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「天佑、琴は知ってるか」
さっきまでとは違う口調が気になりながらも、知っていると答えた。
近所に、とても上手なおばあさんが住んでいたのだ。
「そうか。姫様も琴を練習していて、去年の誕生日に皆に披露されたんだ。だけど、とても多くのお客様が来ていて、緊張してしまった姫様はまともな演奏ができずに失敗してしまった。まあ、そもそも、琴は練習したてで、習っていたとは言い難い状態だったんだけどな」
天佑は、あの可愛らしくて元気な姫様が失敗して落ち込んでいる姿を想像して可哀相に思った。
「だけど、姫様はとてもお強い方だから、来年はもっと上手に演奏してみせると張り切って、今年の誕生日まで熱心に練習を励まれた」
今度は頑張っている姿を想像して、きっと、すごく上手になったんだろうなと考えた。
「そうしてやってきた誕生日の前日。弟君がなかなか覚えられなかった一節を諳んじることができたからと、皇后様が次の日にお祝いしたいと王様にお願いをして、姫様の誕生日祝いは丸ごと弟君のお祝いに取って代わってしまった」
「え?」
茗峻の言い回しは、今の天佑には難しい部分もあったけれど、言われたことはわかった。
一年に一回の特別な日を、ちょっと頑張った弟のお祝いに取られてしまったのだ。
「王様は、たった一日の準備にしては豪勢な会場に足を運んで、ようやく思い出された。その日が蓮華様の誕生日だったことを。それから、ふと気づかれた。弟のお祝いだという会場に、姉である蓮華様が招待されていないことを」
天佑は信じられなかった。
ここは立派な建物も綺麗な庭もあって、着物もよれてなくて、美味しいものだって何でも揃うはずなのに、天佑が持っていた貧しいながらも楽しい誕生日ができなかっただなんて。
「いたく後悔なされた王様は、その夜、蓮華様を呼び出して、誕生日祝いに生涯一つだけ、どんな願いでも王様の力が及ぶ限り叶えてあげようと公に約束された。その、たった一つだけの大事な大事な約束を、蓮華様は、どこの誰とも知れない野良犬のために使ってくださったんだよ」
思わぬ話と、思わぬ茗峻の語り口調に、天佑は胸が詰まるような息苦しさを覚えた。
「蓮華様にとっては意味のない約束だったのか、苦い思い出のせいで早く消化してしまいた呪いだったのか、それとも、単純に遊び相手がほしかっただけなのか。姫様のお気持ちは私にもわからないけど、その約束によって救われた天佑だけは忘れてはいけない。これから先、いくらでもご自分のために使うことのできた約束を使い切ってしまった姫様を後悔させないためにも、お前は忠実で従順な犬でいなければならないことを。約束できるか?」
上からでも下からでもなく、冷たくも温かくもない眼差しで、茗峻という男はちっぽけな天佑を相手に覚悟を問いかけてくる。
これこそが、あの姫様が、蓮華様が頼りにしている男の姿なのだろうと感じた。
「はい」
天佑にできる返事は、それだけだった。
それだけで全てだった。
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