティック』だ。」 碧は鼻歌を歌い出した。 「『Just the two of us』のコード進行のキーを変えると『丸の内サディスティック』のコード進行になります。いまみたいにキーが違っても、同じコード進行を使っているということになります。こんな感じでキーを変えて丸サ進行を使う曲は色々あります。」 「へぇ、どんな曲があるの?」 「例えば〝YOASOBI〟の『夜に駆ける』とか〝yama〟の『春を告げる』とか。他にも有名な曲は沢山あります。」 「どれも夜に聴きたくなるような曲だなぁ。」 「さっきも言いましたが、メロディはもちろん、キーが変わるだけで印象はかなり違います。『東京フラッシュ』は丸サ進行の変形、みたいな感じです。」 俺が『東京フラッシュ』のコードを弾いてみせると、碧はおおと短く歓声を上げた。 「変形部分のGmaj7(ジーメジャーセブンス)。丸サ進行だったらここはA7(エーセブンス)になるはずなんです。でもこの曲はあえてGmaj7にすることによって夜中を浮遊しているような、少し寂しい感覚になります。」 次にA7とGmaj7のコードを交互に鳴らす。それから俺は昨日からずっと引っかかっていた違和感をぶつけた。 「松丸さんの曲は夜明けをイメージしているはずです。それならここはA7にするべきだと思いました。あのメロディだったらこのコードの方がしっくりくると思います。これが俺の感じた違和感です。」 俺はスマホの小さい画面でキーエディターを操作する。碧はその様子をジッと黙って見つめていた。 「このF#m(エフシャープマイナー)とA7の間にEm7を入れると少し暗くなり、A7がより明るさが増して、しっかり着地する感じがしませんか。俺は陽が出る前に一瞬暗くなる感じをイメージしました。」 「ほんとだ…」 碧は俺のスマホをそっと受け取り、スピーカー部分に耳をあててキラキラした目で俺を見る。俺は妙に喉が渇いて水筒に入っている水を一口飲んだ。 「それに最初のDmaj7(ディーメジャーセブン)へ、良い感じに繋がっているはずです。」  それからしばらく碧は俺が少し変えたコード進行をループ再生した。 「これはあくまでも俺の考えです。忘れていただいて構いませんから、だから…」 「すごいよ蒼!」 「ちょ…」  碧は俺の両手をブンブンと握り立ち上がる。俺も引っ張られるように立った。 「オレが作ったやつをさらに改良するなんて天才じゃん!」 興奮した声色が風に乗って俺の耳の奥まで響く。しかし俺はなぜかその声をシャットアウトしたくなった。 「…俺はただコード進行を少し知っていただけなんで天才でもなんでもありません。」 俺は目線を逸らすと、碧の背後よりもっと遠い場所に設置してある自販機と焦点が合う。 「でもオレは知らなかった。やっぱり音楽理論って少しはベンキョーしなきゃいけないのかもなぁ。ベンキョー嫌いだけど。ほんとすごいよ。」 ようやく離してくれた手は次に俺の両肩を掴む。強く掴むから少し痛い。 「…ありがとう、ございます。」 こんなに褒められてたのはいつぶりだろうか。だが心の底から喜べない。俺が碧の才能を歪めてしまうのではとむしろ罪悪感さえある。初めて聴いた曲は既に完成されたものだった。それに昨日の配信で聴いた曲だってすごく良かった。言わなければ、「そのままの曲が好きだ」と。 「ねぇ、この楽曲ファイルをオレに送ってほしい!」 「…わかりました。」 でも俺は手放しに喜んでいる碧を見て何も言えなくなってしまった。
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