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それから、道原君はちょくちょく美術室に顔を出すようになった。
サッカー部の休憩時間になったらやってきて、取り留めのない話をして去っていく。私は絵筆を進めながら、突然自分の世界に入ってきた異星人のような存在を、どう受け止めたらいいのか測りかねていた。
「桜井さんはさ」
その日も、道原君は窓を開けてやってきていた。
「俺らの練習風景とかは描かないの?」
「いや……サッカー部ずっと動き回ってるし。描きづらいかな」
「それもそうか」
道原君は即座に納得してくれた。私はキャンバスを見ているのでどんな顔をしているのかは分からないけれど、きっと雲一つない青空のような、晴れやかな顔をしているんだろう。
暫く、沈黙が続いた。私から話しかけることはないので、道原君が黙れば、自然と沈黙はやってくる。静かな時間が流れる中、私は絵筆を進めていく。
「美術部って、いいね」
ぽつりと、道原君は言った。
「自分のやりたいことを、やりたいだけ、思う存分できる」
「……道原君も、やればいいんじゃないの? やりたいこと」
「俺のはさ、チームプレーだから」
微かに、道原君が笑う気配がした。それはなんだか諦めの寂寥を含んでいる気がして、いつもの晴れやかな笑顔とは赴きが違っていた。
「サッカー部は確かに、そうかもね」
「そうそう。個人の熱量よりも、チームの和が大事だから。だから、一人だけがガーッて突っ走ると良くないんだよ」
続く言葉は、仄暗い響きを持っていた。
「この前の練習試合で、なんか、そういうのが浮き彫りになっちゃってさ」
私は顔を上げた。
道原君は、美術室の暗がりに目を向けながら、ぽつりぽつりと話していた。その目はどこを見ているのだろう。どこも見ていない気がした。
この人の瞳に影が落ちることがあるんだ、と私は思った。この人の笑っていない顔なんて考えたこともなかった。想像すら、できなかった。
そして、私は道原君が美術室に来る理由を知った。
道原君がやってきたのは、九月の終わり頃からだった。確かその頃、サッカー部では練習試合があったはずだ。
それから道原君は、サッカー部の休憩時間の度に、ここに来るようになった。
道原君の瞳に宿った陰から、私は目が離せなかった。
描きたい、と思った。
その瞳を、憂いを帯びたその横顔を、どんなに拙くても自分の手で描きたいと思った。
あれから、キャンバスは替えられた。
元々描いていた風景画を早々に描き上げて、私は真っ白なキャンバスをイーゼルに取り付けた。パレットに絵の具を出し、混ぜ合わせていく。
そうして、最初の一点を空白のキャンバスに置いた。
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