この距離は埋まらない

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****  烈にアタックし、ひとりふたりと撃退され、とうとう「烈先生は生徒に興味なし」と結論がついた頃、律は成績を上げるだけ上げて、やっかみなのか本当に任されたのか、クラス委員になってしまっていた。  秋になれば日が落ちるのも早くなる中、委員会活動に出かけ、それで日が落ちた中帰ることも増えていった。 「ああ……」  委員会活動で行きそびれたトイレに行っていたら、その間にバスは行ってしまった。  基本的に律の学校はバス通学であり、学校専用バスで登下校をする。バスが行ってしまった場合は、学校を出てしばらく歩いた先のバスに乗らないといけないが、既に帰宅ラッシュだ。バス停は混雑していていつ乗れるかがわからない。 「どうしよう……」  駅まで歩くべきか、お小遣いが消える覚悟でタクシー探すべきか。外灯がついているとはいえど、駅まで歩いて帰る勇気は、律にはこれっぽっちもなかった。  泣きそうになりながら、律はスマホを眺める。家族は病院勤めであり、今日は両親どちらとも夜勤だったはずだ。だとしたらタクシーを呼び出すべきか。お小遣いが心配だが。  そうひとりで躊躇してたら。 「まだ帰らないのかい?」 「あ……」  烈であった。学校での教師スタイルは基本的にスーツで、夏はシャツだけだが、秋にもなったらかっちりとジャケットを羽織ってネクタイも結んでいる。それに律はあわあわとしながら答えた。 「トイレ行ってる間に……バスが行っちゃって……今からバス停まで歩こうか、歩いて駅まで帰ろうか、迷ってたところです」 「ああ、そっか。もう学校のバス出ないかもなあ」 「はい……」  一応女子校は大学と隣接しているのだから、大学のほうまで歩けばバスがある可能性もあるが。大学は高校よりも授業が終わる時間が遅く、いつになったら帰れるかがわからない。暗い上にやや肌寒くて、そのせいで自然と律も心細くなり、涙を浮かべていたら、烈が溜息をついた。 「じゃあ駅まで送ろうか」 「え……」 「生徒がバスに乗り遅れてたらなあ。他の子たちはもう皆帰ったし」 「お、お願いします……」  知らないうちに免許を取り、知らないうちに車持ちになっていた。烈は律の知らない人生を送っているんだなということをまたひとつ知り、またひとつ傷付いた。  烈の車は静かで、ときどきバスに乗っているときに乱暴に感じる揺れひとつなく、車は進んでいった。  授業の話や委員会活動の話、本当にただの先生と生徒の話をしたあと、長くて楽しかった時間は終わり、駅の前で車は停まった。 「ほら、降りて。もうすぐ電車来るから」 「は、はい。ありがとうございます……」 「次から気を付けて。あとこれは」  烈はちょん、と人差し指を差した。 「他の生徒に内緒な」 「……はいっ」  車が軽やかにスピードを上げて去って行くのを、律はぼんやりと眺めていた。 「烈くん……」  彼女にとって、やはり烈は教師であったとしても、優しいお兄ちゃんであり、失恋をしてもなお好きな人のままだった。  その日、久々に律は浮かれた。浮かれついでにアプリで友達に報告した。  同じ学校の露美に言ったらまずいだろうと、未だに交流のある瑠希と来夏にだけだが。  瑠希からは【あーあーよかったなよかったな】と棒読みな返事と一緒に、何故かカッパのスタンプを大量に送られ、来夏からは【いち生徒の付き合いじゃないよ、これは。絶対に脈あるから、頑張れ】とチアガールの格好のシマリススタンプを送られた。  律はふたりに【ありがとう】とメッセージを送ってから、空を見上げた。  成績優秀で、いい生徒で、それからなにができるだろうか。  律は当たって砕けていった生徒たちみたいな行動は取れなかった。それをしたら、教師としての壁をつくっている烈が、今日みたいにそれを崩して助けてくれるような真似はもうないだろうから。  だからと言って生徒のままでは、いい生徒と先生のままで終わってしまう。  なにをどうしたらいいのか、律にはいまいちわからないままでいた。 ****  それからというもの、律は烈とはいい生徒と教師の関係を維持してきた。  小テストの成績で満点を取り、定期テストの際にいい成績を取れば、皆の前で褒められるから、それで満足しようと思ったのだ。  時にはわからない問題を直接烈に聞きに行くこともあったが、烈はそのときも教師の言葉のままだった。 「りっちゃんさあ。もしかして、烈先生のこと好き?」 「えっ?」  律は二年生に進学しても、できる限り気付かれないようにしようとしていたので、唐突に露美に指摘されて、激しく狼狽えた。律はそもそも秘密は黙り込むことであり、嘘をつくのは苦手であった。  それを知ってか知らずか、露美は「だってさあ」と続けた。 「理由を付けては職員室に行きたがるし」 「それは授業を聞きに行って……」 「でもりっちゃん成績優秀過ぎて、先生にいちいち聞きに行く必要ないじゃん。大学の進路相談だったらわかるけど。でも私たち、まだ学科選択できる立場でもないし」  一応二年生に進学したら、進学希望ごとにクラス分けはされる。  大学の理系学部希望なら前半クラス、文系学部希望なら後半クラスと。ふたりは理系クラスに入れられ、前よりも理系教科中心の授業割りにはなったものの、それを理由に職員室に行く口実が増えたくらいにしか、律は思ってもいなかった。  だからこそ、高校からの友達の露美に突っ込まれるとは思ってもいなかったため、律はひやひやしていた。しかし露美は「まあ、いいんじゃないの?」と言う。 「えっ? でも、先生は私のことなんとも思ってないよ?」 