柚子side②

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「柚子さん、面白かった? 大丈夫?」 「うん、」 「時々そわそわしていたから、あまり面白くなかったのかと思ったけど。それならいいや」 「や、あの、途中怖くて……」 「怖かった?」 「……うん」  映画は流行りのSFものにした。CMで何度か見ていたし、大学でも面白いと言われていたから楽しみにしていたんだ。  恋愛ものでも気になっていた映画があったのだけれど、橘くんとふたりで見るのには少し恥ずかしかったから、俺がSFを選んだ。ホラー要素があると分かっていたうえで。  それなのに怖かったなんて言ったら、自分で選んだくせに? と笑われてしまうだろうか。 「怖がりなのに、これが良かったんだ?」 「……うん」  ……本当は怖かったなんて、嘘。SFものもわりと好きだし、怖くて見られないなんてことはない。  けれど、そわそわしていたのは事実で、その誤魔化し方が分からなかったから咄嗟にそう答えてしまった。  これまで好きな人と映画館に来たことも、ふたりでポップコーンを食べたこともなかったから、それだけで既に緊張していた。  一度、俺が手を伸ばしたタイミングで橘くんも手を伸ばし、お互いの手が当たってしまったただそれだけのことで、俺の頭の中はパニックだった。  ふっと笑って俺を一瞬だけ見た橘くんは、すぐにスクリーンに視線を戻していたけれど、俺は彼の横顔ばかり見ていたし、また当たってしまわないようにと気にしすぎて、映画を観るどころじゃあなくなってしまった。  自分の気持ちに素直になろうと決めただけで、こんな些細なことにすら対応できなくなるのか……。  津森さんと付き合っている時は、滅多に会えなかったし、ただただ一緒にいられるだけで良かったと思っていた。  自分の気持ちをどうやって伝えようとか、そういうことを悩むことはあまりなく、一緒にいられることを嬉しく思っているだけで、時間が過ぎていたような気がする。  だからこうして、自分の気持ちに向き合ってみることになかなか慣れない。ましてそれを橘くんに伝えるとなると、なおさらのこと。  せっかく映画に来たのに橘くんのことばかり考えていたよと、手が当たっただけでこれだけドキドキするくらい好きになってしまったんだよと、この気持ちはどうすれば伝わるのだろうか。 「なに、まだ怖いの? 柚子さんってば本当に可愛いね」 「……う、」  俺を見つめるその瞳が、笑顔が、声が、何もかも優しい。ああ、今でさえこれなら、俺が素直に飛び込んだ時、彼はどんな反応を見せてくれるのかな。   「次、どこ行く?」 「……どこでもいい」 「うーん、じゃあ適当に歩く?」 「うん」  “どこでもいい”の前に“ふたりでいられるなら”を付けたかったのだけれど、そんなにすぐにうまく伝えられるわけもなく、橘くんの言葉に頷くと、彼は「その前にトイレ行きたい」と俺の頭を撫でた。  トイレの近くまで来た時、あるカップルが視界に入った。派手な服装だったことと、電車の中で見た紙袋を持っていたから、自然と目を引かれたんだと思う。  あのグループのライブに行く子たちは、みんなあんな格好をするんだな、とそんなことを思っていると、隣の橘くんも「服装の指定でもあったのかな? みんな真っ黒だ」と同じことを言うから、そうだねと返事をし彼に視線を向けた。  けれど、何かが引っかかり、視線を向けて確認したい衝動に駆られるものの、そうしてはいけないと強く止められている気持ちにもなる。  意識すればするほど気になり、そのカップルの会話まで耳に入ってきた。距離が近づくにつれて、胸騒ぎが大きくなる。 「たぁくん、ここで待っててね」 「おぅ」  はっきりと、聞こえた“たぁくん”という呼び名。そんなあだ名で呼ばれる男性はたくさんいるかもしれないけれど、この胸騒ぎの正体はこれだったのかと納得もした。  一瞬見えたんだ。アイツに似た人が。 「……っ、」  自然と足が止まる。  先にトイレに行ってもらおうと橘くんに言おうとした時、不思議そうな顔をした橘くんが「柚子さん?」と言葉を発した。 「……あ、」  ああしまった、とそう思った時にはもう遅かった。俯いて見えないけれど、目の前にいるだろうアイツが「柚子?」と反応した。  やはり間違いなかったんだ。高校の時に同じクラスにいた森岡太一(もりおかたいち)。クラスの人気者の“たぁくん”。  そして、俺の一番の敵だった人。森岡に言われた言葉は、今でも全て覚えている。何度も刻み付けられて、消えない傷跡になっているから。  どうしてこんなところで出会ってしまうんだろう。俺を知らない人ばかりだと思って、ここに引っ越して来たのに。  橘くんと、これから向き合っていきたいと、そう思って覚悟を決めたところだったのに。
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