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究極龍
※
龍の覆面を被った男はコーナーロープに飛び乗り、その反動を利用し、後方に一回転しながら場外に飛び降りた。龍が地上に舞い降りたかのごとく、リングサイドにいたレスラーを蹴散らした。
龍の覆面の男の名はウルティモ・ドラゴン。「究極龍」と呼ばれ、プロレス団体「闘龍門」(現・ドラゴンゲート)の設立者である。
『うわあ……すごい!なんかサーカスみたい』
タブレットに映るウルティモ・ドラゴンに、西川まりあは感嘆の声を上げる。無邪気に画面に見入る西川に、隣の江川は目元を和らげた。
『ルチャ・リブレというメキシコのファイトスタイルです。日本のストロングスタイル(・・・・・・・・・)もいいですが、プロレスにはこんな戦い方があります』
『江川さんも、こんなプロレスするんですか?』
『一応……練習中です。でも、いつかは俺もウルティモ・ドラゴンのような試合をしたいです』
『やっぱり憧れの人なんですか?』
『ええ……それはもう』
紙コップに入ったコーヒーを煽った江川は、プロレスを好きになったきっかけを西川に語り始めた。
きっかけは、小学生の時に見た深夜のプロレス中継だった。親父達の時代と違い、江川が小学生の時はゴールデンタイムにプロレスを目にすることなどなかった。元々はプロレスどころか、格闘技やスポーツとは無縁の少年だった。
口数も少なく、教室で一人、絵を描いているような子だった江川は、クラスの粋がった者からは、よくちょっかいをかけられていた。しかし、江川はそれにやり返して喧嘩をすることもなく、親や教師が心配するほど大人しい子だった。
たまたま、夜更かしした時、テレビで闘龍門の試合を観て、プロレスという世界を知った。「戦士」という存在は、アニメか特撮の中だけだと思っていた。だが、画面の向こう、リングの中央で男(プロ)達(レスラー)は戦っていた。
中でもウルティモ・ドラゴンの存在は、江川に最も影響を与えたレスラーの一人だ。
俺もこんな男になりたい。
たまたまテレビに映し出されたウルティモ・ドラゴンの試合は、江川の「プロレスラー魂」を目覚めさせるには十分すぎるものだった。それがきっかけとなり、江川は高校卒業と同時に魂プロレスの門を叩いた。
『じゃあ、江川さんにとって特別な人なんですね。このウルティモさんは』
『はい。ずっとずっと、この人の背中を見て育ってきました。試合でしか見たことはありませんが、俺にとってもう一人の父親みたいな人です』
『そんな目標になれる人がいるって、ほんと素敵だと思います。あ……でも、江川さん、この人の団体、闘龍……あ、今はドラゴンゲートでしたっけ?そこには入らなかったんですか?』
『もちろん、ドラゴンゲートの入門テストは受けました。が……落ちちゃいました』
真っ先に入門試験を受けたのはドラゴンゲートだった。ドラゴンゲートは他団体と違い、身長や体重制限を設けていなかった。一七〇足らずという小柄な体躯の江川にとって、打ってつけの条件であった。
だが、結果は不合格であった。合否の内容は明かされないため、何が足りなかったのかは分からない。翌年に受験するという手もあったが、江川はその道を選ばなかった。同じように、身長や体重制限を設けていない団体を探すと、「魂プロレス」という団体が練習生を募集していると知った。飛びつくように入門テストを受けた江川は、見事合格し上京した。
『そうだったんですね……』
西川がまるで自分事のように、切ない顔になる。優しい娘だ。江川は素直にそう思った。
『でも、いいんです。団体こそ違うが、俺はプロレスラーになれた。それに、俺はウルティモ・ドラゴンのようなレスラーになるのが夢であって、彼の団体に入るのが夢じゃありませんでしたし』
もちろん本音を言えば、ウルティモ・ドラゴンが作った団体に入団したかった。だが、落ちてしまったものは仕方ない。何度も同じものに縋りつくほど、俺は諦めが悪くない。
『でも、いいですね……そうやって夢を叶えれたって』
眩しそうに外の景色を見る西川に、複雑な気持ちになった。確かに、「プロレスラーになる」という夢は叶えたかもしれない。だが、それがゴールではない。夢の道は続くものだ。
その道も、首の故障という、プロレスラーにとって致命的な怪我で続くかどうかも分からない。江川は先のことを考えると、叫びだしたくなることがあった。
『まりあさんは……何か夢はあるんですか?』
『私の……夢?』
気持ちを振り払うかのように話題を変える。無意識のうちに、西川を下の名で呼んでしまい、しまったと思った。だが、西川本人は気にする様子もなく、江川の問いに真剣な表情で考え込んでいる。
口元に指を当てて考え込む西川の横顔は色っぽく、江川は彼女に釘付けになった。
『私の夢は……』
『まりあさん』
西川が口を開こうとした瞬間、よく通る男の声がそれを遮った。江川と西川が振りむくと、白衣を着た長身の男が立っていた。全体的にシュッとした雰囲気を漂わせる男は、整った顔と白衣が相まって、非常に絵になる。
『あ、先生』
男の顔を見た西川は、白い歯を見せて笑う。白衣の男も、西川を見て表情を緩めた。
『診察の時間ですよ。まりあさん』
『あ……もう、そんな時間なんだ』
西川が白衣の男に見せた顔を見て、江川は一気に胸が詰まるような思いになった。自分に何かされたわけでもないのに、白衣の男に嫉妬と嫌悪感のようなものを感じた。
『すいません、江川さん。あたし、診察のことすっかり忘れちゃってました』
『あ、いえ……俺は大丈夫です。お大事に……』
『江川さんも』
軽く手を振りながら、西川は白衣の男の横に並んで歩き始めた。白衣の男は、江川に軽く会釈しただけで、西川の一歩後ろから付いていく。
テーブルに残されたタブレットと、雑誌を見つめ、江川はなぜか自分だけが取り残されたような気分になった。タブレットの画面には、スリーパーで首を締め上げられ、顔を歪めるウルティモ・ドラゴンが映っている。
胸の苦しさを吐き出すかのように、溜め息をついた江川はテーブルの上を片付け始める。明日から巡業だ。試合はできなくても、やることはいっぱいある。
ふと、病院の奥を見ると、白衣の男と話しながら歩く西川の背中が目に入った。唇を噛んだ江川だったが、ふと西川が振りむいた。江川と目が合った西川は、嬉しそうに笑いながら手を振っている。
驚いたが、江川もすぐに手を振り返していた。
ほんとに素敵な娘だ。心からそう思った。
タブレットの画面の中で、スリーカウントを取ったウルティモ・ドラゴンがレフェリーに片手を掲げられている。
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