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不思議なBAR
仕事の帰り道、心も体も疲れた私は、目的もなくフラフラと繁華街を歩いていた。
もうどうでもいい。
仕事は自分の思っていた方向とは違ってしまい、キラキラと輝いていた希望の灯りなど、既に消えている。
仕事のパートナーで恋人の藤沢も、同僚の新しい彼女ができたみたいで、私には別れの言葉もなく、ただ空気を読めよとばかり、連絡もなく私が連絡しても返ってこない。
生まれて初めて人生のどん底に沈んだ気持ちに、回復する兆しはない。
看板のネオンに誘われるように、一件の小さなお店に入ってみた。
食欲はなく、飲み物だけでも注文しようと、メニューを開く。
「えっ···なにこれ」
メニューには、「彼への想い」「両親への想い」「兄弟への想い」「自分自身への想い」「友達への想い」···etosetora
「お客様お決まりでしょうか?」
「あの、メニューなんですが。飲み物はありますか?」
「ええ、そこに書いてある飲み物をご用意しましょう」
どんな飲み物が来るのか分からないが、飲めないことはないだろうと、取りあえず注文してみた。
「···では彼への想いを···下さい」
「はい。お待ち下さい」
しばらくしてウエイターは、ピンクと白のグラデーションの発泡酒を持ってきてくれた。
「ご注文のドリンクをお持ちしました。即効性がありますので、お気をつけ下さい」
何に気を付けるのか分からなかったが、お酒は弱い方ではなかったので、一気に半分ほど飲み干した。口当たりが良く、甘くてほんのりレモンの香りがした。
「はぁーっ」
溜め息とともに、胸の奥に支えていた、塊のような物がほどけていくような感覚になった。
何故かとても心地よかった。
後の半分も飲み干し、また溜め息が出る。
「ふぅーっ」
あれっ···。何か大切なものがなくなったのか、胸の中に穴が空いたようだった。
すると今度はゆっくりと胸の中の穴が塞がっていく。
気分も良くなりお会計を済ませ帰宅することにした。
朝になり最近にはなかった心地良い気分で目が覚めた。
出勤時間に合わせて支度を整え会社に行く。
「おはようございます」
「おはようございます」
職場の仲間と挨拶を交わす。
何事もなく仕事のモヤモヤ以外はいつも通りだった。
「おい、三宅」
同僚に呼び止められて振り返った。
「なんでしょうか?書類に不備でもありましたか?」
「···いや···不備?不備はなかったが···」
「ではなんでしょうか?この後会議の書類をまとめたいので、よろしいでしょうか?」
「あっ。いや悪かった。···仕事を続けてくれ」
「はい。わかりました」
私は首を傾げた。確かに仕事のパートナーではあるが、馴れ馴れしい声掛けに少しイライラした。
藤沢は「あいつ。俺のことはどうでもよくなったのか?全くの他人のようだ」と、言い捨て足早に去っていった。
♢
元彼の藤沢の今の彼女坂西は、三宅の態度に疑問を感じていた。
恋人の藤沢を奪ってやり、悔しそうな顔をする三宅を見る度に優越感に浸っていた。
それが今日は、全く動揺もなく淡々と仕事を進める三宅を不思議に思っていた。
「三宅さん、ちょっといいかしら?」
お昼休みになり、坂西は食堂で昼食を取っていた三宅の隣に座った。
「何かしら?」
三宅は首を傾げた。
「あなた、藤沢さんの事はもういいの?」
「藤沢さん?」
「えっ。···付き合ってたんじゃないの?」
「あらっ···。そうだったのかしら?んー?藤沢さんの事はなんとも思ってないわ」
「へぇーそうなの」
坂西は三宅の言葉に拍子抜けし、藤沢のこともどうでもよくなってきた。
仕事を終え家に着くと、藤沢から携帯にメールが入っていた。
『明日仕事の帰りにいつものところで待っている』
「はっ?なにこれ」
『今後、仕事以外の連絡はしないで下さい』
私は何故か気味が悪く、それ以上のメールは見るのを止め、返事も返さなかった。
私は完全に彼への想いが消えた。
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