猪俣村の真実

2/2
前へ
/11ページ
次へ
『西野佐枝子』 『泉出 七悟』 『酒寄 銀次』 『酒寄 むめ』 「猪俣村は、男どもらが出稼ぎに行っている間に水難があって、たくさんの人が呑まれたんじゃ」  ああ、そうだったのか。  どうして七悟さんの話が現代の常識とは違っていたのか。どうして皆、家族と離れ離れになっていたのか。萌香はすべてが腑に落ちた。 「わしの大切な弟と妹は、今でも冷たい水の中に眠っておるんじゃ。だから村が沈んでも、ここから離れられなくての」  萌香は湖面を見下ろした。 「あの、おじいさんのお名前は……酒寄さんですよね?」 「察しがいいのう。石碑のふたりが、わしのきょうだいじゃ」  やっぱりそうなんだと、確信を抱かずにはいられない。 「洪水はわしが狩猟の手伝いで山へ出向いたときのことじゃった。どうしてわしだけが……」    おじいさんは、まるで自分だけ生き残ったことを悔いるような顔をしている。今の萌香も、その気持ちが痛いほどわかる。消えることのない村の人々の笑顔を思い出し、生きていることの感謝と呵責を実感した。 「わたし、みんなが繋いでくれた命がとても愛おしいって思います。ですから――悲観しないで生きようと思います」 「そのほうがええじゃろう。おまえさんの人生は長そうじゃからな」 「けれど、おじいさんの家族だって、おじいさんに前向きに生きていてほしいと思っているはずです。銀次くんは将棋を、むめちゃんはあやとりを楽しんでいるみたいですから」  おじいさんは一瞬、驚いたが、続いて泣きそうな顔になってうなずいた。 「そうじゃな、いずれまた逢うじゃろうから、せめてその日は笑って迎えんとな」    黙って湖面に視線を向ける。萌香は大切に思えた人たちのことを、記憶から消すつもりなんてさらさらないと思う。  村の天蓋となった湖面は、木々の隙間から差し込む日差しを受けてさざめいていた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加