「そりゃね。先生が生徒に色目使ったらいろいろ問題あるとは思うけど、生徒が先生を勝手に好きなのは問題なくない?」 「そうなのかな……」 「だってりっちゃん。烈先生にいい生徒ですアピールより上のこと全くしてないのに、咎めることもなくない?」 「うん……そう、なのかな」 「まあ、烈先生無茶苦茶厳しいからね。ちょっと色目使った子たちからは反感食らってるみたいだけど、それ以外の生徒からは概ね人気みたいだから。競争率高そうだけど頑張れ」 「それ応援されてるのかな……」 「してるしてる。頑張れー」  露美からやる気のあるのかないのかわからないエールを送られつつも、律はなんとかその日の授業も終えた。  進路については、「律の成績なら大丈夫じゃない?」と言われ、薬学部に入れるように頑張るつもりだ。そこでますます授業は難しくなっていったが、律はそれもなんとかこなしていった。  しかし烈と話がしたい、勉強が難しいから頑張らないといけない。  頑張り過ぎがいけなかったのか、その日はふらふらとしていたものの、その日の選択授業のためにも人気のない廊下を突っ切らないといけなかった。 「あれ、大丈夫かな?」 「烈先生……」 「顔色悪いけど。このまま授業受けに行って平気?」  烈が本当に珍しく律を心配そうに、しかも距離が近くなっているのにドキリとする。 (烈くん、こんなに距離近いのいつ振りだろう……)  そう素直にドキドキとするものの、気のせいかドキドキとする鼓動が激しい。 (あれ……?) 「ああっ!」  烈の悲鳴と一緒に、律の視界は暗転してしまった。  暗転してから、律は走馬灯のように夢を見ていた。  小さい頃から瑠希におちょくられてワンワン泣いていたのを、烈に慰められていた夢。烈が中学生になったのをドキドキしながら隣から見ていた夢。高校の制服の女の子と寄り添っているのにショックを受けて逃げ出した夢。  折角高校で再会できたのに、生徒と教師になってしまい、どうしようもない現状。 (同い年だったらよかったのに。瑠希ちゃんと烈くんの立場が反対だったらよかったのに)  瑠希に幼馴染甲斐のないことを思いながら、律は考える。 (優しかったけど、それは誰に対してもなんだよね。今の烈先生だって、いい子にしていたら褒めてくれるし笑ってくれるけど……それはいい生徒だからであって、私だからじゃないし。頑張ってきたのに、倒れちゃって……あぁあ。あれ? そういえば今、私はどこにいるんだろう)  目が覚めたとき、ツンと薬とアルコールの匂いがして、辺り一面真っ白なことに気が付いた。カーテンの閉め切られた保健室である。 「ああ、目が覚めましたか? 貧血ですよ」 「貧血……私、月のものはもう終わりましたけど」 「思春期だったら、考え過ぎてもなることはありますよ。勉強し過ぎもそうですけど、悩み過ぎも貧血になりますから」  保健室の先生にやんわりと注意され、貧血用に鉄分入りの飴をもらった。 「あの……私廊下で倒れたんですけど……どうやって」 「ああ、大丈夫かい?」  突然保健室がガラリと開いたかと思ったら、烈が入ってきたのに「まさか」と律は思った。でもよくよく考えたら、人気がなくって女子校で倒れたとなったら、授業を受けに行く女子生徒ではまず運べず、女教師でも気絶した生徒を運ぶには無理があるのだ。となったら。  保健室の先生がニコニコと笑う。 「慌てて先生が運んでくれたんですよ」 「ご迷惑おかけしました。担任と親御さんには許可を取ったから、今日はもう下校しなさい」 「えっと……残りの授業は」 「今は考えなくていいから」  烈が本当に珍しく慌てているのに、律は少しだけ胸が疼いた。 (それが生徒が目の前で倒れたからじゃなくって、私が倒れたからだったらいいのに)  ただ誰に対しても優しい教師が、そんな依怙贔屓をするとも思えず、そのことはなるべく律は考えないようにした。  いつかのときと同じく、車に乗せられるとそのまま運ばれる。 「駅まででいいですよ」 「いや、このまま家まで送らせてほしい」 「でも……先生困りませんか? 授業は?」 「先生の次の授業は、午後からだから大丈夫……保健室の先生が言っていたけど、勉強し過ぎだって。大丈夫か?」  烈は運転をしたまま、隣に座る律のほうに目もくれない。そのことを寂しいと思えばいいのか、気を抜けた緩みそうになる口元を見られなくてよかったとほっとすればいいのか、律にはわからなかった。  ただ、流れていく車窓を見ながら答えた。 「勉強し過ぎってほど、勉強してないですよ」 「でも成績は優秀だろう? 担任も褒めていたよ。薬学部までストレートで行けそうだって」 「大袈裟ですよ……ただ、早く大人にならなきゃと思っただけです」  大人にならないと、烈の隣に立てない。生徒と教師のままだと、どうにもならない。  車は駅を通過して、律のよく知る住宅街まで突っ切ると、家の前で降ろされた。 「今日は一日安静にしてなさい。明日からまた、頑張ればいいんだから。肉でも食べてちゃんと休みなさい。それじゃあ」 「先生……送ってくれてありがとうございます」  烈はそれに会釈で返すと、元来た道を走っていった。  それを見送りながら、律はくすくす笑い、そして目尻から涙を溢した。  心配されても傷付いて、心配されなくってもきっと傷付く。すっかりと取扱注意物になった自分の気持ちがどこまでも面倒臭く、諦められたらよかったのにとだけ思った。  しかし既に人生の半分以上片思いしているので、諦めることすら既に諦めている自分がいた。
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