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 彼のしつこさに負けて昼休みを一緒にカフェテリアで過ごして以降、彼は必ず昼食にわたくしを誘ってきていた。あのめげなさは素直に称賛したい。  そしていつの間にか、彼とともに過ごすお昼休みは日常になっていた。特別なはずなのに、当たり前にある幸せをなんと表現したらいいのだろう。 『今日も飲み物だけ?』 『放っておいてちょうだい。みんながあなたみたいに食べるわけじゃないのよ』 『アンバーってやっぱり小鳥なの? だからそんなに可愛いのか』 『逆に、あなたの身体にこの量の食物が入ることの方が恐ろしいわ』 『これくらい普通でしょ』 『あなたの食事が普通であってたまるものですか』 『育ち盛りの男子の胃袋は無限大なんだよ』 『……お、恐ろしいわ』  昔なら、たくさんの料理の匂いがまじりあうカフェテリアに足を踏み入れただけで具合が悪くなり倒れていたはず。それがレーンと過ごすうちに、おしゃべりを楽しむことさえできるようになっていた。まさに奇跡だ。 『アンバーも食べたらいいのに。一口、いらない?』  珍しく彼に食べ物を勧められて、少し驚いた。レーンは、ひとの嫌がることをしない。天真爛漫に振舞っているように見えて、相手のラインをかなりギリギリまで見極めている。そんな彼がどうして?  他のひと相手ならぴしゃりと『やめて』と言ったかもしれないけれど、レーンが相手だからか自分の口から出たのは意外にも柔らかい声だった。 『食べてほしいの?』 『さっきから俺が食べているところをずっと見ているし、やっぱりお腹が空いているんじゃないかと思って』 『……さあ、どうなのかしら』  テーブルの上の料理をまるで魔法のように平らげているレーンの姿を見ていると、確かにお腹が空いたような気がする。でも、空腹という感覚はもうずいぶん前に忘れてしまった。わたくし、お腹が空いているのかしらね? 首を傾げたところで鳩が鳴くような音が響き渡った。 『え?』 『ほら、やっぱりお腹空いてるんじゃん。はい、食べて食べて』 『へ? いえ、そんなわたくし』 『あーんして』  フォークに刺された子羊のローストを口の前に出される。今日のカフェテリアのメニューは、自分の大好物なのだとレーンが話していたことを思い出した。大好きなメニューだから、わたくしと一緒にカフェテリアに行きたいと言われたことも。 『大丈夫、美味しいから』 『無理だったらどうするの』 『吐く前に口移しで俺が食べてあげる』 『最低』 『ね、騙されたと思って』  柔らかな子羊の肉は、香ばしい香りを漂わせていた。レーンの笑顔とフォークのお肉を交互に見つめる。……美味しそう。ずいぶん久しぶりの感覚とともに恐る恐る肉を頬張ると、口の中に濃厚な肉汁が広がっていく。妹と一緒の食事でも、甘味以外は苦しかったのに。ああ、こんなに食事って素晴らしいものだったのね。 『ね、どうだった?』 『……美味しいわ』 『ほら、後悔しなかったでしょ。って、なんで泣いているの。ちょっと、待って。え、ごめん、やっぱり嫌だった?』  慌てふためく彼に、当たり前の感覚を思い出したことが嬉しかったなんて言ったらどんな顔をしたのかしらね。  ちなみに翌日から子羊のローストは、万年ダイエッターのアンバーが泣くほど美味しいと人気メニューになったと聞いている。わたくしが卒業してもいまだに伝説のメニューとして君臨しているらしい。まったくわたくしを宣伝に使うのなら、宣伝費をいただきたいものだわ。
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