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『西野佐枝子』
『泉出 七悟』
『酒寄 銀次』
『酒寄 むめ』
「猪俣村は、男どもらが出稼ぎに行っている間に水難があって、たくさんの人が呑まれたんじゃ」
ああ、そうだったのか。
どうして七悟さんの話が現代の常識とは違っていたのか。どうして皆、家族と離れ離れになっていたのか。萌香はすべてが腑に落ちた。
「わしの大切な弟と妹は、今でも冷たい水の中に眠っておるんじゃ。だから村が沈んでも、ここから離れられなくての」
萌香は湖面を見下ろした。
「あの、おじいさんのお名前は……酒寄さんですよね?」
「察しがいいのう。石碑のふたりが、わしのきょうだいじゃ」
やっぱりそうなんだと、確信を抱かずにはいられない。
「洪水はわしが狩猟の手伝いで山へ出向いたときのことじゃった。どうしてわしだけが……」
おじいさんは、まるで自分だけ生き残ったことを悔いるような顔をしている。今の萌香も、その気持ちが痛いほどわかる。消えることのない村の人々の笑顔を思い出し、生きていることの感謝と呵責を実感した。
「わたし、みんなが繋いでくれた命がとても愛おしいって思います。ですから――悲観しないで生きようと思います」
「そのほうがええじゃろう。おまえさんの人生は長そうじゃからな」
「けれど、おじいさんの家族だって、おじいさんに前向きに生きていてほしいと思っているはずです。銀次くんは将棋を、むめちゃんはあやとりを楽しんでいるみたいですから」
おじいさんは一瞬、驚いたが、続いて泣きそうな顔になってうなずいた。
「そうじゃな、いずれまた逢うじゃろうから、せめてその日は笑って迎えんとな」
黙って湖面に視線を向ける。萌香は大切に思えた人たちのことを、記憶から消すつもりなんてさらさらないと思う。
村の天蓋となった湖面は、木々の隙間から差し込む日差しを受けてさざめいていた。
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