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なんでだろう。愛美が眉間にシワを寄せて黙り込んでいる。なにか嫌なことでも思い出したのかな?哲学のことでも考えているのかな?なんだろう。
「なにか思い出した?」
「え?」
「あ、いや、なんか急にハッとした顔をしてたからさ。違ってたらごめんだけど」
「んーん、大丈夫だよ...たぶんね」
すごく小さな声だけど、かすかに『たぶんね』が聞こえた。
ー たぶんね...小さい声で言ってたということは、なにか絶対嫌なことでもあった...はず
脳内でなんとなく、勘で推理をする。今よくよく考えると、自分は一体何を言っているのかが不思議に思う。愛美が黙り込んだから、私達二人の空気はなんとなくどんよりとしている。私は場を盛り上げようと頑張って話題を振ったけど、彼女は無反応。どうすればいいんだろうかと考えようとした時、愛美がきつく結んでいた口を開いた。
「すごいかすかな記憶なんだけどさ」
「え?あ、うん」
私は愛美の話に耳を傾けることにした。
「小1のときね、私、ここで、このプールで溺れかけてさ。それで、ずっとさ、ここに来てなかったんだけどさ。まあ、プールがトラウマってわけじゃないけど」
いきなりの話に驚いた。思っていた話とはかけ離れている。
「うん、それでどうなったの?」
「それでね、溺れかけてるときね、誰かが助けてくれたの。ライフセーバーでもなくて、親でもなくて、周りの大人でもなくて。華、覚えてない?」
「え?」
「あの時、私を助けてくれたのは華なんだよ。さっき思い出した」「そうなの?」
「うん、今まで溺れかけて、その時の私と同い年の子に助けてもらって一緒に遊んでいたのは覚えてるけど、その子の名前が思い出せて無くて」
小さい声で、でもはっきりとしていて、少し震えている。その時の記憶を思い出して、辛いのかなと思っていた。
「それでね、私今さっきね。助けてくれた子の名前を思い出した。華だってこと。それで、私、とんでもない罪悪感に包まれてる気がする」
「なんで?」
「わからない?」
「え?なにが?」
私は愛美の曇っている顔をただひたすら見つめることしかできなかった。
「あの時、溺れた私を助けたのは華でしょ?」
「記憶はあまりないけど、愛美がそう言うならそうだね」
「私さ、命の恩人と再会したのに。貴方だってことに気づかなくて、貴方のこといじめて、心もそうだし、体も傷つけちゃって」
愛美の静かな口調に私は何も言い返せなかった。溺れている彼女を私が助けて。その後友達になって、でもそれを愛美は忘れてしまって。高校で偶然にも再会して、彼女の命の恩人である私を彼女がいじめた。それで私は傷ついた。彼女の言っていることを理解した。でも、頭が働いている気がしない。
ー 私は、助けた人にいじめられてたってことかな?
「だよね。怒って何も言えないよね」
愛美の震えている声にハッと我に返った。私は、怒っていないと何回も連呼しながら両手と首を左右にブンブンと振る。いじめに関しては反省してたのはわかってたけど、こんなに真剣に考えているってわかると、改めて反省しているのかと思った。
「そんなこと、もう気にしなくてもいいよ。もう過去のことだし」
「でも傷つけたんだよ?」
「そうだね、でも今はその傷は治ってる。気にしなくてもいい」
「...」
「今愛美がしないといけないことは、過去に執着するんじゃなくて、今現在を楽しむこと!だから今このプールを楽しもう!」
そう言った途端、上から水が落ちてきた。プールの上にあるバケツが満タンになって傾いたのだった。私と愛美は顔にくっついてる濡れた髪をかき分けて笑った。
ー そう、そうなんだよ。過去のことなんて考えなくてもいい。今は今のことだけを考えれば良いんだ!
