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あるべき家族
「――このように、“メモリア”のユーザー数は年々増えているわけですが、先生はこれについてはどのように思われますでしょうか?」
太宰英雄がテレビをつけると、ニュースキャスターがしかつめらしい顔で隣に座った白髪頭の老人に問いかけているところだった。下に表示されている肩書のパネルを見るに、この老人は大学で社会学の教鞭をとっている教授らしい。
「そうですね……」
老教授は、ニュースキャスターに負けず劣らずの渋面で口を開く。
「五年前にこの製品が発表された時、私は、子供の頃に読んだある漫画を思い出しました。その漫画では、息子を亡くした天才科学者がその死んだ息子そっくりのロボットを作るのですが、結局、そのロボットと本物の息子は同じではないのだと強く意識させられることになり、『お前など息子ではない』と罵ってそのロボットを捨ててしまうのです。メモリアのユーザーも、結局はあの漫画の科学者と同じところに行き着いてしまうのではないでしょうか。いくら複合現実上で姿形を再現し、更にAIを使って過去ログから言動を再現したとしても、いずれは本物との違いを意識せざるを得なくなるのではないかと思います」
「先生のおっしゃっているその漫画、実は私も大ファンなんですよ」
ニュースキャスターを挟んで老教授の反対側に座っている男が口を開いた。こちらは対照的に髪が黒々としている。恐らく三十代か、見た目より年嵩だったとしてもせいぜいが四十代といったところだろう。老教授と対照的なのは髪の色だけでなく表情もで、未来は希望に満ちていると言わんばかりの朗らかな笑みを浮かべている。
こちらも、下には名前と肩書が表示されていた。もっとも、その肩書を見るまでもなく、英雄はその男が誰であるかを知っていた。今まさに話題になっている”メモリア”の開発企業、メモリアル・テクノロジーズ社の社長だ。急成長している企業の創設者であると同時に、SNS等での物議を醸す発言の多さでも知られる人物で、ネットニュースでは頻繁に取り上げられている。
「あの漫画で科学者が息子とロボットの違いを意識させられてしまったのは、本物の息子と違ってロボットが成長しなかったからですよね? ですから私達も、その点については十分に考慮しました。弊社のメモリアは、あの漫画に登場するロボットのような、死の時点が止まった"デッドコピー"なんかじゃありません。亡くなられた方がもし生き続けることができたなら、どのように変化し成長したか――それををライフログとゲノム情報に基づいて綿密にシミュレートし、姿形も言動も年月の経過とともにきちんと成長させることができます。五歳の子供のメモリアは五年経てば姿形も言動も十歳に相応しいものとなりますし、二十歳の人のメモリアは十年後には三十歳相応の姿になります。……まあ、後の方のケースについては、御本人が生きていたとして、それを望まれるかは分かりませんが」
最後の一言についてはジョークのつもりで言ったようだったが、人の死が絡む話題でのジョークは不謹慎だと思ったか、あるいは単に面白くなかったのか、老教授はにこりともしなかった。
「そうは言いますが、姿形の方はまだしも、言動の方でシミュレーションの元になっているライフログは結局のところ、その人間のごく一部を切り取った情報に過ぎないでしょう。人間は思ったこと全てをSNSに書き込むわけではないし、仮にネットへの書き込みだけでなく現実世界で口に出した言葉も全て録音しておいて情報源にしたとしても、それとてやはり、その人が考えたことの一部に過ぎないという点に違いはありません。そんな偏った不十分なデータからシミュレートされた『成長』が、果たして本当に、その人が生き続けられた時のそれと同じと言えるでしょうか」
英雄にはもっともに聞こえる老教授の反論に対しても、メモリアル・テクノロジーズ社長は余裕の態度を崩さなかった。
「確かに、メモリアの成長が故人が生きていた場合のそれと本当に同じかは分かりません。しかし、故人がもし本当に生きていたらどう成長したかなんて、それこそ家族や友人にも分からない永遠の謎なんですよ。あるのは『こんな風に成長したに違いない』という期待だけです。そしてその期待は、故人が過去にどのような言動をしたかに基づいて作られています。内心にしまったまま表に出さなかった思いに基づいて作られることはありません。忘れてはいけないのは、メモリアは近しい人の死を受け入れられない人々の心を支えるためにあるという点です。そのためには、彼らの期待に寄り添うことこそが大切なのです。あの漫画に登場したロボットが生みの親である科学者に受け入れられなかったのは、そのロボットが科学者の息子と全く同じではなかったからではなく、科学者の期待に応えられなかったからです。そうは思いませんか?」
「しかし――」
画面の中の老教授はなおも反駁しようとしていたが、英雄の意識はそこでテレビから逸らされた。階下から「お母さん、着替えたよ」という薫の声が聞こえてきたからだ。
呼ばれたのは自分ではないが、英雄は気になって様子を見に行くことにした。
開けっ放しにされたドアの陰からリビングを覗くと、そこには、ロリータ風のファッションとでも言うのだろうか、やたらとフリルの多いひらひらとしたドレスを身にまとった薫がいた。そのすぐ隣には、満面の笑みで薫を褒めそやす、妻の邦子の姿もあった。
「いいわ、素敵よぉ。薫ちゃんは本当、そういう可愛い服がよく似合うわねぇ」
母親とは対照的に、薫の方はにこりともしていない。かといって、不満げというわけでもない。何を考えているのか分からない顔だ。
邦子はそんな薫の表情にはまったく気づかない様子で、いかにそのドレスが素晴らしく、また薫に似合っているかを滔々と語っている。
以前から、何度となく見てきた光景だ。この光景を見る度に、英雄はもやもやとした感情が湧き上がってくるのを感じていた。
これではまるで、着せ替え人形ではないか。
薫ももう小学校の高学年だ。母親の着せ替え人形にされることに不満を覚えてもおかしくない歳だろう。ましてや、こんな服となれば尚更だ。
英雄はそう思っていたし、実際に口に出して妻にそう言ったこともある。だが、怒涛の反駁を受けて、最終的に引き下がらざるを得なかった。妻の言い分に納得したわけではない。英雄は今でも、たとえ我が子といえど自分の所有物のように扱うのはあるべき家族のかたちではないと思っている。
しかし、頭ではそう思っていても、生来押しに弱い人間である英雄は、声を荒げて矢継ぎ早にまくしたてられると萎縮してそれ以上何も言えなくなってしまうのである。
まあ、自分が無理に止めなくても、いずれは反抗期を迎えた薫が自ら着せ替え人形扱いを拒否するようになるだろう。そうなった時に、薫の味方をしてやれば良い。
英雄はそんな風に考えていた。
……だが、その日が来る前に、あの事故が起きた。そして、あるべき家族のかたちは永遠に失われてしまったのだ。
メモリアが欲しいと切り出されたのは、四十九日が明けた頃である。
英雄は最初、反対した。そんな偽物で埋め合わせるのはやめようと言って聞かせた。
だが結局、押しに弱い英雄はここでも押し負けてしまった。
あそこで折れてしまったのはやはり間違いだったのではないかと、今でも思う。
十歳を過ぎた子供を母親が着せ替え人形のように扱う光景はグロテスクだ。それがメモリアとなれば、尚更である。
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