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私は立ち上がり、鍋の蓋を取った。
温かい湯気がもわっと顔にかかる。一瞬、顔を背けてやり過ごすと、エンドウを放り込んだ。
「お。やったあ。卵とじの味噌汁」
今しがたの仏頂面が無邪気な笑顔に変わる。私の後をくっついてきた泣き虫な年下の男の子は、いつの間にか陸上部のエースに成長していた。女の子に呼び止められている姿を見たのも、一度や二度じゃない。
「あっ」
よけいなことを考えていたせいで、丸のまま茹でてしまった。今日のエンドウは大ぶりだったから、半分にしようと思っていたのに。
まあ いいや
私は気を取り直して冷蔵庫を開けた。
たまごをひとつと、麹味噌のタッパーから大さじ山盛り一杯を掬い取った。
口では呆れたと言いながら、私は今日も琉生の好きなものを食卓に並べようとしている。そして、自分に問いかける。
いつまで甘えてるつもり?
世の中にはどっちでもいいことと、そうでないことがある。そして、大抵は「そうでないこと」が叶わなくて、苦しむように出来ている。
自分より大変な思いをしている人たちはたくさんいるだろうけど、私は私なりに鬱屈した想いを抱えながら過ごしていた。
『恐らく、選手としての復帰は難しいでしょう』
淡々とした医師の言葉を思い出す。
まだ18年しか生きてなくて、自分の夢は願って努力すれば叶うものだと信じていた頃。あれから二年経っても、傷ついた自分を守るだけで、何かを手放して諦めることが出来ないままでいる。
「おかず出来てるじゃん!」
琉生の弾んだ声で、キッチンの音と景色が戻って来た。大根が安かったから、今日はぶり大根と、鶏ひき肉と春菊の春巻き。お味噌汁だけは季節を意識して、スナップエンドウの卵とじにした。
家が隣の幼なじみは、昔から時々我が家にやって来ては「お腹すいた」と食べ物を要求する。まだまだ食べ盛り伸び盛りの高校生だから、食欲は底無しだ。
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