私は愛美と星のプールを一周した。私達はだいぶ水の流れが早かったねと笑った。施設の壁にある大きな時計を見上げると、時計の短い針が1に指されそうだった。現在時刻12時54分。男女二手に分かれてから1時間が経とうとする。私と愛美はご飯を食べた休憩所に向かった。話しながら歩いていると、待ち合わせ場所が見えてきた。そこには和也と友樹が立って話していた。
「男子たちもういるね」
「うん、早いね」
愛美と話していたらあちらも私達の到着に気づいて手を振ってきた。私も愛美もひらひらと手を振りかえした。友樹が両手を丸の形にして口もとに動かした。何をするのかと思った。
「はぁっ...愛美!華!遅いよぉー!」
友樹は大きな声で私達に語った。愛美は険しい笑みを浮かべて、そんなに距離は離れてないのにと言っていた。苦笑して再び男子の方を見ると、和也が友樹の頭を叩いて叱っているように見えた。
ー あーあ、友樹やっちゃってるじゃん
「バカなのかお前は。そんなに華たちとそんなに距離離れてないのに、でけえ声出さなくてよかっただろ。周りの人に迷惑かかるぞ。もう、怒られるぞ」
「うっ、怒られるぞって、もう和也に怒られてるよ」
「お前がバカなことするからだろ」
「はい、ごめんなさい」
友樹を叱ってる今の和也は学校の理科の先生が人差し指を立てて注意しているときみたいに見える。それがなんだかおかしくて、つい笑ってしまった。何を笑ってるんだよと唇を尖らせた和也が言う。
「だって、面白くてさ」
笑いをこらえようとするけど、止まらない。私はお腹を抱えてしゃがみ込んで笑った。
「そんなに笑う必要なだろ」
「まあまあ、華ちゃんが笑うのはなにかが面白かったからでしょ」
「うーん、まあ良いけどさ」
友樹は両腕を腰に当てて立って言った。和也は私の腕を掴んできた。立たせようとしているのかなと思って、笑いすぎて力がうまく入らない脚に力を入れて立ち上がろうとした。でも、うまく力が入らなかったのか、私はよろよろして、和也を掴んだまま隣のプールに落ちてしまった。幸いにもプールの水深はやや深く、人も少なかった。私は酸素を吸いに水面に顔を出した。和也も顔を出した。電気ショックでやられるかのような感じがした。目があった。でもそれも面白くて二人共笑い出した。
「おいおい、二人共どんだけ仲良しなんだよ」
「友樹と私もまあまあ仲良しじゃない?」
「そうか?」
「そうだよ!!」
私と和也はハモって、愛美と友樹をプールに引きずり込んだ。水面に顔を出した二人が『もう!』と怒ったが、その瞬間に笑いを上げた。私も和也もつられて笑いを上げた。そして、水の掛け合いが始まった。私含めて4人は笑い合って今の時間を楽しんだ。
「うわ、もう5時近くじゃん」
「ほんとだ、早いね」
「じゃあ、そろそろ帰ることにしようか」
「そうだね」
プールから出て、共用シャワールームで温水を浴びる。水着を着たままだから誰でも使えるスペース。プールの塩素を温水で流して男女分かれて更衣室に行く。持参した大きなタオルで全身を拭いて、水着を脱いで私服に着替える。プールの温度で体温が少し下がってたのか、私服に着替えたときの肌のサラサラ感とほんのりとした暖かさに私の意識はふわふわした。摩擦で手を温めるために手をこすりつけると、シワシワな感じがした。ずっと水の中にいたわけだから、皮膚も凸凹になるのは当然のことだった。着替え終えて、私は愛美と更衣室の外にある休憩所で待った。
「今回は男子たち遅いね」
「そうだね。あ、愛美さ」
「ん?」
「なにか飲みたいものとかある?ほら、動き回ったあとだし」
「あー、そうだね。んー、炭酸系とか?」
「おけ、奢るよ」
「え?いいよ、自分で払う」
「えー、別にいいのに」
二人で自動販売機の前に立って、お互い飲み物を購入した。私はシンプルに緑茶にした。愛美は言った通り炭酸を買った。新作のブルーハワイサイダーらしい。
「それ初めて見た」
「新作なんだって」
「そうなんだ...あ、和也だ!」
「ほんとだ」
和也達に手を振った。彼らも手を振り返してくれたけど、なんだか様子が変だ。少し違和感を持って、和也に近づいて話を聞くことにした。彼の眉は下がっていた。眉間にもシワが寄せてあって、なんだか焦っているように見えた。
「どうしたの?」
そう問いかけると、和也の背後から小さい男の子が顔を出した。びっくりして、わっと少し声が出てしまった。和也によると、更衣室で一人で着替えると母親に言ったらしくて、着替え終わって出てきたけど母親がいなかったという。母親とはぐれてしまって迷子らしい。和也たちは一人で立って不安そうにしている男の子に声をかけて母親を一緒に探すと言ったのだ。私も、男の子の母親探しを手伝うことにした。愛美もそうだった。
「あ、こんにちは。はじめまして」
「は、はじめまして」
ー 顔見知りなのかな?声がだいぶ小さい
「私は、和也の友達の華って言うの。貴方のお名前を聞いてもいいかな?」
「ん...」
「お姉ちゃんは、貴方のお母さんを探すのを手伝うよ」
「僕は...啓太」
ー 啓太くん。啓太くん。よし、名前を覚えた
心のなかでガッツポーズを繰り広げた。
「啓太くんね!よろしくね」
「...うん」
「啓太くん、お母さんのお名前と特徴知ってる?」
啓太くんによると、母親の名前は祐奈さんというらしい。茶髪のロングで、今日はジーンズに白のティーシャツを身につけているのが特徴。私は全員バラバラで探そうという案を出した。啓太くんは和也と一緒にいることになった。更衣室、迷子センター、プールと別の休憩所を探すことになってる。私は迷子センターに行った。
迷子センターに着くと、数人の子供、そして、数人の大人がいた。大人はここにいる子どもに目をつけないことだから、自分の子どもでは無いということがわかった。啓太くんの母親はここにいるのかもしれない。そう思ってあたりを見渡したが、ジーンズで白のティーシャツの女性の姿はなかった。迷子センターのカウンターが一つ開いたから私は、カウンターにいた女性に話しかけた。
「あの、すみません」
「はい、どうされました?」
「あの、ここで白のティーシャツとジーンズを履いてる女性は見ませんでしたか?祐奈さんという方なんですが」
「祐奈さん...」
女性は黙って考え込んだが、すぐに『見なかった』と返事をした。私はお礼を言って迷子センターをあとにした。しばらく探し回ったが啓太くんの母親の姿は見つからない。私は和也に連絡して休憩所で再び合流した。あとから愛美と友樹もやってきた。誰も見ていないと。
どうしようかと話してて、啓太くんを見ると、嗚咽をこらえて震えていた。目には涙がたまり始めて、泣くということに気づいた。私は3人の会話から外れて啓太くんの背中を擦った。
「啓太くん、大丈夫だからね。お姉ちゃんとお兄ちゃんたちが啓太くんのママを見つけるからね」
「ママ、ママ...どこにいるの?うっ...ママァ...うわーん」
啓太くんが顔を覆って声を上げて泣いてしまった。みんなも焦って啓太くんを慰めようとしている。私は考えた。
ー 啓太くんが祐奈さんと会える方法...
