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『国母様とあれど、民の声全てを無視するのは難しいことでしょう』
嫌な記憶だ。
王妃の座を二年も空けてきたが、王は今年で十五歳となる。幼いということを理由にのらりくらりとかわしてきたが、それだけの理由では逃げられなくなってきた。
『民は失意のうちに亡くなられた前王の一人娘以外に王妃に相応しい者はいないと、そこここで噂しております』
言いたいなら言わせておけばいい。人は、民は噂が大好きなのだ。
そうとしか思わず、大した問題でないと放置したことが、今となっては女をこれほどまでに苦しめ追い詰めている。
『……国母様、ご挨拶申し上げます。空添の娘、月生衣、この度は国母様の計らいにより王様に嫁がせて頂けますこと、天より見守っている両親と共に、お礼申し上げます』
嫌になるほど、妹に似た顔の娘が女に挨拶をしている。
息子に嫁ぎ、義理の娘となる者だ。
『母親に似ているな。そのような顔をしているのだ、血も母親の方が濃いのであろう。在位は半年であっても、王座に座っていた父親の血がこうも薄い者を息子に嫁がせるなど、考えるだけで恐ろしい。お前の生んだ子が玉座に座る権利を持つなど、考えたくもないな』
生まれる前から恨めしい娘だ。女は優しくしようなどと考えてもいない。
もし、考えたとしても、不可能な話だ。
『ならば、王様はどうでしょうか? 私の母の血を嫌うのならば、国母様の血を引く王様とて、私と同じなのでは? 国母様は私の叔母、母の姉なのですから。御自身の首絞めるような発言は考えても、言わぬ方が良いかと』
王妃となることが決まっているが、まだ王妃ではない身。父が王であったが、すぐに廃位され、権力など持っていない身。
そのような身でありながら、新王妃は義理の母親となる女に、叔母にあたる女に、真っ向から口答えをした。脅したのだ。
『私が大人しく従うと、あなたに怯えてひっそりと暮らすなどと思わないでください。両親の敵を、などとは思いません。血が繋がっているだけで、特に思い入れも恩もない人たちのことなどなんとも思っておりません。ですが、私自身のため、私が生き抜くためならば、なんでも致します。両親のように何も抵抗せず、ただただ義母様に殺されるなど、我慢できません』
この気の強さは誰に似たのだろうか。
女の知る妹も、義理の弟も、人の良さだけが取り柄なだけの平凡な人だ。
極力争わないように、自分が不幸になって解決するのならそれでいい。そんなつまらない二人の娘なのに、どうしてこんなにも。
『同じ場所に、この首里城に住むのです。私はできれば穏やかに過ごしたい。王妃としてやるべきことをして、何事もなく平和に過ごしたいのです。義母様が何もしなければ私も何も致しません。何かをしたのなら、私に何かを求めるのならば、思いどおりにはならないとご覚悟なさいませ。以上にございます』
これほどまでに、後悔したことはない。
妹の子供は、息子を王とするのに邪魔だった前王の子供は三人。男二人と女一人。男は容赦なく殺した。息子が座る玉座を脅かす存在なのだ。容赦など必要ない。
だが、娘は生かした。
権力のない娘を殺しても意味がない。それに、女も人間なのだ。血の繋がった姪を殺すのを躊躇してしまった。
お前はいつまで人でいるつもりだ。お前ももう私と同じ、龍の一族となった者だと何度も言っている。それなのに、どうして龍になりきれない。
申し訳ございません。記憶の中の夫に謝ってしまう。
夫が死んだとき、女は心底ほっとした。安堵してしまった。
もう酷いことをされることも言われることもない。元王妃として、王子の母として、権力を持っているのだから夫の呪縛から逃れられる。
誰も、自分を疎かに扱わない。扱えない。媚びへつらって顔色を伺うのだ。
なんと気持ちのいいことだろうか。
晴れ晴れしい気持ちでいられたのはほんの僅かな時だけ。
女の中にまだ夫がいる。夫は女のすることを常に見張り、そして猛り狂うのだ。
死んだのに、夫に縛られ続ける。夢に出てきた時も手を上げられ続ける。
夫が生きていた時と何ら変わらない。女は未だに死んだ夫に縛られ続けている。
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