22人が本棚に入れています
本棚に追加
5 -Strangers In The Night-
翌朝、相変わらず寝坊しているわたしの部屋に、パパが現れた。
「小百合、十六歳おめでとう。」
「…ありがとう。」
わたしは上半身は起こしたものの体はまだ布団のなかで、寝ぼけながら答える。
「今年の、誕生日プレゼント。」
そう言って手渡された包みを開けると、箱の中には白い皮のサンダルが入っていた。
「わぁっ、今履いてるのが古くなってきて、そろそろ新しいのがほしいと思ってたの。」
パパはいつだって、わたしが口に出さなくても、なぜかわたしのほしいものがわかる。わたしは一気に目が覚めて、ベッドの上に立ちあがる。
「ありがとう、パパ!」
そう言って、わたしは全力でパパの首に抱きついた。パパはわたしの体重を受け止めきれず、体勢を崩してしまう。
小さいころだったら、パパはこのまま余裕を持ってわたしを抱きとめてくれていた。わたしは今更ながら、自分の体がずいぶん大きくなったことに気付かされる。
「あと、ママからも。」
そう言って、パパはわたしに封筒を手渡す。封筒は、ユリの花の柄だった。見慣れない筆跡で、「十六歳になった小百合へ」と書かれていた。
「これ、ママの字?」
興奮を隠しきれず、わたしはパパに聞く。
「ママから、小百合の十六歳の誕生日に渡すようにって、生前から預かってた手紙。」
パパはそれだけ言うと、部屋を出て行ってしまった。
今までママからの手紙なんて、もらったことはなかった。どうして、十六歳で渡してもらうようにパパにお願いしたんだろう。早く読みたい気持ちを抑えつつ、わたしはできるだけ丁寧に封を切る。
ーー小百合、十六歳のお誕生日おめでとう。今年も一緒にお祝いできなくて、ごめんね。小百合はきっと、素敵な女の子に育っていることでしょう。
パパは自分が十六歳のときのことを思い出して、過度に小百合のことを心配するかもしれません。ママも実際は知らないのだけど、若いころのパパは、かなりやんちゃだったみたいなの。でも女の子は男の子よりも成長が早いから、小百合はきっともう自分のことは自分で決められると思います。
もしも危ないとか失敗したら大変だとかいう理由でパパが反対しても、ママは小百合の決めたことにはすべて賛成するね。困ったときには、ぜひこの手紙をパパに見せてね。
でも、これだけは約束して。ママもパパも小百合のことが本当に大好きで、何よりも大切なの。だから、小百合も自分の気持ちを一番に大切にしてね。
いつもあなたの味方であるママより
読み終わると、わたしは自分の部屋を出て、バタバタと勢いよく階段を降りた。
グランマは庭の菜園にいて、パパは自分の部屋でアコースティックギターを弾いていた。
「パパ。」
わたしはパパの部屋のドアを開けて、声をかけた。
ベッドに座っていたパパは、わたしの方をちらりと見る。けれど、そのままギターを弾き続けたままだ。コードを替えるたびに、パパの手と弦がこすれるキュッという音が鳴る。
パパが弾いていた曲は、フランク・シナトラの代表曲のひとつ、”Strangers In The Night”だった。見知らぬ二人が一目で恋に落ちて、永遠の愛になった夜を歌っている。
パパとママも、そうだったのかな。それまでまったく知らない人だったのに、目があった瞬間に、お互いに運命の人だって確信したのかな。それで今わたしが存在しているって、その一瞬はまさに奇跡だ。
わたしはパパの隣に腰掛け、話しかける。
「パパ、わたしね、パパに聞きたいことがあるの。」
「うん?」
パパは、ギターを弾きながら答える。
「わたしの、もう一人のおじいじちゃんとおばあちゃんのこと。」
「…どうして?」
「わたしの、おじいちゃんとおばあちゃんだから。今までパパが言いたくなさそうなことは聞かないできたけど、今日から十六歳だし、聞いてもいいと思ったの。」
するとパパはギターを弾く手を止めて、答えた。
「そうだな、小百合のルーツだから、小百合には知る権利がある。だから、これから話をする。でも、小百合が本当に知りたいのは、パパと誠也との関係じゃないのか。」
パパが、わたしの心を見透かすような目で、こちらを見た。パパの前では、きっと一切のごまかしは効かない。わたしのことは、だいたいお見通しなのだから。
「そうじゃないよ。今までずっと聞きたかったけど、聞けなかったの。誠也さんは気にしないって言ってたけど、でもわたしはやっぱり、パパから聞きたいって思ったから。」
わたしの言葉を聞くと、パパはギターをスタンドに置き、立ち上がって言った。