「啓太くん、苗字教えてくれる?」
「た...か」
「たか?」
「やま」
「高山啓太くん?」
啓太くんは泣きながら小さく頷いた。
「和也、啓太くんを連れて迷子センターに来て!」
「え、華はどうするの」
「私今から迷子センターに行くから、とにかく啓太くんを連れてきてね」
そう言って私は迷子センターへ走っていった。迷子センターの扉を開けて、ついさっき話した女性のもとへ向かった。杉村さんというらしい。私は杉村さんを連れてプール受付カウンターに行った。自分一人では受付の事務室には入れないから、事情を知っている杉村さんについてきてもらった。
「過去の初登録証のデータならこちらにあります。50音でわかれてるので、お探しの方は探しやすいかと思います」
「ありがとうございます」
私は高山の『た』行を探して、ファイルを取り出した。2つファイルがあり、しかも太い。杉村さんに手伝ってもらって、『高山』という苗字を探した。
ー 田口、田中、高瀬、竹本、橘...違う違う違う。どれも違う
苗字一覧を探すが、高山という文字は見つからない。頭を抱えていると、杉村さんが『見つけました』と声を上げた。
「本当ですか!?高山祐奈、この人だ!電話番号...メモしなきゃ」
電話番号をメモして、ファイルを下に戻して、受付事務室を杉村さんと出て迷子センターに戻った。和也と友樹と愛美、啓太くんがクッションフロアに座って啓太くんと遊んでいた。
啓太くんも泣き止んで楽しそうに遊んでるのを見てホッとした。私は電話番号が書かれている紙を杉村さんに渡して、祐奈さんに電話をかけてもらった。
「...はい。あ、祐奈さんですか?...はい、啓太くんなら今こちらで預かっています...はい、はい...ではこちらでお待ちしておりますので...はい、はい、失礼します」
祐奈さんと電話がつながって杉村さんは指でオーケーマークをして合図した。私は啓太くんの母親が来るとわかって安心した。しばらくして、啓太を何度も呼ぶ声がした。啓太くんの母親が来た。
「啓太!」
「ママ!」
「あぁ、心配したよ!どこにいたのよ」
「着替えて、ママがいなくて怖かったらお兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれた」
私達は立ち上がって、啓太くんと母親の再会を暖かく見守った。
「啓太を助けてくれて、本当にありがとうございます」
深くお辞儀をされたので私達は焦った。頭をあげてもらって、啓太くんと祐奈さんは帰っていった。時間はもう6時過ぎていて、帰る時間を少し過ぎていた。私達は親に連絡をした。
帰ろうかとウィズダム・メガプールセンターを去る時、私は協力してくれた杉村さんと受付事務室の方々にお礼を言った。歩いて駅まで行って、準急電車に乗る。友樹と愛美は別の電車に乗るらしいから、この駅で別れた。
和也と準急電車に乗って席に座る。電車の揺れが居心地を良くしてくれる。でも、次の駅で降りるから降りる準備をした。
「和也」
「ん?どうした?」
「ん...」
「え?」
「ん!」
改札を出て柱の横で和也の正面に立つ。手を出してるのになんで気づかないんだろう。そう思ったら腕を引かれて和也にハグされた。あったかい。そう思った。
「やっと二人だもんね。まあ、駅にいるけど、人も少ないし」
耳元で囁かれて、顔が熱くなるのに気づいた。
「今日の華の水着姿可愛かったよ」
「え?セクハラコメントですか?」
「違うよ!」
ちょっとからかってみた。やっぱり焦るところも、含めて全部可愛いなぁ。そう思った。私は和也と手を繋いで、マンションに向かった。すると、和也に電話がかかってきた。
「もしもし...あ、お母さん。どうしたの...うん...わかった」
どうしたのと聞くと和也は微笑んで私の手をつなぎ直して歩き出した。
「え、どうしたの!?」
「ううん、なんでもない!嬉しいことがあっただけだよ!」
「嬉しいこと?」
「うん!」
和也は嬉しそうに歩いた。彼の頬は少し赤く染まってる。どうしたんだろうと不思議に思いながらも私は彼が嬉しそうにしていることが嬉しくて気にしないことにした。
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