6人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
飯村はまだ開けていない弁当箱を取り出した。
新しい弁当箱に入っているのはまたしてもおにぎりだったが、表面がほのかに緑色をしていた。所々焦げた黄色い塊が不規則に練り込まれている。
「悪魔のおにぎりっちゅう食いもんです」
北極観測隊に伝わる【母の味】的なおにぎりだ。
炊き立てのご飯に、天かす、青のりを投入する。好みにより、ひじきや塩昆布、白胡麻なんかを入れても良い。
コツは、青のりはケチらずにたっぷりと入れることだ。
――――父ちゃんお腹すいたぁ。はよ食べたい
青のりの香りがふわっと広がった瞬間、飯村はまだ日本にいた日に、大阪の自宅でおにぎりを作った日のことを思い出した。
出来上がっていくおにぎりを見て、歯が抜けたばかりの小さな口で息子の尊は笑った。
「父ちゃんは寒いとこに行くんやから、ぼくもこんぐらい着なあかんな」と言って、飯村の真似をして家の中で厚着するかわいい子供だった。1年のほとんどを家の外で過ごす酷い父親なのに、父親の仕事を理解して尊敬してくれている賢い子供だ。
同僚の生死がかかっているタイミングだというのに飯村は思い出した。愛しい息子の姿を。
「……こ、これには、青のりと、手作りの天かすが入ってます。天かすというのは、天ぷらという火を使う料理をするときにしかとれない貴重な食材です。それを、日本に帰らないと手に入らない、麺つゆという貴重な出汁で味付けをしてあります」
『日本だけ?この辺の人間持ってない?』
「は、はい。日本でのみ手に入ります」
嘘は言っていない。ちょっと大げさにこれらの価値が上がる伝わり方をしただけだ。
「さ、さらにごま油で風味付けしてるんです。これも日本でしか取れない貴重な種からとれる油です。ほ、ほら嗅いでみてください。めっちゃいい匂いやから……」
飯村が家族を愛しく想うように、山中には美恵ちゃんと生まれたばかりの娘がいる。生存率を少しでも上げるためにはプカクを餌付けするしかない。
思惑通り、プカクは飯村の話をじっと聞いてから無言で青のりのおにぎりを取ると口に頬り投げた。もちゃもちゃと音を立てて、緑色の舌の上で転がしながら味わう。
『……この緑、うま~い』
そしてまたプカクは嬉しそうに笑った。
『プカク悪魔知ってる。あいつら嫌な奴。でもこれはうまい』
「うまいでしょ?悪魔が誘惑してくるくらいうまいから、悪魔のおにぎりって言うんです。ほら、弁当箱に入ってる奴は全部あげます。だから、その人間を返してください」
そして飯村は土下座し「お願いします」と必死に頼んだ。
黄金の瞳をぎょろりと動かして、プカクは飯村の行動をじっと見る。唇の端っこについた米粒を長い舌でペロリと舐めとる。
『分かった、返す』
プカクは続けて言った。
『悪魔うまい。プカク気に入った。こいつ食うの止める。返す』
プカクは承諾するように、にっと友好的な笑みを見せたあと、山中の首元をつかみ、無邪気な笑みでぽいっと飯村の方へと投げた。
物のようにぶん投げられたせいで鈍い音が響いたが、山中は気絶しているだけだった。安心すると飯村の体の緊張が一気に和らいでいく。
最初のコメントを投稿しよう!