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True End
人の気配がして目が覚めた。
「あれ、電気つけっぱなしだったっけ」
寝ぼけ眼をこすりながら俺は体を起こした。カーテンから漏れる光はなく、闇が広がる。
「まだ、夜じゃん、今何時だろ。」
枕元の時計を見ると2:30。まだ、いや、3回目だ。
前回よりわかったことが増えた。廊下に着くと彼女の足が速くなるのと、彼女の手に大きな火傷の痕があることだった。
「大きな火傷の痕。火事にでもあったのか?いや、これだけでは俺の記憶にはヒットしないようだ。やはり顔か、彼女の顔を見ないことには何も始まらないのか。」
いつものように喉が渇いた。またキッチンへ行こう。
行きの廊下は安全だということがわかっているから、考え事をしながら進める。そういえば、今回も2:30に目が覚めたが、この時間に何かあるのか?
「ああ、わからないことだらけか。何回襲われればいいんだ、いや、何回が限度なんだ。襲われて生き返っているとしたら、何かを見つけるまで、あるいは彼女が何かわかるまで・・・?いや、まだ情報が少なすぎる。もう少しわかることが増えれば…」
キッチンについた。水を飲む。前回は確認しなかった居間をキッチンから見てみる。見当たらない。また、居間へと進む。前回、彼女は左横の脱衣所にいたが、今回は果たして。
音を立てないように慎重に闇へ一歩踏み出す。
進む時計の針の音だけが聞こえる。いや、それに交じってキィという扉がきしむ音が聞こえたような気がした。
やめておこう。もしかしたらこの先にいるのかもしれない。
俺は来た道に戻った。道中もう一度水を飲もうとキッチンで休み、廊下を目指したときに彼女がやってきた。
「ぶっ!」
水を吐き出した。水滴は彼女に当たることなく、俺は意識を失った。
・
・
・
人の気配がして目が覚めた。
さすがにもうわかっている。この寝室も10回目だ。3回目以降意識を失うのを犠牲に、命がけでキッチンや脱衣所、風呂場、居間、ベランダと足を運んだが何もなかった。
「今回は、どうしよう。ああ、この寝室を少し調べてみようか。意識を失うことはないけど、灯台下暗しと言うしな。まあ、他の部屋も暗いんだけど。」
だんだん独り言が多くなってきた気がする。そんなどうでもいいことで気を紛らわせながら、ベッドをどけたり机の引き出しを探ったりした。何もない。窓の外は開けられず、カーテンの奥も椅子にも何もない。
諦めて俺はベッドに寝転がった。
「何もないならいいんだけど、うん?」
寝返りを打ったその視線の先。何の変哲もない壁型収納の中に、焼け跡のような、違和感のある黒いシミに染まった布が目についた。
「なんだこれ?」
触れようとした瞬間、頭痛が走った。赤い記憶が一瞬視界を満たす。
「目の前が、今、赤かった。それに、この焼けた布はなんだ?大きそうなところを見ると、服か布団かただの布か。こんなもの家になかったような気がする。」
しばらく考えたが、いまいちわからない。とりあえず寝室にあったのはこんなものか。
「他はない、よな」
そうベッドから起き上がろうとして、先程から押し殺していた強烈な渇きが一層強くなり、気づけば俺は意識を失っていた。
人の気配がして目が覚めた。
11回目か。
もう寝室には何もないことがわかっている。前回得たわずかな手掛かりをつなげるべく、俺はキッチンを通り居間へ向かった。
壁伝いで夜目をこらして一歩ずつ。
居間についた。誰もいない。テレビが音もなく野球の試合を流している。電気もつけない部屋で、ほのかな光が周りを照らす。
今まで居間に来た時にはなかった光景だ。なぜテレビがついているのか。ここまで女は見なかった。とすると、脱衣所や風呂場の中かトイレか、どちらにせよこの家の中にいそうなので、逃げる準備をしておかなければ。
壁に手を当て探りながら前へ進んでいると、途中で何か貼ってあるのに気づいた。
「なんだこれは。」
手に取った。目を凝らすとどうやらこれは切り取られた新聞記事のようだ。
「えーっと、沼髪市で一家全焼。沼髪市、思い出した、俺はここに住んでいた。それに、全焼、焼け跡のついた布。どういうことだ。」
漏れ出ていた独り言に気づいて思わず口をつぐむ。だがすでに遅かったようだ。ヒタ、ヒタ、と足音と水音が同時に近づいてくる。
後ろも見ず、俺は一目散に来た道を戻っていく。今までで一番速い速度で。歩いて近づいてきたような足音も徐々にスピードが速くなってゆくように聞こえる。
廊下に着いた時点で、彼女の手が伸びてくる。俺はさらにスピードを上げ、寝室に滑り込むようにして入った。
「見つけちゃったのね」
優しいような懐かしいような声を背中越しに聞いた。
寝室の入口で、濡れ髪の白装束の女がこちらを見ていた。顔も手もはっきりとわかった。