「今から出勤するから、小百合も一緒に来い。」
パパはお酒を飲んでから帰ることが多いし、”Misty”へは徒歩で通勤する。わたしは住宅街の道を、赤い自転車を押してパパの隣を歩いた。
「パパは、自分の父親を知らない。」
しばらくは二人とも黙って歩いていたけれど、急にパパが話し始めた。
「パパは、母親と二人で狭いアパートに暮らしていたことしか、覚えていない。父親については聞いたこともないし、もちろん会ったこともない。
あのころは世の中もうるさくなくて、パパは中学のときから、夜の店で朝まで毎晩ギターを演奏して稼いでた。昼間は眠くて中学にはほとんど行ってなくて、高校も行く気はなかった。今とは違って、いつでも聴きたい音楽をすぐに聴ける時代じゃなかったし、まだ生演奏が必要な場所が結構あった。だから、このままギターだけ弾いて、生きていけると思ってた。」
お気に入りの川べりに出ると、いつもどおりパパは立ち止まって、オイルライターで紙巻き煙草に火をつけた。わたしは自転車を停め、パパの隣に並ぶ。
パパは一度深く煙を吸いこんでから、ゆっくり吐き出す。そして水面を見おろしながら、話を続けた。
「パパはいつも母親に、真面目に中学に行って高校を卒業して、ちゃんとした仕事に就きなさいって、毎日口うるさく言われてた。音楽で食べていくなんて、できるわけがないって。ある日とうとう大喧嘩になって、パパはそのままギターとエフェクターケースだけ持って、家を出た。
数年後に再会したときは母親自身の葬儀で、父親がだれかを聞くことも、できなくなった。後で知ったけど、母親はもともと持病があって、あまり長くは生きられないってことがわかってたらしい。母親には頼れる親戚もいなかったし、パパの将来を心配してたんだね。」
パパの後悔に満ちた言葉に、わたしも胸が苦しくなる。パパは、ママだけじゃなくて、お母さんも早くに病気で亡くしていたんだ。わたしのせいで、パパにつらいことを思い出させてしまったことに、気がつく。
「でも、パパにはわたしがいるよ。」
思わず、わたしはそう言う。パパは寂しそうに微笑んだだけで、さらに話を続けた。
「そのうち世間ではだんだん生演奏が必要とされなくなって、パパはギターを弾くだけじゃ暮らしていけなくなった。それで、たまたまオーナーの経営する店で働き始めた。”Misty”がオープンするときに店長をやるように言われて、しばらくしてからパパはオーナーの養子になることになった。
それからママと結婚することになったけど、そのころにはオーナーも再婚して誠也も生まれてたから、パパがママの姓になることはオーナーも快く了承してくれた。
オーナーがなんでパパを気に入って養子にしてくれたのかは、わからない。パパの父親がオーナーじゃないとは言い切れないけど、パパはオーナーと血が繋がっていてもいなくても、いつも本気でパパに向き合ってくれた人だから、感謝してもしきれない。
パパはオーナーのことを本当の父親のように思っているし、そんなオーナーの息子である誠也のことは、本当の弟みたいに思ってる。だから、パパは自分の父親が本当はだれかなんて、知る気はないよ。」
話し終わると、パパは携帯灰皿で煙草の火を消した。
パパの口から語られる言葉は、わたしの胸にいつもすっと落ちる。やっぱりわたしは、パパのことが大好きだって思う。
「パパ、話してくれて、ありがとう。パパが知る気がないなら、わたしも知らなくて大丈夫。わたし、パパの娘でよかったな。」
わたしがそう伝えると、「そうか」とだけパパは言った。しばらくの間、パパもわたしも黙って水面を見つめる。
「パパ、これ見てくれる?」
わたしはパパに、ママからもらった手紙を見せた。パパは受け取ると、無言で読み始める。途中、ちょっと笑みがこぼれたようにも見えた。
「それで?」
読み終えたあと、パパが意味ありげにわたしに聞いた。
「わたし来週、星森誠也トリオの演奏を聴きに、最終日の京都に行ってくる。次の日に誠也さんと観光してから、帰ってくるね。」
パパは少し考えている様子だったけど、一度深くため息をついてから、ゆっくりと言った。
「パパは、ミュージシャンは賛成できない。」
「どうして?」
「収入が安定しないし、いつ仕事がなくなるかわからないから。」
パパは自分の半生を棚に置いて、まるでサラリーマンのお父さんみたいなことを言った。わたしは思わず、吹き出してしまう。
「大丈夫、わたしが張り切って働くから。」
笑顔で答えるわたしに、パパがつられて口元を緩める。そして、最終的に言ってくれた。
「わかった。気をつけて行ってこい。」
最初のコメントを投稿しよう!