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素敵な日々だった。
僕はずっとここから君を見ていたんだ。一階席の一番後ろさ。
きらきらと宝石箱の中のような煌めく世界、踊り子は舞い、主役が歌えば観客は酔いしれる。毎夜華やぐ舞台、ステッラ座。ここは特等席だったんだ。
豊かな長い髪を風になびかせて歌い踊る君を、ソフィア、孤児院の中庭で偶然支配人に見初められて連れてこられたのは8歳の時だったね。
身分の低さを蔑まれ虐められ、才能と透き通る美貌はいつだって羨望と嫉妬の的さ。それでも君は優しい心と笑顔を絶やさず、時折覗かせる憂いの帯びた瞳は、その美しさに一層の神秘性を与え、スポットライトの中の可憐なプリマドンナは、人々の心を惹きつけてやまなかった。
ネロは僕の友達だったんだ。彼は若くて社交的で皆の人気者だろ、どこへも自由に歩き回れる彼が羨ましかったものだよ。彼から君の話を聞くこともあったんだ。
僕はこんな姿だから、君を慰めることも、話しかけることすらできない。
いつもこの場所から、そっと見守ることしかできなかった。
それにもう随分と年を重ねたものだから、ここ数年は目がぼやけてしまってさ。
それでも、君の清らかな歌声は、僕の冷たい心臓に温もりを与えてくれていたよ。
さぁソフィア、君はこれからも、どこまでも羽ばたいていくんだ。
ネロはというとさ、新しい住処を見つけたって話で安心したんだ。自慢の長いヒゲを下げて僕の足元に頬寄せて、ニャーオなんて。僕らはいつまでも親友さ。
でも奴ったら、最後まで僕に内緒にしてたんだ。君がレナート子爵からプロポーズを受けたこと。ふふっ、彼らしい計らいだなぁ。
ここに居れば、裏方や観客達の色々な噂話も聞こえてくるものさ。
2階バルコニー席から君に向ける彼の眼差しは、いつだって優しさに溢れていたよ。視線を受けてポッと紅潮したその胸は、とても幸福に満ちていた。僕は心から嬉しい。彼はきっと君を大切に守ってくれるはずだから。
幸せをずっと、ずっと祈っている。
今朝、柱に彫られた僕を見つけた解体職人が、埃を被った僕の体を掃い、曇ってしまった目を丁寧に拭いてくれたんだ。
「ほら、最後によく見ておくといいさ。小さなところだったけどよ、いい劇場だったじゃねぇか」って。
明日にはステッラ座は取り壊されてしまうけれど、僕は笑顔で眠れそうだ。
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