あるべき家族

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 一年が過ぎた。  邦子は相変わらず薫にロリータ・ファッションを着せていたが、次第に機嫌の悪い日が多くなった。薫が成長するにつれ、邦子が着せたがるような服はどんどん似合わなくなってきたからである。  そしてある日、ついにその怒りが爆発した。  その日、長らく休みがとれなかった疲れから自室でうつらうつらとしていた英雄は、邦子の叫び声を耳にして飛び起きた。 「その汚い声で喋らないでちょうだい! 私の薫ちゃんは、そんなダミ声じゃないわ!」  慌てて自室を飛び出し、声のした方へと向かう。リビングに入ると、邦子が薫に向けて喚き散らしているところだった。 「だいたい、何なのよ、あなたは! 私の薫ちゃんは、そんなごつくて醜い体じゃなかったわ! 私の薫ちゃんは、もっとちっちゃくて華奢で、可愛いの。あなたなんて、私の薫ちゃんじゃない! 私の薫ちゃんを、本物の薫ちゃんを返してよ!!」  般若のような形相で薫に罵声を浴びせ続ける邦子の姿を目にして、英雄は、これはもう駄目だと思った。もうこれ以上、こんなことを続けさせてはいけない。何と言われても、今度こそメモリアの使用をやめさせよう。もう、押しに弱い人間であることを言い訳にして、引き下がったりはしない。  英雄は決意を固め、口を開こうとした。  だが、それより一瞬早く、リビングに声が響いた。 「メモリアを停止して」  直後、邦子の言葉が唐突に止まり、拡張現実に投影されたその姿も、髪を振り乱した怒りの形相のまま停止した。そして次の瞬間には、最初から存在しなかったかのように消失していた。  薫は、はぁ、と溜め息を一つ吐くと、英雄の方に顔を向けた。 「父さん、メモリアは今日で解約しておいて。もう、いらないから」 「あ、ああ」  英雄はやや戸惑いながらも、なんとか返事をした。 「父さんもそうしようと思ってた。今のを見て、思ったよ。やっぱり母さんのメモリアなんて、最初から作るべきじゃなかった。もっと強く反対しておけば良かったって」  英雄のその言葉に対して、息子は首を左右に振って見せた。 「いや、これで良かったんだよ。俺は、知りたかったんだから。俺が成長して、母さんの欲しかった理想の可愛い『娘』からどんどん遠ざかっていっても、母さんが俺を受け入れてくれたかを。やっぱりそんなことはなかったって確認できたから、もう気は済んだけど」  相変わらず、息子の顔には不満や怒りといったものは顕れてはいなかった。だが、今度は、英雄にもその顔から読み取れるものがあった。  これは、諦観だ。  薫はきっと、邦子が事故で命を落とす前から、いずれ母親が自分を拒絶する日がくると予想していたのだろう。だからこれは、薫自身が言った通り、『確認』だったのだ。 「そういえばさ――」  ふと思い出したように口を開くと、薫はその顔に皮肉な笑みを浮かべた。 「この前読んだ古い漫画で、子供を亡くした科学者が死んだ子供そっくりのロボットを作るって話があったんだよね。その漫画に出てくる科学者は、作ったロボットが本物の子供と違って成長しないことに怒ってそのロボットを捨てちゃうんだけどさ、でも、もし事故で死んだのが母さんじゃなくて俺の方だったら、母さんにとっては本物の俺より成長しないロボットの方が良かったんじゃないかな」  英雄はいたたまれなくなって、口を開いた。 「薫、メモリアは本物と同じように成長すると宣伝されてるけど、どんなことを言うようになるかは、SNSの書き込みなんかから予想してるだけだ。本物の内面を分かった上での予想じゃない。だから、その……メモリアはああだったけど、本物の母さんなら、きっとお前が成長に合わせて、それを受け入れられる人間に変わってくれたはずだ」  口ではそう言いながらも、英雄は、自分の言葉の空虚さを感じていた。英雄自身が、そんな妻の姿を想像することができなかったからだ。  言っている当人すらそうなのだから、聞かされている息子の方は尚更だろう。  だが、薫は口に出してそうは言わず、ただ、「そうかもね」とだけ言って薄く笑った。
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