柚子side②

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「あっれ~? 柚子って、真宮じゃん。久しぶり〜」  ああ、この耳障りな声。頭の中で森岡の声がこだまし、押し潰されそうになる。  近付くなと、心の中で叫ぶけれど、叫んだところでどうしようもない。足音が徐々に大きくなる。  俺は足が固まって動くことさえもできないし、もう逃げられない。終わりだ。  正面に来た森岡が、俺の肩に手を置いた。 「真宮じゃん。元気~? 相変わらずホモってんの? それ、彼氏でしょ?」  森岡を含めた全てから逃げたくて、遠くの大学に来たのに、こんなところで、しかも橘くんもいるこのタイミングで会ってしまうなんて。  橘くんといたあの日、家の前で津森さんを見つけてしまったあの瞬間と同じ吐き気が襲う。 「やっぱしホモだったんだなぁ。ちょーウケるんだけど」 「違っ、大学の後輩で……!」  俺の肩に手を置いたまま、森岡が俺と橘くんを交互に見ると、ニヤリと笑った。森岡は俺より身長が高いから、そのせいで威圧感が増す。  昔からこうだったから、だからそこも含めて嫌いだったんだ。何も悪くなくても、こうして見下ろされてしまうと、何も言い返せなくなるし、足も震える。 「え? 後輩ちゃんと映画? ……って、どうせお前狙ってんだろ? この後輩ちゃんのこと」  ケラケラと、嫌な声で森岡が笑う。肩に置かれたままの手を、必死に退けようとするけれど、力が強くて敵わない。 「森岡、やめて」 「やめなきゃいけないのは真宮じゃないの~? 後輩ちゃんが可哀想じゃん。だってさ、お前みたいなホモに好かれて、あげくホモの道連れにされちゃうんだよ? 俺、同情で泣けてくるわ」 「……っ、」  今もあの頃も言い返せないのことが悔しい。まともに言い返せたことなんか一度もない。  周りから散々言われてきたせいで、自分でも自分のことをおかしいと思うようになってしまったから。  どうしてこんなことをされなければならないのかと、腹立たしさも、つらさも、悲しさもたくさん抱えてきたけれど、心の中では仕方ないことだと思ってしまう自分がいるのも事実。  いつまで経っても変われない。  ……でもそれほど、与えられた傷は大きいんだ。  ああもうどうしよう。橘くんを何度も巻き込んで、また迷惑をかけてしまった。彼は何を思って話を聞いているのだろうか。  そんなことを考えてるうちに、森岡は俺の肩から手を離すと、今度は橘くんの肩をぽんぽんと叩いた。  強めに叩いている音がする。橘くんは何も言い返さない。  俺は橘くんの表情を確認する勇気がないから見ていないけれど、肩が触れる距離で隣にいるからか、少しだけ分かってしまった。  橘くん、かなり怒っている。そうだよね、何回こんなことが起きるのかと、そう思うよね。 「後輩ちゃん、気を付けなきゃあ取って食われちゃうよ?」  それからまた、森岡は俺の大嫌いな声で笑った。  やはり何も言い返さない橘くんに、俺は心の中でごめんねと呟くことしかできない。  何度も何度も謝っていると、そのタイミングで森岡の彼女が戻って来た。後ろから「たぁくん」と呼ぶその声に森岡が振り向く。  それから「じゃあねホモ宮」と言って、彼女のほうに向かおうと俺たちに背中を向けた。  やっと解放されるんだと、安堵感が生まれたものの一瞬で崩れる。  彼女のほうへと歩き出したはずの森岡が足を止めた。 「橘くん……!」 「ってぇなあ、なんだコイツ!」  理由は、橘くんが森岡の頭を掴んだから。  「ふざけんなよ!」と森岡が喚きながら、こっちに向き直るけれど、それでも橘くんは森岡の頭を掴んだままだった。  森岡のほうが体格が良さそうに見えるのに、橘くんのどこにこんな力があったのか。  俺は止められもせず、そこに立っていることしかできない。  森岡の後ろで、彼女が口元を手で覆いながらこちらを見ている。  橘くんは動じることなく、「騒ぐと迷惑になりますよ」と低い声でそう言って、場面に合わない顔で笑った。 「離せっ、くそ……!」 「黙らないともっと痛くしますよ? 俺、こう見えて握力強いんですよね」  ギリリという音が聞こえてきそうなくらいに、橘くんが森岡の頭に指を食い込ませた。見ている俺が痛みを感じるほどだ。やられている本人は相当だろう。  すぐに抵抗すれば余裕で勝てそうな雰囲気なのに、森岡は大人しくされるがままだ。  自分が加害側にいるうちは攻撃されないとでも思っていたのかもしれない。だから予想外の反撃をくらい、戸惑っているのだろうか。
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