「菜緒」
彼女は俺の妻だ。
「あなた、それ、読んでみて。私が口で言うよりも、ずっといいわ。」
そう言われて俺は持っていた記事に目を落とした。
『沼髪市で一家全焼。2020年7月14日午前2時30分ごろ、沼髪市のある住宅が全焼し、焼け跡から一人の男性の遺体と一人の女性が発見された。警察によると、救助された女性は一部火傷を負いながらも一命をとりとめたようだ。なお、全焼の原因は火の不始末であるとされており、何かしらで使用した火がガスボンベに引火し爆発から火災が起こったと見られている。』
「だから、俺はずっと喉が渇いてたんだ。だから、俺は2時半にしか起きなかったのか。だから、俺は記憶がなかったのか。だから、俺は何度意識を失っても君を探しに行ったんだ。だから、そうか、俺が、俺の方が幽霊だったんだな。」
「私もあなたと一緒にいて、でもあの爆発が起きた時あなたは私をかばって、それで」
いや、待て。妻を疑うわけではないが、あの時俺は炎の赤を見る前に、血の赤を見たような気がする。それに、収納されていたこの服の破片。俺には身に覚えがないことから、彼女がこれを身に付けていたと考えるのが妥当だろう。それにガスボンベにも身に覚えがない。そんなものを置いていればきっと火から遠ざけるだろう。
「待って、おかしい。俺はあのとき爆発が起きるよりも前に視界を染めるほどの血を見ている。それが火傷だけの傷で済み、助かっている君の血ではないとしたら、俺のものだ。俺がそんな大けがをした状態で君をかばえるほど動けるとは思えない。」
つまり、君は今嘘をついている。
その言葉が口から出なかった。愛する妻が本当にそんなことをしたのか。愛する妻が、いや、俺は果たして本当に妻を愛していたのか?そんな幸せな生活だったのか?
「はぁ」
妻がため息をついた。心配そうに見つめていた表情をぐにゃりと歪ませて、彼女は口角を上げた。
「気づいちゃったか。あの日から10年、もう過去の思い出だったのに、まさか幽霊になって戻ってくるとはね。消してあげようって手を伸ばすたびに消えちゃうんだし。ほんと、現実味のない話ね。」
「菜緒、どういうことだ」
「昔から、思ってたんだ。大事にしている妻に殺されたら夫はどう思うのかなって。ふふ、あの日まで入念に計画してたんだよー?怪しまれずにガスボンベを買うために、それ用の理由用意しないとダメだし。あとナイフと防火服買って。燃やしてしまえば、返り血を浴びた防火服もわかんなくなるでしょ?でも、私までちょっと焼いちゃってさー。私傷者になったんだよ?責任取ってよね。あ、もう成仏しちゃうしそれはムリか。」
得体のしれないものがそこにいた。彼女の言う通り、こんな腐った真実も知らずに成仏していた方がどれだけよかったか。
「愛してるって言ったことも、あの幸せな日々も、全部君はだましていたのか。」
「そんなことない。あなたのことはちゃんと愛してたよ?でも、愛してた人を殺したとき、私はどう思うかも知りたかったんだよね。」
「どう、思ったんだ」
「うーん、なんとも思わなかったかな。無駄死に?っていうか、ふふふ、かわいそうだね。」
怒りよりも悲しみが湧き上がる。いったい俺の過ごした生活はなんだったのだろう。はりぼてですらない。
身が軽くなったような気がして俺は足元を見た。もう俺の足が消えかかっている。どうしようもない自分の思いをぶつけるには時間がなかった。
徐々に身体が黒い粒へ変わっていく。
「俺の人生は結局なんだったんだ。」
視界は赤く染まる。本当の死の間際、口づけの直後刺されたことが脳裏をよぎった。
「あなたのこと、本当に好きだよ。愛してる。」
「俺も愛してるよ、だから、はぁ、わからない。なんで、」
「そうね、うーん、内緒。」
「まって、菜緒。まだ話は、まって」
目の前で菜緒が微笑んでいる。いつの間にか手にはナイフを持ち、俺を刺す動作をしていた。
「うーん、実体がないのかぁ。全然刺さらないんだよねぇ。あーもう、こんなことしてたら髪が渇いてきちゃった。せっかく新鮮な血で濡らしたのに。また、持ってこなくちゃな。」
今まで以上に眩い光が俺の身体を包む。神など信じてこなかったけれど、信じざるを得ない。この場所に俺を飛ばし、菜緒を止めてやれる力をくれたことに感謝の念が堪えない。
寝室から出ようとする菜緒。そんな彼女に声をかけた。
「菜緒。どうやら俺はもう限界みたいだ。最後に君に会えてこうして喋れて、本当に良かった。俺は今幸せだよ。ありがとう。」
「どういうこと?わかんないけど、私も幸せだよ?」
ばいばい、菜緒。
俺の思いが通じたかのように、彼女は俺に手を振り、微笑んでいた。
俺は光の粒となって菜緒に吸い込まれた。
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